須須神社から車で約30分の所にある見附島(正面から見ると船首のように見えるので軍艦島ともいう)
周囲約400m、標高約28m。空海が佐渡島から当地方に渡った際、最初に見付けた島(又は目に付いた島)ということから名付けたのが由来だそう。
見附島は景勝地としても知られています。
確かに軍艦ぽく見える~( ゚o゚)
到着した時は雪がちらついていました。
海の中に鳥居があり(写真中央左側)、島の頂上に宗像三女神のひとり市杵島姫命(弁財天)をお祀りしています。
岩場を歩きましたが、途中波が高く被る所があった為、慌てて戻りました(笑)この土地一体に結界があるような感じ。
また、どこかポータルと繋がっているのかな。とても神聖さを感じます。
暫くして、今まで見た事もない大粒のあられのような雪がじゃんじゃん降って来て、靴が浸水してしまったので引き返すことに(^▽^;)
「見つけた」というのは空海の三杵(さんしょ)の1個がこの地の近くの山で見つかったことも理由の1つなのかな~。
三杵(さんしょ)とは
「煩悩を打ち払う菩提心(ぼだいしん)」のシンボルとして密教の修法に使う法具。
<空海と山椒のエピソード> 弘法大師空海が唐の国に渡り恵果阿闍梨(けいかあじゃり)のもとで修行され、三国伝来の伝承者と認められ、金胎両部(こんたいりょうぶ)の潅頂(かんじょう)をうけ密教伝来の三杵(さんしょ)を授けられた。 唐の僧たちはその三杵を奪い返さんと帰国しようとする空海を海岸まで追い詰めてきた。 その時空海は東方を望まれ「密教有縁の所に行きて我を待つべし」と三杵を大空高く投げられた帰国された。 空海は三杵を求めて海路佐渡より能登沖を通られた時波の音とともに法華経を誦する声が聞こえてきたので島を頼りに着岸された。 そこで村人達の案内により山の桜の樹に探し求めていた三杵の一つ五鈷杵(ごこしょ)が光り輝き白夜法華経を唱えていた。 空海は深くお喜びになりここに一宇を創建され吼木山(ほえぎざん)法住寺と名づけられた。 そして三鈷杵は高野山の松の樹に独鈷杵(どっこしょ)は、佐渡の小比叡山の柳の樹に掛かっていた。 それより島を見附島と呼び縁結びの神を祭り海難の守り神と共に小社を安置し4月18日を祭日とし舟を繰り出し島上に登り祝詞を奉じて来た。 (見附の杜より) こうして空海の元に三杵全てが戻って来たのです。 |
大晦日の夜、数回耳鳴りがして(UFOでも来ているのかな~と思いながら疲れていたのでそのまま寝落ち~Zz(´-ω-`)
翌朝はこの地方は雲が多かった為、初日の出は見られず・・・。
その変わり面白いもの見ましたよ!
曇って雪が降って来た時、見附島の近くにライオンかトラのようなものが現れました。
女神を乗せているのかな・・・。
どちらかというとライオン(獅子)のように見えます。
絵心がなくてスミマセン(^▽^;)
ライオンかトラに乗っているといえば、インドで言う「ドゥルガー女神」
日本では江の島の「八臂弁財天(はっぴべんざいてん)」になりますね。
空海ゆかりの高野山にも八臂弁財天が祀られているそうです。
ドゥルガーと八臂弁財天は同一神と思われます。
見附島に祀られている弁財天の市杵島姫命と同じ弁財天としていらっしゃったのかも。(と言ってもお役目は違うようですが)
その後、雲の隙間から見附島にスポットライトが当たり、形は崩れてしまいましたが、阿弥陀仏様が印相を出されているように見えました。
<印相>こんな形に似ている
元日の朝、多くの人々に祝福をお届けするために現れたのでしょう。
天気は晴れたり曇ったりでしたが、素敵な新年を迎えることができました。
続く。