比叡山6:横川(よかわ)不思議な声


元三大師堂を出る時、大きな大蛇のような龍雲が出ていましたね。


<元三大師(がんさんだいし)>
元三大師は正月の3日に亡くなったことから元三と称されている。少年の頃比叡山へ入山
し早くから才覚を表し学問・修行の興隆を図り人材の育成に力を注ぎ比叡山の最盛期を
築き上げたことから「比叡山中興の祖」と呼ばれている。
門下3000人と言われ、この中には日本浄土教の祖と言われる恵心僧都(えしんそうず)
源信をはじめ、幾多の名僧を排出。
大師はこの横川に住まれ優れた法力を得て種々の霊験を現わされ、仏法を守護し多くの人々を救い護り導いた。
生まれながらにして如意輪観音の化身と仰がれ今日も「厄除け大使」「角大使」として信仰を集めている。
また大使は我が国における「おみくじ」の元祖としても知られる。

おみくじやればよかったな~。
「角大使」と呼ばれる程、自分を魔物の化身に変じ、魔物をも退散させるという凄い法力を持っていたそうです。
そんな元三大師御廟へ向かいます。

どれくらいの距離があるのかさっぱりわからず先が見えないだけに不安。
とにかく行ってみる事に。
思ったよりも距離はそれほどでもなく足早に進んで6、7分くらいだったでしょうか。

元三大師御廟>
ひっそりと奥まった山の中にありました

綺麗に掃除されていて、とてもクリアな空間です。
シーンと鎮まって何も聞こえない聖域。
紫色とピンク色と金色の光が揺らめきました。とても暖かなエネルギーに包まれた感触
があり、元三大師はとても愛の深い優しい方だとこの時感じました。
鬼門に当たるこの地を自らの墓として死んでもなおこの国を護る元三大師。その思いがひしひしと伝わって心から感謝すると共にささやかながら光の柱の強化ワークをさせていただきました。

奥にお墓があるのですが、タイムアウトで戻らなければなりません。
今思えば行けば良かったな~。

また機会を作って伺うことにしましょう。

帰り道は分岐点まで来てすぐに横川中堂が見えて来ました。
<横川中堂>
遣唐使船をモデルとした舞台造りだそうです。

<不思議な声>
もう少しで駐車場に着くという帰り道。
突然女性の声が斜め右上から聞こえてきました。私と姉は暫くしてから「声が聞こえるね」とお互いに認識して後ろを振り返りましたが、誰もいません。
林の方とか、辺りを見回しても私達以外、誰ひとりいない。
でも女性が何かしゃべっている声が聞こえています。年齢的には30~40代くらい。
その声がひとりのようなふたりのような。以前にも似たような経験があります。
それは岐阜の伊奈波神社に行った時のことです。あの時も女性の声が聞こえてきました。

嫌な感じはしない。
私達が移動しても同じ距離を保ちながら声の大きさも変わらず聞こえてきます。
特に浮遊霊とか悪霊の類ではありません。何か話しかけられているのかな、と耳を澄ませてみたものの、一体何を話しているのかが聞き取れませんでした。
その声は途中でプツリと聞こえなくなりました。

でも女神のような姿が見えたのでおそらく高次元の存在が祝福してくれたのだと思います。まだ日は昇っており明るいものの夕方でもあったので「これからは魔の時間帯になるから、山を早く降りて気を付けてお帰りなさい」という感じがしました。
ビジョンでは神話に出て来るような女神がと、もう1枚は赤ちゃんを抱いているが見えました。
赤ちゃんを見せたのは潜在意識の殻が剥けて新たな光を見出した、波動を高く持ちなさい。ということと解釈しました。赤ちゃんは波動がとても高いですからね。
この地を護る女神かもしれませんね。

有難くお辞儀をして横川を後にしました。
見上げると彩雲が出てました。横川は東塔地域から、シャトルバスで15分。
徒歩にて100分以上(東海道自然歩道)かかるそうです。
今回、西塔には行きませんでしたが、本堂は転法輪堂(釈迦堂)でご本尊の釈迦如来、こちらも行きたかったですー。
釈迦堂は、延暦寺に現存する建築中最古のものだそうです。秀吉が1595年に西塔に移築したそうで、また延暦寺をしっかり回りたいです。

また、記載忘れていましたが、横川の参道にも名僧たち(道元ほか、親鸞聖人、道元禅師、日蓮聖人など)の生涯パネルが飾られているので、どういう人が存知ない人も分かりやすいかと思います。

