熊野(2)文覚上人(もんがくしょうにん)

人を殺め、滝行では死んで命を復活させられたり、源頼朝との出会いなど、数奇な運命を辿る文覚上人の逸話をご紹介します。

文覚上人(もんがくしょうにん)

文覚上人(もんがくしょうにん)
出家前は「遠藤盛遠」(えんどうもりとお)

後白河法皇や源頼朝に重用された、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての僧侶で「神護寺」の興隆に力を尽くした人物。

<袈裟と盛遠>
遠藤盛遠は、上皇が居住する院御所の警備を担う北面の武士として鳥羽天皇の皇女・統子内親王に仕えていた。
同じ北面武士で従兄弟であった「源渡」の妻「袈裟御前」(けさごぜん)に一目惚れしたことで最悪の事態が。
彼女に「言うことを聞かなければ、お前の母を殺す」と脅して強引に迫ったという。困り果てた袈裟御前は、一計を案じて「私は夫ある身。それほどまでにお慕いくださるなら、夫を亡き者にしてください」と言い、「夫の寝所に忍び込んで、夫を討ってください」と持ちかけた。そして盛遠に渡が眠る位置を教えた。
深夜、渡の寝所に忍び込んだ盛遠。
刀を振り一太刀で渡の首を斬り落とした。しかし灯りで転がったその首をでみると、なんと袈裟御前のものだった。
袈裟御前は己の貞操を守るため、盛遠に嘘を教え、夫の身代わりとなったのだ。

この話は本当かどうか定かではないが、芥川 龍之介の小説や歌舞伎でも有名ですね。

<那智での荒行>
盛遠は自分の罪を悔やみ出家し文覚と改め、那智の滝で荒行に専念します。
那智滝の下流に文覚が修行をしたという「文覚の滝」が存在した。
*現在は台風12号による大雨で滝に巨岩が崩落し消滅。

滝壺に入って首のところまで浸かったまま数日。
何度か気を失いながらも耐え続けた挙句、とうとう息が絶えてしまった。
その時、滝の上から不動明王の眷属、矜羯羅童子(こんがらどうし)と、制多迦童子(せいたかどうし)がやって来て助けられた。
その体を撫でると生きを吹き返したという。
それが2度も生還したというから正に奇跡。
そのシーンが描かれた浮世絵が有名絵↑

<流罪先で源頼朝との出会い>
その後、「神護寺」の再興を後白河法皇に、「神護寺に荘園を1箇所寄付してくださらぬうちは立ち去らぬ」と強引に迫り続けたことで、ついには捕らえられて伊豆国へ流罪に。

伊勢国の安濃津から出航した後、遠江の天竜灘に差し掛かったところで嵐に遭遇。
文覚が船の舳先に立って、「聖が乗る船に危害を加えるとは何事か!」と大喝するや、すぐに波風がおさまったという。

そして無事に着いた伊豆国では、同じく流罪された源頼朝と出会う。それから数年、平家物語には、清盛が法王を幽閉したことに文覚が憤慨。文覚上人が懐から取り出した頭蓋骨を源頼朝の父「源義朝」の物と騙り、源頼朝に平家打倒の挙兵を促したと記されている。

<晩年>
頼朝が幕府を開くや、要人となって活躍する。
源頼朝が亡くなると、文覚上人は後ろ盾をなくし、朝廷の策謀によって佐渡へ配流させられた。
その後、帰京が許されたが、翌年には「後鳥羽上皇」の怒りを買い、対馬へ配流。
文覚上人は対馬へ向かう道中、九州で亡くなった。
承久の乱に敗れて隠岐国に流された後鳥羽上皇の前に、文覚が亡霊となって現れたと言われることもある。

この浮世絵からすると、体形は割とゴツい印象。
鎌倉殿と13人でも記憶に新しい人物。
とても情熱的で自分の意志を貫く怖いもの知らず。
自己中がやや目立って数奇な運命を辿るわけですが、あの滝行は凄いですね。

<水行について>
私も一時期は雪が降る真冬でも暖房を付けず、お風呂場では自分を清める為、お水を何度もかぶる水行をやっていたことがありましたが、真冬の滝つぼの中とはわけが違います。
命の危険も省みずそこまで没頭できる信念の強さに感服します。

