比叡山には「魔所」と呼ばれる場所があります。
なんだかワクワクしますね!
今回はその魔所と横川エリアの紹介です。
<籠の丘(かりごめのおか)>
東塔→西塔を少し過ぎた比叡山ドライブウェイの横川道路沿いにある小さな広場にあります。
比叡山には三大魔所と呼ばれる所がありますが、更にもう1つ、公式にはない四大魔所と呼ばれているのがこちら。
ここが公式から外されている理由は最も危険な場所?という理由らしいですが。伝教大師最澄が、都の南東(巽)にいた魔物を狩り、北東の位置(艮:うしとら)に埋めたという伝説があります。
高さ1メートルほどの錘形をした3つの石が約9メートル間隔で置き、その3つを直線で結んだ正三角形の中心に魔物を封印されたとしています。
千日回峰行の際、真夜中にこの地を僧が通り過ぎる時、必ずこの場所で提灯の蝋燭を取り替え、古い蝋燭をこの石のそばに置いて法華経を唱えながら去るとか。
<籠の丘(かりごめのおか)>
到着し辺りを見回してみましたが、魔所?とは程遠く、ゾクゾク悪寒が走るようなこともなく、むしろスッキリと気持ちがいい場所。
ただ、石の近くまでは行きませんでした。入ってはいけないような気がして。
ここの下に魔物ではない存在が眠っているの可能性もあります。
魔物というよりは要のものを敢えて封印しているようにも思えました。
例え良い存在だったとしても、その封印が解けた時は大きな力が働き、地震とか天変地異が起きたりするものなので、宇宙的異変が起きるその時まで封印されているのかもしれません。
<三大魔所とは>
①<天梯権現祠(てんだいごんげんほこら)>
坂本から根本中堂への古い参拝ルート「本坂」。その途中にある「天梯権現祠」の小山には天狗が棲んでいて比叡山と中国の天台山を行き来したと伝えられています。
②<慈忍和尚廟:(じにんかしょうみびょう)>
こちらは既に紹介した一つ目一足の妖怪「慈忍和尚」(じにんかしょう)の廟のことです。時間があれば行きたかったですね。
③<元三大師御廟:(がんさんだいしみびょう)>
横川エリアの北側の山道にあります。
その横川へこれから大急ぎで向かいました。
16時30分までに入らないと閉まってしまう。16時過ぎになんとか到着。
東塔とは打って変わって人の気配が無く静かです。
駐車場には2、3台の車しかありません。
出ました妖怪案内板!<蛇ヶ池>
その昔この池に大蛇が住み着き村人に危害を加えていた。
「俺には何でもできるのだ」」と豪語する大蛇に元三大師良源は「ならば大きな姿になって見せよ」と命じた。大蛇は横川中堂をひと巻きする程の大きさに変身して見せた。
良源は「今度は私の掌に乗る程小さくなれるか」と尋ねた。大蛇は「容易いこと」と瞬く間に小さくなると、良源の掌に乗って見せた。
その瞬間良源は法力で大蛇を封じ込めた。その後、改心した大蛇は横川を訪れる人々の道中の安全と心願成就の手助けとなった。《その手に乗るな》という言葉はこの問答に由来する。
なかなか面白い話しです。
神社があるので近づいてみると、薄々感づいていましたが、八大龍王の神社!<龍ヶ池弁財天社(龍ヶ池八大龍王)>
オーブや小さい龍が飛んでましたね。とても静かな場所で池にはおたまじゃくしが沢山いましたよ。その八大龍王が大蛇だったってこと?
奥へ進むと元三大師堂へ着きました。<四季講堂(元三大師堂)>
第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれた横川。
そしてこちらは魔除けの角大師で有名な元三慈恵大師良源を祀っている元三大師堂です。
どこを見ても古い。
タイムスリップした感じ。
<角大師>
平安時代末期、元三大師良源が73歳の時に世に疫病が流行り人々は大変苦しんでいた。
この難局を救う為、良源は大きな鏡に自分の姿を写し疫病退散を念じた。
するとそこには骨ばかりの恐ろしい姿が写し出されたという。
その姿を版木に刻ませお礼に刷り配ったところ、疫病は元よりあらゆる災厄から身を守ることができたことから、今もなお、お厄除けの元三大師として篤く信仰されている。
比叡山は最澄だけは名前は知っていましたが素晴らしい高僧が沢山いらっしゃったようで
知れば知る程興味が湧いてきました。
続く。