延暦寺 横川
地図:〒520-0116 滋賀県大津市坂本本町4225 

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比叡山5:横川(よかわ)比叡山の魔所

比叡山には「魔所」と呼ばれる場所があります。
なんだかワクワクしますね!
今回はその魔所と横川エリアの紹介です。

<籠の丘(かりごめのおか)>
東塔→西塔を少し過ぎた比叡山ドライブウェイの横川道路沿いにある小さな広場にあります。
比叡山には三大魔所と呼ばれる所がありますが、更にもう1つ、公式にはない四大魔所と呼ばれているのがこちら。
ここが公式から外されている理由は最も危険な場所?という理由らしいですが。伝教大師最澄が、都の南東(巽)にいた魔物を狩り、北東の位置(艮:うしとら)に埋めたという伝説があります。
高さ1メートルほどの錘形をした3つの石が約9メートル間隔で置き、その3つを直線で結んだ正三角形の中心に魔物を封印されたとしています。
千日回峰行の際、真夜中にこの地を僧が通り過ぎる時、必ずこの場所で提灯の蝋燭を取り替え、古い蝋燭をこの石のそばに置いて法華経を唱えながら去るとか。

<籠の丘(かりごめのおか)>
到着し辺りを見回してみましたが、魔所?とは程遠く、ゾクゾク悪寒が走るようなこともなく、むしろスッキリと気持ちがいい場所。
ただ、石の近くまでは行きませんでした。入ってはいけないような気がして。
ここの下に魔物ではない存在が眠っているの可能性もあります。

魔物というよりは要のものを敢えて封印しているようにも思えました。
例え良い存在だったとしても、その封印が解けた時は大きな力が働き、地震とか天変地異が起きたりするものなので、宇宙的異変が起きるその時まで封印されているのかもしれません。

<三大魔所とは>
①<天梯権現祠(てんだいごんげんほこら)>
坂本から根本中堂への古い参拝ルート「本坂」。その途中にある「天梯権現祠」の小山には天狗が棲んでいて比叡山と中国の天台山を行き来したと伝えられています。

②<慈忍和尚廟:(じにんかしょうみびょう)
こちらは既に紹介した一つ目一足の妖怪「慈忍和尚」(じにんかしょう)の廟のことです。時間があれば行きたかったですね。

③<元三大師御廟:(がんさんだいしみびょう)
横川エリアの北側の山道にあります。

その横川へこれから大急ぎで向かいました。
16時30分までに入らないと閉まってしまう。16時過ぎになんとか到着。

東塔とは打って変わって人の気配が無く静かです。
駐車場には2、3台の車しかありません。

出ました妖怪案内板!<蛇ヶ池>
その昔この池に大蛇が住み着き村人に危害を加えていた。
「俺には何でもできるのだ」」と豪語する大蛇に元三大師良源は「ならば大きな姿になって見せよ」と命じた。大蛇は横川中堂をひと巻きする程の大きさに変身して見せた。
良源は「今度は私の掌に乗る程小さくなれるか」と尋ねた。大蛇は「容易いこと」と瞬く間に小さくなると、良源の掌に乗って見せた。
その瞬間良源は法力で大蛇を封じ込めた。その後、改心した大蛇は横川を訪れる人々の道中の安全と心願成就の手助けとなった。《その手に乗るな》という言葉はこの問答に由来する。

なかなか面白い話しです。
神社があるので近づいてみると、薄々感づいていましたが、八大龍王の神社!<龍ヶ池弁財天社(龍ヶ池八大龍王)>
オーブや小さい龍が飛んでましたね。とても静かな場所で池にはおたまじゃくしが沢山いましたよ。その八大龍王が大蛇だったってこと?

奥へ進むと元三大師堂へ着きました。<四季講堂(元三大師堂)>

第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれた横川。
そしてこちらは魔除けの角大師で有名な元三慈恵大師良源を祀っている元三大師堂です。

どこを見ても古い。

タイムスリップした感じ。

<角大師>

平安時代末期、元三大師良源が73歳の時に世に疫病が流行り人々は大変苦しんでいた。
この難局を救う為、良源は大きな鏡に自分の姿を写し疫病退散を念じた。
するとそこには骨ばかりの恐ろしい姿が写し出されたという。
その姿を版木に刻ませお礼に刷り配ったところ、疫病は元よりあらゆる災厄から身を守ることができたことから、今もなお、お厄除けの元三大師として篤く信仰されている。

比叡山は最澄だけは名前は知っていましたが素晴らしい高僧が沢山いらっしゃったようで
知れば知る程興味が湧いてきました。

続く。

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比叡山4:東塔(三面大黒天)

