根本中堂へ向かう途中に牛供養がありました。
<牛供養>
一生を人間の為に尽くす牛を供養する為に宗教法人「福田海」より奉納された牛さん
<何故牛が祀られるのか>
牛さんは菅原道真公がお祀りされている神社によくいますよね。
何故牛さんを祀っているのでしょう?
菅原道真公(天神様)は丑年生まれ。牛が大好きでよく撫でていて、牛も菅原道真公(天神様)のことが大好きでした。
道真公の遺言では「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」とあり、御遺骸を轜車(牛車)でお運びする途中で牛が座り込んで動かなくなった場所に埋葬したそうです。その場所が今の太宰府天満宮になっているそうです。
そして牛が伏せた姿が多いのは道真公に背中に乗ってもらうのが牛にとってとても嬉しいからなんですね。
道真公は牛を神の使いと思っていたので牛が死んでからも「人の良くない気を取って病を治すのを手伝ってみるか?」
と言われ牛は喜んでそのお役目を引き受けたことで「撫で牛」となったそうです。牛は農耕で使役として働き、人の食用となり、死んでからもなお人の病を治すために働いている「撫で牛」さん。皆さん、見かけたら愛でてあげてください。
さて、根本中堂の前まで来ました。
現在60年周期で実施されている改修工事中。
平成28年(2016年)から開始され完成まで約10年かかるそうです。
東塔の根本中堂は各エリアの中で最大の仏堂であり総本堂となります。
延暦寺を開いた伝教大師最澄が延暦7年(788)に創建した一乗止観院(いちじょうしかんいん)が元です。
何回も災害に遭い復興して大きくなり現在の姿は徳川家光公の命で寛永19年(1642)に竣工したものだそうです。
おやおや、ありましたね。
妖怪スタンプ、じゃなかった摩訶不思議伝説スタンプラリーが。<読経するドクロ>
その昔、最澄が建てた草案から上弦の月を眺めていると、どこからともなく読経の声が。
声を辿ると庵の中から聞こえる。土を掘り起こしてみると次第に声が大きくなり、声の主、ドクロが現れた。最澄はすぐさま念仏を唱えそのドクロを供養した。
この山は色々ありそう・・・。
誰もいない所で声が聞こえたりしてね。そう思っていたら、後でそんな体験を本当に
してしまいました。それについては後で横川の記事で紹介します。<根本中堂>
本尊:薬師如来
根本中堂は撮影禁止
モニターがあって「完成図がこんな感じ」的な映像が流れていたので拝借。
中に入るとギョッとするほど凄く気が高いです!!
すぐに頭が痛くなりました。
そんな中、お坊さんが丁寧に説明してくれました。
<不滅の法灯>
ご本尊の前には、1200年間灯り続けている「不滅の法灯」も安置されていて3基並んでいます。その灯りの炎が見えていました。
厳島の弥山も同じようなものがありましたね。
788年に点灯し860年に立石寺に分灯されましたが1521年の戦乱で立石寺の火が消えてしまいました。
再び1543年に分灯してもらい、その後延暦寺は織田信長の焼き討ちに遭い消滅。
再建して立石寺から分灯してもらったのが現在という流れがあるようです。
うまいこと消えずに済んでいますね。
信長の延暦寺焼き討ちも言われている程酷いものではなかったと今になって異論説があります。私もそうだと思っています。
秀吉が再建している所をみる限りでも真実は奥が深そうです。
<ご本尊:薬師如来>
最澄が比叡山で修行中、山中の虚空蔵尾で霊木を得て、薬師如来の尊像を自ら彫り、祀ったのが比叡山延暦寺の始まりと言われています。
60年に一度御開帳される秘仏だそうです。拝顔してみたいです。
「一隅(いちぐう)を照らす人こそが国宝(国の宝)である」
おのおのが自分の出来得る最善の限りを尽くし、誰も気づいていないほんの片隅や一角を「照らす」していく。それが平和で幸せな世の中を形成していき最終的に国を護ることに繋がる。
本来、人々が自分にしかできない能力を持って生まれているのだから、自分の役目として照らすべき所を照らすことで、より良い世の中を創ることになる、ということを示しています。
まさにそれに今気付いているのがライトワーカーということになります。
最澄や空海などの名僧は既に闇の支配のことを知っていたんだと思います。最澄の思いが今もなお、熱い灯りとなって世の中に訴えているように思えました。
実際に根本中堂では世界各国から僧侶やシャーマンなどが集まり、世界平和を願う祈りが行われているそうです。
根本中堂の中があまりにも気が強烈で頭が痛くて長時間留まれなかった為、外へ出ました(꒪⌑꒪.)!!!
これまで色々な神社仏閣へ行きましたが1、2を争う程の凄まじさだったと思います。
外に出て次の移動先へ向かおうとした時、ニホントカゲさんが出て来ました。綺麗ですね~。
トカゲが出てくると龍に関係しているからテンション上がります!
祝福してくれたんでしょう。
次回に続く。