天台宗の護法神としていた日吉大社の後は天台宗を広め開基した最澄の延暦寺へ。
比叡山ドライブウェイを使って向かいます。
通行料がかかります。東塔~仰木料金所までは僅かですが割引がありました。
延暦寺は
「東塔(とうどう)」
「西塔(さいとう)」
「横川(よかわ)」
の3エリアに分かれ、それぞれ本堂があります。とにかく広い為、今回は東塔と横川の一部だけ伺いました。
受付で諸堂巡拝料(現在:1,000円)を支払い左手より中へ進みます。受付の横にはお土産屋さんがあります。
覗いているとお腹がぐーぐー鳴ってきちゃいました。しかし今回もハードライトワークの為、先を急ぎます💨
車以外ではケーブルカーやロープーウェイ、シャトルバスもあります。
大講堂、根本中堂方面はこちら。伝教大師(最澄)の生涯が美しい絵とともに紹介されており、まずここで足が止まる為、更に時間倍増!(笑)他の宗祖の紹介もありましたよ。絵が素晴らしく魅入ってしまいました。<大講堂>
本尊:大日如来
昭和39年(1964)に山麓坂本の讃仏堂を移築。本尊の左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祀られています。
釈迦を始めとして仏教・天台宗ゆかりの高僧の肖像画がかかっていました。<鐘楼>
ここで鐘を打つことができます。ところで手前になにやら怪しげな婆が。<な<なすび婆>
なすび色の妖怪とは。
宮中に女官として仕えていたが、人を殺めてしまい地獄に落ちた。仏の慈悲により心は比叡山に住まわせてもらった。その後、織田信長が比叡山を焼き打ちした夜、大講堂の鐘がゴーン、ゴーンと全山に鳴り響き、いち早く信長勢の来襲を知らせた。それを打ったのがなすび婆だった。
人を殺めたのではなく生前、生肉が大好物だった彼女は人目を避けては動物を殺して食べていた為、その報いにより死後、魔界に落ちて妖怪となったという説もあります。
比叡山では妖怪話が多いんですよね。ワクワクドキドキしてきました!
まぁ、この山が多種多様な存在がいるという感じで、おそらく妖怪はいるでしょう(笑)
延暦寺ではこうした摩訶不思議伝説スタンプラリーを開催中です。
全部は集められませが、なかなか面白いです。
さて早速、鐘打ちに挑戦してみました。
いい音で鳴りますね!外人さんご一行も楽しそうでしたよ。
その他、行けていませんが、阿弥陀堂、法華総持院東塔があります。
<阿弥陀堂>
本尊:丈六の阿弥陀如来
昭和12年(1937)に建立。
檀信徒の先祖回向の道場。
<法華総持院東塔>
昭和55年に阿弥陀堂の横に再興。
伝教大師最澄は全国に6か所の宝塔を建て、日本を護る計画をされました。
本尊は大日如来をはじめとする五智如来が祀られており、塔の上層部には仏舎利と法華経が安置されているそうです。
<伝教大師 最澄とは>
最澄は実直で勤勉化な印象があります。
12歳の時に僧侶となる道を選び近江国の国分寺に入門。奈良の東大寺で僧侶となるために必要な250条の具足戒(ぐそくかい)を授かり、国に認められた正式な僧侶となったが名誉や地位に留まることなく修行の道を選びました。
「せっかく人間に生まれ、仏の教えに出会うことができても、善(よ)い心を持ち続けることができなければ、地獄の薪になるより他はない。それなのに、今の私は十分に正しい修行ができていない愚かで最低の人間である。だからこそ誰よりも精一杯努力をして、多くの人を救い導いて行くことができるような強い自分にならなければならない。それまでは、この修行を決してやめることはできないのだ。」
並々ならぬ熱い決意が願文から見受けられます。
803年4月、遣唐使として難波を出発。しかし暴風雨に遭い一年間九州に留まり翌年7月に平戸から出発した時も嵐に遭い4隻中2隻が遭難。最澄は明州へ、空海の乗った船は遥か南へ流されました。
最澄は天台山を目指し、その後天台山仏隴寺座主の行満和尚から天台教学を学びました。
帰国後は『法華経』を安置する宝塔を建立したり、六条式、四条式などを朝廷に提出し大乗戒の授戒による僧侶の養成に努めました。
他者からの批判を受けつつも、自分だけの悟りをめざす小乗仏教の戒律ではなく、すべての人が仏となれる一乗の教えが結果的には国を護ることになるという理念を最後まで貫きました。
沢山の僧侶たちの思いが集まったこの地は身が引き締まる緊張感がありましたね。
続く。