文殊楼の反対側をお降りたところに延暦寺五会館があります。
その前にも例のやつがありました。

<船坂の靄船>
比叡山は女人禁制だったため、山に強い憧れを残したままこの世を去る女性も少なからずいた。
ある法師が夜、坂本から山へ戻る途中、立つ込める霧の中突如船が現れた。
中には大勢の女性が念仏を唱えながら乗っていた。
その様を見た法師は気を失い、その後もうなされ続けたという。

よくありがちな内容ですが山に船が現れる、あの世の乗り物?それともUFO?
ちょっと引っ掛かりますね。中々面白いです。

延暦寺会館前に不動明王が祀られていたのに気付きませんでした。
正覚院不動 と呼ばれ、旅行安全・厄難消除をしてくださるそうです。

上の道を上がると大黒堂がありました。

なんと三面大黒天!
下調べしてなかっただけに嬉しいヾ(;☆ω☆)

<大黒堂>
こちらは気が強くオーブが飛んでおり厳格な雰囲気を感じました。
「三面出世大黒天」と言われ、毘沙門と弁財天のお顔が左右にあり一体したお姿となっています。
人々が豊かさをもっと体験できるようお祈りとワークをさせていただきました。

伝教大師最澄が比叡山へ登った折、この地において大黒天を感見したところであり、日本の大黒天信仰の発祥の地と言われているとか。

<大塔宮護良親王御遺跡の碑>
天皇家に関わる方の遺跡。
1308年に後醍醐天皇の皇子として生まれた護良親王。
6歳の頃に尊雲法親王として梶井門跡(現在の三千院)に入室し、1327年に天台座主となり大塔宮と敬称されたそうです。三千院も最澄が比叡山東塔に開いた円融院(円融房)が始まりなんですね。

<皇室:十六八重表菊の由来>
天皇家も天台宗と深い関わりがあるようで。
実は皇室の十六八重表菊(日本の国章)、これは延暦寺の菊紋章が由来だそうです。
延暦寺の寺紋は、比叡山に自生する叡山菊を仏教の法輪を重ねて紋とした菊輪法(きくりんぼう)としています。
最澄が天皇に献上したことが始まりと言われているそうです。

妖怪めいた山ですが清々しい空です。

今回、時間の都合で西塔には行かず横川へ向かいましたが、その途中で四大魔所の1つへ行きました。
続く。

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比叡山3:東塔(とうどう)一つ目妖怪

次は文殊楼へ向かいます。
結構急勾配な階段だな~💦

なんだか可愛らしい楼門です。

<文殊楼(もんじゅろう)>
根本中堂の東側に位置する文殊楼。
上層に文殊菩薩が安置されているそうです。拝見できません。
獅子の背中の上にある蓮の花を象った上に文殊菩薩が乗っています。

文殊楼は7回も火災に遭っているそうです。
慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建したものですが、寛文8年(1668)に焼け、その後建てられたました。
通りで中国っぽい造りだと思いました。
文殊楼は、延暦寺における重要な修行を行う仏堂として、また延暦寺の総門として幾度も再建された重要性が窺えました。

くるりと回ってみると、

<宝篋印塔(ほうきょういんとう)>
こちらの塔が東西南北に梵字が刻まれています。
それぞれの如来を配置し密教を表しています。


如来はかなり高度な宇宙存在でリラ星人(琴座)と言われています。
如来・菩薩に興味がある方はリラ星と関係があるでしょう。

文殊楼の左手に小高い丘があります。

<清海鎮大使張保皐碑>
なにやらあまり見慣れない生き物の上に石碑が立っています。
稀に中国系のお墓でも見られるこの生き物は、中国の伝説の贔屓(ひいき)と言います。
この
贔屓は、龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子の一つで亀に似ています。重きを負うことを好む為、古来石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多かった云われています。
別名、龍亀(ロングイ)とも言いますが、龍亀(ロングイ)の方が顔は龍そっくりで
贔屓の方はどちらかというと亀や獅子に近い顔ですね。

<海上王:張保皐とは>
9世紀に当時の新羅、日本、唐の海運秩序を治めた韓国莞島の出身の張保皐。
唐に渡って軍人として活躍した後、東アジアで横行した海賊に憤慨して帰国すると莞島に清海鎮を設置して海賊を掃討、アラビア、ペルシャへと航路を開いて「海上王」と呼ばれた。
延暦寺の円仁が838年(承和五)に入唐し、顕密二教を学んだ際に支援、五台山や長安の
巡礼を実現させるなど円仁の大恩人とされている。
https://www.ct-net.com/nishioumi/02-03.shtml(参考)

山道を下って行くと赤いお社の神社がありました。<星峯稲荷社>
御祭神:荼枳尼天(だきにてん)

星という名前が付くだけにお祈りしていると、星のような光が沢山見えてきました。
この周辺は精霊がいそうな雰囲気でした。下の方に行けばいるのかもしれませんが立入禁止で残念。

