比叡山4:東塔(三面大黒天)

文殊楼の反対側をお降りたところに延暦寺五会館があります。
その前にも例のやつがありました。

<船坂の靄船>
比叡山は女人禁制だったため、山に強い憧れを残したままこの世を去る女性も少なからずいた。
ある法師が夜、坂本から山へ戻る途中、立つ込める霧の中突如船が現れた。
中には大勢の女性が念仏を唱えながら乗っていた。
その様を見た法師は気を失い、その後もうなされ続けたという。

よくありがちな内容ですが山に船が現れる、あの世の乗り物?それともUFO?
ちょっと引っ掛かりますね。中々面白いです。

延暦寺会館前に不動明王が祀られていたのに気付きませんでした。
正覚院不動 と呼ばれ、旅行安全・厄難消除をしてくださるそうです。

上の道を上がると大黒堂がありました。

なんと三面大黒天!
下調べしてなかっただけに嬉しいヾ(;☆ω☆)

<大黒堂>
こちらは気が強くオーブが飛んでおり厳格な雰囲気を感じました。
「三面出世大黒天」と言われ、毘沙門と弁財天のお顔が左右にあり一体したお姿となっています。
人々が豊かさをもっと体験できるようお祈りとワークをさせていただきました。

伝教大師最澄が比叡山へ登った折、この地において大黒天を感見したところであり、日本の大黒天信仰の発祥の地と言われているとか。

<大塔宮護良親王御遺跡の碑>
天皇家に関わる方の遺跡。
1308年に後醍醐天皇の皇子として生まれた護良親王。
6歳の頃に尊雲法親王として梶井門跡(現在の三千院)に入室し、1327年に天台座主となり大塔宮と敬称されたそうです。三千院も最澄が比叡山東塔に開いた円融院(円融房)が始まりなんですね。

<皇室:十六八重表菊の由来>
天皇家も天台宗と深い関わりがあるようで。
実は皇室の十六八重表菊(日本の国章)、これは延暦寺の菊紋章が由来だそうです。
延暦寺の寺紋は、比叡山に自生する叡山菊を仏教の法輪を重ねて紋とした菊輪法(きくりんぼう)としています。
最澄が天皇に献上したことが始まりと言われているそうです。

妖怪めいた山ですが清々しい空です。

今回、時間の都合で西塔には行かず横川へ向かいましたが、その途中で四大魔所の1つへ行きました。
続く。

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