比叡山6:横川(よかわ)不思議な声


元三大師堂を出る時、大きな大蛇のような龍雲が出ていましたね。


<元三大師(がんさんだいし)>
元三大師は正月の3日に亡くなったことから元三と称されている。少年の頃比叡山へ入山
し早くから才覚を表し学問・修行の興隆を図り人材の育成に力を注ぎ比叡山の最盛期を
築き上げたことから「比叡山中興の祖」と呼ばれている。
門下3000人と言われ、この中には日本浄土教の祖と言われる恵心僧都(えしんそうず)
源信をはじめ、幾多の名僧を排出。
大師はこの横川に住まれ優れた法力を得て種々の霊験を現わされ、仏法を守護し多くの人々を救い護り導いた。
生まれながらにして如意輪観音の化身と仰がれ今日も「厄除け大使」「角大使」として信仰を集めている。
また大使は我が国における「おみくじ」の元祖としても知られる。

おみくじやればよかったな~。
「角大使」と呼ばれる程、自分を魔物の化身に変じ、魔物をも退散させるという凄い法力を持っていたそうです。
そんな元三大師御廟へ向かいます。

どれくらいの距離があるのかさっぱりわからず先が見えないだけに不安。
とにかく行ってみる事に。
思ったよりも距離はそれほどでもなく足早に進んで6、7分くらいだったでしょうか。

元三大師御廟>
ひっそりと奥まった山の中にありました

綺麗に掃除されていて、とてもクリアな空間です。
シーンと鎮まって何も聞こえない聖域。
紫色とピンク色と金色の光が揺らめきました。とても暖かなエネルギーに包まれた感触
があり、元三大師はとても愛の深い優しい方だとこの時感じました。
鬼門に当たるこの地を自らの墓として死んでもなおこの国を護る元三大師。その思いがひしひしと伝わって心から感謝すると共にささやかながら光の柱の強化ワークをさせていただきました。

奥にお墓があるのですが、タイムアウトで戻らなければなりません。
今思えば行けば良かったな~。

また機会を作って伺うことにしましょう。

帰り道は分岐点まで来てすぐに横川中堂が見えて来ました。
<横川中堂>
遣唐使船をモデルとした舞台造りだそうです。

<不思議な声>
もう少しで駐車場に着くという帰り道。
突然女性の声が斜め右上から聞こえてきました。私と姉は暫くしてから「声が聞こえるね」とお互いに認識して後ろを振り返りましたが、誰もいません。
林の方とか、辺りを見回しても私達以外、誰ひとりいない。
でも女性が何かしゃべっている声が聞こえています。年齢的には30~40代くらい。
その声がひとりのようなふたりのような。以前にも似たような経験があります。
それは岐阜の伊奈波神社に行った時のことです。あの時も女性の声が聞こえてきました。

嫌な感じはしない。
私達が移動しても同じ距離を保ちながら声の大きさも変わらず聞こえてきます。
特に浮遊霊とか悪霊の類ではありません。何か話しかけられているのかな、と耳を澄ませてみたものの、一体何を話しているのかが聞き取れませんでした。
その声は途中でプツリと聞こえなくなりました。

でも女神のような姿が見えたのでおそらく高次元の存在が祝福してくれたのだと思います。まだ日は昇っており明るいものの夕方でもあったので「これからは魔の時間帯になるから、山を早く降りて気を付けてお帰りなさい」という感じがしました。
ビジョンでは神話に出て来るような女神がと、もう1枚は赤ちゃんを抱いているが見えました。
赤ちゃんを見せたのは潜在意識の殻が剥けて新たな光を見出した、波動を高く持ちなさい。ということと解釈しました。赤ちゃんは波動がとても高いですからね。
この地を護る女神かもしれませんね。

有難くお辞儀をして横川を後にしました。
見上げると彩雲が出てました。横川は東塔地域から、シャトルバスで15分。
徒歩にて100分以上(東海道自然歩道)かかるそうです。
今回、西塔には行きませんでしたが、本堂は転法輪堂(釈迦堂)でご本尊の釈迦如来、こちらも行きたかったですー。
釈迦堂は、延暦寺に現存する建築中最古のものだそうです。秀吉が1595年に西塔に移築したそうで、また延暦寺をしっかり回りたいです。

また、記載忘れていましたが、横川の参道にも名僧たち(道元ほか、親鸞聖人、道元禅師、日蓮聖人など)の生涯パネルが飾られているので、どういう人が存知ない人も分かりやすいかと思います。

延暦寺 横川
地図:〒520-0116 滋賀県大津市坂本本町4225 

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