<荼枳尼天とは>
インドのヒンドゥー教の女神。
人の死を半年前に知り、死の直後に心臓をとって食べるという恐ろしい神様でした。
後に仏教に帰依して仏法を守る神様となり、日本においては稲荷信仰の神様としても登場します。

鬼子母神も人の子を食らう悪鬼でしたが仏教に帰依して良い神様になりましたね。

この先に総持坊がありますが、災害避難用の道路として封鎖されています。
ここには何があるのかというと、正面に妖怪みたいなものが描かれた額が飾られているんですよ。

ここは比叡山の3大魔所の1つ。

<一眼一足法師>
一本足で一つ目の妖怪。
これは妖怪ではなく元三大師の高弟(慈忍和尚)です。
「じにんかしょう」と読みます。第19代天台座主を務めました。
慈忍和尚が亡くなってから、夜な夜な怠けている僧を見つけて戒めていたそうです。
自らも修行三昧で戒律が厳しかったこともありますが、比叡山を守ろうとする強い意志が見受けられますね。
玄関の脇には慈忍和尚が山を回る際に使った杖が立てかけられているそうです。

自らが妖怪に変じるということは、そもそもこの比叡山には魔物が多かったんでしょう。そして妖怪にも勝る超人的な能力があったことが窺えます。
チベットの僧侶達が高速で移動できたり、高く飛び上がることができたといいますが、おそらく比叡山の高僧達もそうしたレベルを持ち合わせていたようと思われます。

この1つ目の摩訶不思議伝説ウォークスタンプラリーは阿弥陀仏堂にあります。
続く。

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比叡山2:東塔(とうどう)根本中堂と最澄の願い

根本中堂へ向かう途中に牛供養がありました。

<牛供養>
一生を人間の為に尽くす牛を供養する為に宗教法人「福田海」より奉納された牛さん

<何故牛が祀られるのか>
牛さんは菅原道真公がお祀りされている神社によくいますよね。
何故牛さんを祀っているのでしょう?

菅原道真公(天神様)は丑年生まれ。牛が大好きでよく撫でていて、牛も菅原道真公(天神様)のことが大好きでした。
道真公の遺言では「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」とあり、御遺骸を轜車(牛車)でお運びする途中で牛が座り込んで動かなくなった場所に埋葬したそうです。その場所が今の太宰府天満宮になっているそうです。
そして牛が伏せた姿が多いのは道真公に背中に乗ってもらうのが牛にとってとても嬉しいからなんですね。
道真公は牛を神の使いと思っていたので牛が死んでからも「人の良くない気を取って病を治すのを手伝ってみるか?」
と言われ牛は喜んでそのお役目を引き受けたことで撫で牛となったそうです。牛は農耕で使役として働き、人の食用となり、死んでからもなお人の病を治すために働いている「撫で牛」さん。皆さん、見かけたら愛でてあげてください。

さて、根本中堂の前まで来ました。
現在60年周期で実施されている改修工事中。
平成28年(2016年)から開始され完成まで約10年かかるそうです。

東塔の根本中堂は各エリアの中で最大の仏堂であり総本堂となります。

延暦寺を開いた伝教大師最澄が延暦7年(788)に創建した一乗止観院(いちじょうしかんいん)が元です。
何回も災害に遭い復興して大きくなり現在の姿は徳川家光公の命で寛永19年(1642)に竣工したものだそうです。

おやおや、ありましたね。
妖怪スタンプ、じゃなかった摩訶不思議伝説スタンプラリーが。<読経するドクロ>
その昔、最澄が建てた草案から上弦の月を眺めていると、どこからともなく読経の声が。
声を辿ると庵の中から聞こえる。土を掘り起こしてみると次第に声が大きくなり、声の主、ドクロが現れた。最澄はすぐさま念仏を唱えそのドクロを供養した。

この山は色々ありそう・・・。
誰もいない所で声が聞こえたりしてね。そう思っていたら、後でそんな体験を本当に
してしまいました。それについては後で横川の記事で紹介します。<根本中堂>
本尊:薬師如来
根本中堂は撮影禁止

モニターがあって「完成図がこんな感じ」的な映像が流れていたので拝借。

中に入るとギョッとするほど凄く気が高いです!!
すぐに頭が痛くなりました。
そんな中、お坊さんが丁寧に説明してくれました。

不滅の法灯
ご本尊の前には、1200年間灯り続けている「不滅の法灯」も安置されていて3基並んでいます。その灯りの炎が見えていました。
厳島の弥山も同じようなものがありましたね。
788年に点灯し860年に立石寺に分灯されましたが1521年の戦乱で立石寺の火が消えてしまいました。
再び1543年に分灯してもらい、その後延暦寺は織田信長の焼き討ちに遭い消滅
再建して立石寺から分灯してもらったのが現在という流れがあるようです。
うまいこと消えずに済んでいますね。
信長の延暦寺焼き討ちも言われている程酷いものではなかったと今になって異論説があります。私もそうだと思っています。
秀吉が再建している所をみる限りでも真実は奥が深そうです。

