儚い命が教えた今の幸せ

昨日、買い物の途中に思いがけずショッキングな出来事に遭遇しました。

住宅街の桜並木の通りを自転車で走っていると、3羽カラスが枝に止まっているのを見て、暑そうに口を開けていたので、(鳥も暑そう。この暑い中でも餌を探すのも大変だろうな)とふとそう思った時、一瞬カラスが鳥を襲うかもしれないという、嫌な予感がしました。

その思いを振り切るように自転車をこいでいたら、頭上を騒がしく鳴く鳥達が前方へ飛んで行き、その直ぐ後をカラス数羽が追いかける姿を目撃!
(もしかして襲おうとしているのか!!)

逃げた鳥達はムクドリのよう。
成鳥(おそらく親鳥)とその他の鳥達は木の中へ一目散に飛び込みましたが、ムクドリの幼鳥はカラスが最初から狙っていたと思われ、追いつかれて、地面に降りてしまい、カラス3羽が襲いかかりました。

必死で抵抗している幼鳥。
(なんとか間に合って!)

全速力でチャリをこいで歩道の現場へ到着。
私が来たのでカラス達はサッと逃げました。
ほんの6,7秒位の出来事。

そこには既に横たわった幼鳥の姿がありました。

抱き上げると首がぐったりと垂れ、ゆっくりと私の手の中で目を閉じていきました。
(早くしないと!)
この時点で死んだとは認めたくない私は、ティッシュにくるんで家に持ち帰る間に(どうしよう!!こんな重篤な状態でどうやって手当すれば・・・!?鳥の餌を買いに行かなきゃ。インコの餌とかが大丈夫かな。この状態だとスポイドとかは必要だろう)など頭の中を激しく巡らせていました。

帰宅後、幼鳥を見た時、ぐったりとやはり首は垂れてピクリとも動かず。
(もう死んだのか!?)
ショックでこうなっているだけかもしれないと、取敢えず口を開けてお水を飲ませてみることに。
しかし喉を動かしている様子もなく、ただ水がこぼれていきました。
幼鳥が襲われていた時、大きなカラスの嘴が幼鳥の首を挟んで捉えていた光景がフラッシュバックのように思い出されました。
(あの時死んでしまったのか)( ºΔº )〣
あれが致命傷だったように思えてきました。・・・

もう一度持ち上げても首がガックリ下がって、観察していても体はピクリとも動きません。しかし体はまだ温かい。抵抗していた幼鳥の姿が何度も思い出されました。

まだ死んだとは受け入れがたく、そのまま見守りつつお水を少しずつ飲ませましたが、既に無意味なようでした。

成す術なく1時間位経過。
幼鳥は変わらず動かないまま。触ってみるとまだ体は温かいものの、硬くなり死後硬直が始まっていました。さきほど、ぐったりとうなだれた首も硬直して固まっていました。
残念だけど救えなかった。

その日の夕方、近くの公園に埋葬。
大通りを挟んだ反対側が現場でしたが、現場近くからムクドリ達の騒がしい鳴き声がこちら側まで聞こえていました。あの幼鳥を探しているようです。
あちらこちらに飛び回っている姿が見え、切ない気持ちになりました。

天使イボンヌに幼鳥と親鳥達が癒されるようお願いしました。
おそらく巣立ちして数日経っていて、まだ親から少し餌をもらっているような状況だったと思われます。親子にとってこんな形で突然のお別れが来るとは思わなかったでしょう。しかし野生の世界ではいつどうなるかわかりません。
彼等は毎日生きることで精一杯ですから。

親が一生懸命温めて孵らせ、一生懸命餌を捕って与え、ここまで育った奇跡。あっけない命の終わりに、人間同様、鳥の親にしてみても、大変ショックを受けていることが見てとれました。
もう少し私が早く気付いて早く追い払っていれば!そんな思いが幾度も湧いてきたものの、襲ったカラスが悪い、ということでもありません。
(勿論、鳥ではなく他の植物系のものを食べて欲しいという思いはあったけれど。)
全ては生きるためで、生きるには命を捕らなきゃいけない、そういう残酷な星がこの地球なのです。

しかしその一方で、カラスに持って行かれバラバラにされて食べられずに、綺麗な状態でこうして埋葬できて、ある意味よかったと思いました。この子にしてみれば、あまりにも突然でショッキングな死を迎えることになってしまったけれど、親に甘えて餌をねだる姿が想像され、沢山の愛情を受けて幸せだったと思います。

幼鳥の表情は苦痛はなく安らかでした。
もし次に生まれ出てくる時は、成鳥して青空を自由に舞い、いっぱい楽しい体験をして静かに寿命を全うして欲しい、そう祈りながらお別れしました。

この銀河系では地球の生物だけが「命」を奪い合い、食しています。
他の星はそうしたことはしていないのだそうです

私自身も宇宙時代ではなんとなくですが、エネルギーのようなものを食べていて、現代のように何かの生物を食べるというようなことはしていなかったように記憶しています。

だから命があるものに対して食べる行為に抵抗があったりします。
例えば、動物の肉なども(これは本当に食べものなんだろうか?食べなきゃ生きていけないんだろうか?)と子供の頃から何度も思ったことがありました。
(あと、トイレに行くとか、凄く面倒くさいな~と思います。多分宇宙時代にはそれは無かったように思います。)

原始的で地獄のような惑星、地球。しかし私達はこの低周波数の地球に望んで来てしまいました。
ここで命の尊さや生と死について学ぶ必要があったからでしょう。

最近つくづく思うのは、今の生活が望むような住居とか、収入とか、家族構成とか、対人関係とかではなかったとしても、『今日も生きられた』ということをとても『幸せ』に思うのです。本当は人は、不平不満は無いのかもしれません。

皆、周りと比べてこうしたい、ああなったらいいのにという欲求や(特に物質欲)がいつの間にかできあがってしまい、目の前に有るものだけに囚われてしまっています。
本当は全て自分の中に備わっているので、「こうしたい」という想いを叶えることもできる筈なんです。

ただ、ネガティブな潜在意識に引っ張られたり自分に自信が持てなかったりして、自らSTOPをかけているだけなんですよね。
また無意識でネガティブな集合意識により洗脳が蔓延することで目覚めを妨げています。

私達は、毎日食事もできていて、寝泊りできる家もあれば、多くを望まなくても十分幸せなのではないでしょうか。

勿論多くを望むことは何も悪い事ではないし、望んでもいいんです。何か目の前にいい事が起きないとつまらない世の中だとか、人より優位に立ちたいとか、自分ばかりがツイてないとか思いがちですが、既にあなたは『今日も宇宙から祝福されている』状態、ということにまず気付いて欲しいです。

その祝福に気付けず、人類の不幸意識が世界全体を覆うようなら、大きくヒックリ返される事象(地震などの災害)が起きても不思議ではありません。
災害に直面した時、初めて人は自分の在り方を見直すと言われています。

そのようなパラレルに嵌らないよう、アセンションを決めている人は、是非日々の幸せを有難く感じて、その原動力を未来に繋げていって欲しいと願っています。

カテゴリー: 神秘・不思議 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA