曲木神社(まがきじんじゃ)海を守る孤島の神社

御釜神社を出て、鹽竈神社第一駐車場へ戻り、そこから車で6分。

鹽竈神社境外末社、籬島(まがきじま)にある鹽竃神社十四末社の一つ曲木(まがき)神社へ向かいました。

曲木漁港内にある籬島(まがきじま)
弁財天神社のように島の中に神社あります。

海が綺麗!!透き通っています。
あの震災を経てこんなに浄化され綺麗になったんですね。

早速、橋を渡って上陸。

可愛い鳥居に迎えられます。

正直、不成仏霊とかいるのかなと思ったんですが、足を踏み入れた時、とてもクリアで良いエネルギーに満たされていました。

<御祭神>
曲木大神
鹽竈大神
奥津彦大神
奥津姫大神

ご挨拶と祈りのワークをさせて頂きました。
神社の後ろにも小さな祠がありましたね。

神社を背にするともう1つ鳥居があります。
こちらは海に向いています。

海の方を見ていると羽衣のような絹に触れたような感覚がありました。
女神が降りて来ているような優しい調和のエネルギーを感じましたね。

その鳥居と社殿の間に祠が。こちらは少し「気」が強かったです。

この曲木(籬:まがき)には下記のような伝承があります。

<伝承>
古今塩釜の浦辺では、塩土翁神により諸所で製塩がはじまり、人々が集まって浦は平和に集落が出来た。

そこへ害鳥が現れた。この鳥北方は盛岡方面の蝦夷地より飛来した、食料を次から次と襲
っては消えた。

このとき、塩社祖神の塩竃様、籬島に籠り、矢を射たところ、怪鳥の眼にささり、怪鳥は暫し湾内をくるくる廻った末、桂島に落ちた。(怪鳥の名はウトウ?とも)

桂島の神は、この矢を抜き取り替わりに自分の矢をさしておいたから、塩竃様から出入を
差し止められたという。

この二神姉弟の神とも言われ、ともに海路東北開拓に当地に来られたが、行手の山に危険
を感じたか(上陸)弟神のみが先行することになり、姉神は途中の島にふみとどまった。

桂島の人々が、塩竃様にお参りしたとき、破魔矢を受け申さぬ習俗があるとは、籬島を取り巻く、こうした俗説に起因したものであろうか。

さて、曲木のこと松島町誌は籬は曲木であってとし、この島に曲がった木ばかりで造った
社があり、曲木のお宮と呼んでいたのを後の文人が都風に籬の字を当てた。

また、別の伝説として、塩竃様がこの島を訪れたとき、そこの人達が穴居生活で不潔な暮
らしをしていたので、家を建てる術を教えた。人々は曲り木を組み合わせて住んだので「曲木神」の称号を授けたので曲木島となったと書かれている。

この兄弟の神様のことが、奥津彦大神奥津姫大神のことと思われます。
海とここの地域の人々を守っているのでしょう。

<震災時の被害>
塩竃市は震災の時は多くの車が流され、市内にも勢いよく津波が押し寄せていましたが、宮城県の10,571人死者数のうち、塩竃市は47人で、海の傍は住宅も密集し、ショッピングセンターもありましたが、他のエリアと比べて被害が抑えられていたように思います。
勿論、半壊・全壊などで甚大な被害であったことは言うまでもありませんが、その中で命が助かった人が多かったのは神々が救って下さったからでしょう。

続く。次は石巻市へ移動。

<ワークのご案内>
無償ワーク
開催日:2024年8月8日(木)21時00分~(15分)
申込締切日:2024年8月8日(木)20時30分まで
https://pikaichi369.com/7sensesm/

有償ワーク
開催日:2024年8月8日(木)21時30分~(30分)
お振込締切日:2024年8月7日(水)迄
金額:5,000円

特別価格で半額です。この日を過ぎると
通常価格10,000円となります。
お振込み確認後、エネルギーの受け取り方法を
メールにてご案内致します。
 https://pikaichi369.com/7sensesy/
<詳細はこちら>
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