<ご本尊:薬師如来>
最澄が比叡山で修行中、山中の虚空蔵尾で霊木を得て、薬師如来の尊像を自ら彫り、祀ったのが比叡山延暦寺の始まりと言われています。
60年に一度御開帳される秘仏だそうです。拝顔してみたいです。

 「一隅(いちぐう)を照らす人こそが国宝(国の宝)である」

おのおのが自分の出来得る最善の限りを尽くし、誰も気づいていないほんの片隅や一角を「照らす」していく。それが平和で幸せな世の中を形成していき最終的に国を護ることに繋がる。

本来、人々が自分にしかできない能力を持って生まれているのだから、自分の役目として照らすべき所を照らすことで、より良い世の中を創ることになる、ということを示しています。
まさにそれに今気付いているのがライトワーカーということになります。

最澄や空海などの名僧は既に闇の支配のことを知っていたんだと思います。最澄の思いが今もなお、熱い灯りとなって世の中に訴えているように思えました。

実際に根本中堂では世界各国から僧侶やシャーマンなどが集まり、世界平和を願う祈りが行われているそうです。

根本中堂の中があまりにも気が強烈で頭が痛くて長時間留まれなかった為、外へ出ました(꒪⌑꒪.)!!!
これまで色々な神社仏閣へ行きましたが1、2を争う程の凄まじさだったと思います。

外に出て次の移動先へ向かおうとした時、ニホントカゲさんが出て来ました。綺麗ですね~。

トカゲが出てくると龍に関係しているからテンション上がります!
祝福してくれたんでしょう。

次回に続く。

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比叡山1:東塔(とうどう)

天台宗の護法神としていた日吉大社の後は天台宗を広め開基した最澄の延暦寺へ。
比叡山ドライブウェイを使って向かいます。
通行料がかかります。東塔~仰木料金所までは僅かですが割引がありました。

延暦寺は
「東塔(とうどう)」
「西塔(さいとう)」
「横川(よかわ)」
の3エリアに分かれ、それぞれ本堂があります。とにかく広い為、今回は東塔と横川の一部だけ伺いました。

受付で諸堂巡拝料(現在:1,000円)を支払い左手より中へ進みます。受付の横にはお土産屋さんがあります。
覗いているとお腹がぐーぐー鳴ってきちゃいました。しかし今回もハードライトワークの為、先を急ぎます💨 

車以外ではケーブルカーやロープーウェイ、シャトルバスもあります。

大講堂、根本中堂方面はこちら。伝教大師(最澄)の生涯が美しい絵とともに紹介されており、まずここで足が止まる為、更に時間倍増!(笑)他の宗祖の紹介もありましたよ。絵が素晴らしく魅入ってしまいました。<大講堂>
本尊:大日如来
昭和39年(1964)に山麓坂本の讃仏堂を移築。本尊の左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祀られています。
釈迦を始めとして仏教・天台宗ゆかりの高僧の肖像画がかかっていました。<鐘楼>
ここで鐘を打つことができます。ところで手前になにやら怪しげな婆が。
<な<なすび婆>
なすび色の妖怪とは。
宮中に女官として仕えていたが、人を殺めてしまい地獄に落ちた。仏の慈悲により心は比叡山に住まわせてもらった。その後、織田信長が比叡山を焼き打ちした夜、大講堂の鐘がゴーン、ゴーンと全山に鳴り響き、いち早く信長勢の来襲を知らせた。それを打ったのがなすび婆だった。

人を殺めたのではなく生前、生肉が大好物だった彼女は人目を避けては動物を殺して食べていた為、その報いにより死後、魔界に落ちて妖怪となったという説もあります。

比叡山では妖怪話が多いんですよね。ワクワクドキドキしてきました!
まぁ、この山が多種多様な存在がいるという感じで、おそらく妖怪はいるでしょう(笑)

延暦寺ではこうした摩訶不思議伝説スタンプラリーを開催中です。
全部は集められませが、なかなか面白いです。

さて早速、鐘打ちに挑戦してみました。
いい音で鳴りますね!外人さんご一行も楽しそうでしたよ。
その他、行けていませんが、阿弥陀堂、法華総持院東塔があります。

<阿弥陀堂>
本尊:丈六の阿弥陀如来
昭和12年(1937)に建立。
檀信徒の先祖回向の道場。

<法華総持院東塔>
昭和55年に阿弥陀堂の横に再興。
伝教大師最澄は全国に6か所の宝塔を建て、日本を護る計画をされました。
本尊は大日如来をはじめとする五智如来が祀られており、塔の上層部には仏舎利と法華経が安置されているそうです。

<伝教大師 最澄とは>
最澄は実直で勤勉化な印象があります。
12歳の時に僧侶となる道を選び近江国の国分寺に入門奈良の東大寺で僧侶となるために必要な250条の具足戒(ぐそくかい)を授かり、国に認められた正式な僧侶となったが名誉や地位に留まることなく修行の道を選びました。

「せっかく人間に生まれ、仏の教えに出会うことができても、善(よ)い心を持ち続けることができなければ、地獄の薪になるより他はない。それなのに、今の私は十分に正しい修行ができていない愚かで最低の人間である。だからこそ誰よりも精一杯努力をして、多くの人を救い導いて行くことができるような強い自分にならなければならない。それまでは、この修行を決してやめることはできないのだ。」
並々ならぬ熱い決意が願文から見受けられます。

803年4月、遣唐使として難波を出発。しかし暴風雨に遭い一年間九州に留まり翌年7月に平戸から出発した時も嵐に遭い4隻中2隻が遭難。最澄は明州へ、空海の乗った船は遥か南へ流されました。

最澄は天台山を目指し、その後天台山仏隴寺座主の行満和尚から天台教学を学びました。
帰国後は『法華経』を安置する宝塔を建立したり、六条式、四条式などを朝廷に提出し大乗戒の授戒による僧侶の養成に努めました。
他者からの批判を受けつつも、自分だけの悟りをめざす小乗仏教の戒律ではなく、すべての人が仏となれる一乗の教えが結果的には国を護ることになるという理念を最後まで貫きました。

沢山の僧侶たちの思いが集まったこの地は身が引き締まる緊張感がありましたね。

続く。

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日吉大社:東本宮(滋賀県大津市)

<恵毘須社>
白山宮を出て東本宮へ向かいます。途中に恵毘須社がありました。

どちらのお社にも絵と神様のお名前(事代主神)が分かりやすく記載されています。
こちらの恵比寿様は立ち上がっており、顔もなんだか違います。
ご挨拶していると、その絵とは違う見慣れた恵比寿様が姿を現わしました。
(そうそう、この恵比寿様!どこかで見たな~)と思ったら、思い出しました!これです👇

たまに飲むエビスビールの恵比寿様!にそっくり(笑)
(私が、なんか顔が違うよな~)と思っていたから、この恰好で出て来てくれたんでしょうかね。
恵比寿様には日頃お世話になっていますからしっかりお礼をお伝えました。
ニコニコ笑っておられました( ^∀^)

お値段は高めですがコンスターチが無加物の為、ビール好きな人にはおススメです。
アルコール自体は体によくないですが、休肝日を取りながら飲む分には問題ないでしょう。
※コンスターチが何故悪いのかと言うと
トウモロコシは殆ど輸入品で遺伝子組み換えが多いからです。コンスターチに限らず日本に輸入される多くの食材は農薬やカビ防止剤がたっぷり含まれています。
ナッツ類は放射線照射されているので国産のものがいいでしょう。
ちなみにの「ヱ」の話しは以前ブログでしましたね。よろしければ過去記事をどうぞ。
私達を導く源のエネルギー「カタカムナ」

八王子山山頂には牛尾宮、三宮宮が鎮座。今回はそちらまで伺う余裕がなく麓での遥拝所にて参拝。

こちらの右手の階段を上がって山頂へ行きますが、1つ1つの石の階段が大きく高さがあり、上まで上がってみましたが、見た目よりもきつい階段でした。
本殿には磐座の金大厳が祀られておりそれを見たかった・・・(๑╯ﻌ╰๑)
片道30分程で行けるみたいです。

<三宮宮遥拝所>
御祭神:鴨玉依姫神荒魂(かもたまよりひめのかみのあらみたま)
    大山咋神の妻

遥拝所ですが荒魂だけにエネルギーが高かったですよ。

<牛尾宮遥拝所>
御祭神:大山咋神荒魂(おおやまくいのかみのあらみたま)

反対側には牛尾宮遥拝所。
こちらは手前が小さな水路になっており小さな石橋を渡ります。やはり、強烈でしたね!
本殿へ行けない分、三宮宮遥拝所も含めしっかりお祈りとワークをさせて頂きました。

<楼門>
東本宮の楼門前へ来ました。随分歴史を感じる楼門。
織田信長の焼き討ちにあって東本宮は安土桃山時代に再建されたそうです。

こちらも境内に入ると沢山の社殿が並んでいました。

左手:樹下宮本殿
右手:樹下宮拝殿
中央:東本宮拝殿
奥:東本宮本殿
他にも沢山の社殿が。

<樹下宮>
御祭神:鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)

<亀井霊水>
井戸があります。今は枯れていますが昔は滾々と湧き出て神様にお供えしていたのでしょう。

<新物忌神社>
御祭神:天知迦流水姫神(あめちかるみずひめのかみ)
    大山咋神の母神
これはまた美しい名前ですね。水の神様だそうです。
それで隣に井戸があったわけですね。

<大物忌神社>
御祭神:大年神(おおとしのかみ)
    大山咋神の父神
お猿さんの顔をされた神様で山王曼荼羅にも描かれているとか。

<東本宮本殿>
御祭神:大山咋神
遥拝所の方が強烈でしたが厳格で重厚感があります。ご挨拶と光の設定のワークをさせて頂きました。

<二宮竈神社>
御祭神
奥津彦神
奥津姫神

奥津彦神、奥津姫神は以前、宮城ライトワークの曲木神社でご紹介しましたね。
大山咋神の兄弟です。
曲木神社

東本宮と樹下宮の間にある末社・樹下若宮社(御祭神:鴨玉依彦 鴨玉依姫神の子神)、
稲荷社(御祭神:宇迦之御魂神)も祀られていました。

全体的に西本宮とは違った独特の雰囲気があり、ファミリーの絆的なパワーを感じま
したね。

次回は心行くまでのんびり参拝し八王子山頂まで登りたいです。

続く。

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日吉大社:白山宮(滋賀県大津市)

<白山宮>
宇佐宮から一段下がった場所に鎮座している白山宮

すぐ手前に滝があります。
湧き水がそれぞれの宮を巡って流れていますね。
水は「情報」を司るから上手くできた作りになっています。

こちらもお社に水路が巡らされています。

<御祭神>
白山比咩大神(菊理媛尊)

白山神社といえば石川県の白山神社。
霊峰白山を御神体とする全国3000社余の総本宮です。
要となる日吉大社に祀られています。

ご挨拶とお礼をお送りさせて頂きました。

何かを断ち切りたい時や心をスッキリさせたい時、選択に迷う時に道を示してくれる菊理媛尊。また人間関係の修復やご縁を結んでくれます。

古いしがらみのような念がまとわりついていてそれを切ってもらえたようです。
糸のように細い、人の念とか霊的存在の念。自分でも気づかないうちについていたりします。


こちらもやはりお社に狛犬が鎮座。なんだか室内犬みたい。
それぞれの宮には違う顔の狛犬さんがいます。

紅葉の時期はさぞ色とりどりの色彩で鮮やかに染まり絵になる事でしょう。

水路を辿ると日陰で身を隠していた魚が出て来てました。
メダカサイズよりも大きめのもいましたよ。

摂社
<剣宮社>御祭神:瓊瓊杵尊
<小白山社>御祭神:大己貴命
<八坂社>御祭神:須佐之男命
<北野社>御祭神:菅原道真公

とても清々しく多くの宮の中でも特に白山宮は心地良く気に入りました。
また是非伺いたいですね。

続く。

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日吉大社:宇佐宮(滋賀県大津市)


<宇佐宮>

西本宮のお隣にある宇佐宮。
1598年(慶長三年)再建された国指定重要文化財。

正面の階段前に吹寄格子をいれた障壁が設けてあり西本宮・東本宮との大きな違いらしいですが、よく分かりません。屋根の事なのかな・・・。


<御祭神>
田心姫神(たごりひめのかみ)

こちらも水の結界が。優しく柔らかなエネルギーを感じます。
宗像三女神のひとりです。

宇佐宮と言えば大分の宇佐八幡宮。あちらも随分広い敷地で以前伺った時、
全部は参拝できませんでした。

宇佐八幡宮は、応神天皇、神功皇后、そして中央に比売大神が祀られています。

比売大神は宗像三女神として
田心姫神(タゴリヒメ)
湍津姫神(タギツヒメ)
市杵島姫神(イチキシマヒメ)
が祀られていますが、近年になって比売大神は瀬織津姫ではないかと言われています。

確かに、和歌山の丹生都比売神社も比売大神=瀬織津姫をお祀りしていましたね。

ご挨拶した際、とても優しいエネルギーを感じ、気の流れを整えて頂いたようでこの後、体が楽になりました。そして光の設定をさせていただきました。

左手に大宮竈殿社、包丁塚がありました。(写真は撮り忘れました💦)

宇佐竈殿社
御祭神:奥津彦神 奥津姫神
大山咋神の兄神・姉神になります。

<気比社>
御祭神:仲哀天皇

<宇佐若宮社
御祭神:下照姫神(したてるひめのかみ)

こちらの宮はしーんとしていて静寂さを感じました。

続く。

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日吉大社:西本宮(滋賀県)

<日吉大社>
以前から伺ってみたかった日吉大社。

全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮。
2100年前、崇神天皇7年に創祀され、平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社とし、延暦寺の開基、伝教大師(最澄)は天台宗の護法神としています。

境内には多くの社がある為、山王二十一と総称されています。そのうちの上七社が西本宮、東本宮、宇佐宮、白山宮、牛尾神社、白山姫神社樹下神社、三宮神社になっています。奥宮を含めると結構広いですね。

車から降りると少し離れますが、大鳥居方面の大宮橋まで来ました。
日吉大社は時代劇のロケ地としても使用された歴史を感じる赴きのある場所ですね~。

比叡山の焼き討ちで日吉社も全て灰燼となり、山王信仰の厚かった秀吉、家康により安土桃山以降に再建されたそうです。

ここの川が綺麗で川遊びしている家族が数名いらっしゃいましたね。

奥の走井橋に横たわった松があります。
その傍にお社があるようです。恐らく祓社でしょう。早速そちらへ向かいました。

<走井杉>
橋に腰掛けるようにして貫禄がありますね。

その傍には祓戸社がありました。

<走井祓殿社>
祓戸大神様四柱をお祀りしています。

瀬織津比売神(せおりつひめ)
速開都比売神(はやあきつひめ)
気吹戸主神(いぶきどぬし)
速佐須良比売神(はやさすらひめ)

参道へ戻り、今度は反対側の上流へ行ってみました。
すると橋が崩落していました。

苔が生え、歴史の面影を残しています。
平安時代ぐらいの人々が現れそうな雰囲気がありましたよ。

参道へ戻り、二の鳥居へと進みます。

山の神様だけに鳥居は山の形。
洒落ていますし、キングとか頂点とかそういうイメージがある力強い印です。

右手には飼育されているお猿さんがいます。なんだか寂しそう。

カメラを向ける人が多くて、それが嫌み
たいです。

神猿(まさる)
「魔が去る」「勝る」に通じ、大変縁起
のよい神のお使いなんですね。

<神馬>

左手にある手水舎で清めて楼門をくぐると、

ドンドン!
ちょうど太鼓が鳴りだしました!
これからご祈祷があるようです。これはラッキー!!
一緒にお祈りさせて頂きました。

<御祭神>
大己貴神(おおなむちのかみ)

ご挨拶の後、自然の恵みに感謝し、光の柱の設定をさせて頂くお許しを頂いたので早速ワーク。
神々しい光と共に神様の姿を確認することができました。
暫く金縛りにあったように体もジンジンしてきて動けなかったです。
暖かく凄いエネルギーでした。

手前が拝殿、奥が西本宮の奥宮。
奥宮は手前の石砂利の所も入れません。
地下があり祈祷者のみが参拝できるようになっています。

<本殿>
神様はこの土地や宮を大変気に入っています。
そして特徴的なのは狛犬が社の縁に鎮座して
いることですね。

そしてもう1つは
本殿には小さいながらも濠が巡らされ絶えることなく湧き水が流れ続けています。
お城にお濠があるような造りですが、こうして結界を張っているんですね。
そして水という浄化の力により常に淀みなく清らかな気を循環させるいう設計になっています。
素晴らしい!!
本当に水が綺麗で心地良くてずっとここに居たい気持ちになりました。

私も日吉大社を大変気に入りました。

次回に続く。

<車でのアクセス>
大鳥居の前にある316号線を東へ行くと直ぐに「大杉茶屋」が左手にあるのでそこの角を曲がり正面の「止観院」まで進んだら左へ曲がり、右手に見えた小さな橋を渡ると受付が
あります。

駐車場はどこから進入すればよいかはHPにも記載されています。

入苑協賛料 300円
(国宝2棟、重要文化財17棟を維持管理する為)
こちらを支払って坂道を上がった両脇に舗装されていない駐車場があります。

アクセスMAP

https://hiyoshitaisha.jp/access/

境内MAP
※こちらの方が分かりやすく記載されています。

seitengrat.sakura.ne.jp

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《ワーク参加方法》
【受取方法】完全遠隔 
【価     格】4,500円
【お支払方法】銀行振込
【お申込み】9月20日(金)まで(お振込み確認された方が対象)
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