ちなみに自宅で水行を行うにしても、きちんと身体に問題ないか医師と相談して行いましょう。
心臓麻痺や低体温症になる可能性があるので、必ず家族にも伝えておきます。

修験者で水行を行う際は御付の人やそれを指導する人が必ずいます。
肉体的な危険だけでなく、霊的には逆に滝に落ちている邪気を拾ってしまうからです。
ですから、滝行は生半可な気持ちではできないんですよね。

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熊野(1)役 小角(えんの おづぬ / えんの おづの)

役 小角(えんの おづぬ / えんの おづの)

さて、錚々たるメンバーについて、名前はなんとなく聞いていても、どういう人物かあまり知らないと思われる方も多いでしょう。
彼等のことを是非知って欲しいです!彼等はその時代の覇者で生き抜いた人だけにとにかくエピソードが凄い!ということで、今回は一部の方を紹介します。

役 小角(えんの おづぬ / えんの おづの)
修験道の開祖:役小角

飛鳥時代の呪術者で熊野~吉野の大峰山で修行を重ね、修験道の基礎を築いた。
<誕生>
母がある夜、天空に金色に輝く金剛杵が浮かんでおり、これが静かに降りてきて 口に入ってしまうという不思議な夢をご覧になられてご懐妊されたと伝えられている。
また産室にはまるで蘭の花の部屋にいるような良い香りが漂い、手に一枝の花を握ってお
生まれになられたといわれている。

<術者、超人>
鬼神を使役できるほどの法力を持っていたとわれますが、おそらくそうだと思います。
役行者は葛城山(金剛山)の岩窟で修行して孔雀明王の呪法を修め、 鬼神を使役して大峰山と葛城山との間に橋を架けさせようとした。また生駒山に住んで人を殺していた二鬼を調伏し、前鬼(善童鬼)、後鬼(妙童鬼)と 名を与え家来にします。

25歳のときに北の方角に霊光を見その光を追って摂津国の箕面山の大滝に至り、滝の上の竜穴(御壺)の中へ入って、龍樹菩薩の影現にお遇いになり修験独特の灌頂の秘法を受けられた。

*龍樹菩薩(ナーガールジュナ)とは
「八宗の祖師」又は「小釈迦(しょうしゃか)」と呼ばれ、お釈迦様がお亡くなりになってから700年後、南インドに現れた方でお釈迦様が『楞伽経(りょうがきょう)』で龍樹菩薩の出現を予言されています。
[未来にまさに人あるべし。南天国の中に於て、大徳の比丘ありて龍樹菩薩と名づけん。能く有無の見を破し、人の為に我が乗、大乗無上の法を説き、初歓喜地に住して、安楽国に往生せん。]

その後、羽黒、月山、湯殿の出羽三山、彦山、阿蘇、霧島、高千穂を回り法力を高めた。 葛城山では藤皮を衣として松葉を食物として修行に励まれ、また熊野から大峰山の深山に
入り、 金峰山上で蔵王権現をご感得。 伝説によると大峰山はお釈迦様が説法をされた霊鷲山が衆生を済度するために 日本に飛んできた土地といわれ一乗の峰とも呼ばれている。
大峰には金剛界・胎蔵界の諸尊が列座されていて、葛城山を顕教(法華経)の峰、大峰を金胎両部の密教の峰として 現在も峰入奥駈修行が行われている。

<入滅>
できる人はいつの時代も妬まれるものである。
699年の5月、彼の弟子の一人であった韓国連広足が、その能力を妬んで彼を讒言したため、妖術をもって人心を惑わす者として捕らえられて伊豆大島に流罪になる。

ここでも様々な霊験を示され、夜になると富士山に登って修行されたといわれる。後に疑いが晴れ、大宝元年(701)6月7日、御年68歳の時、 役行者は老母を連れ天上ヶ岳へお登りになり、 「本覚円融の月は西域の雲に隠るるといえども、方便応化の影はなお東海の水にあり」との ご遺偈をお残しになり、五色の雲に乗って母とともに天上にお登りなった。

宇宙人かな・・・💦
日本の成り立ちをおそらく知っていたのではないでしょうか。呪術合戦みたいなことを繰り広げていたように感じます。霊場を守る為に色々と結界を張ったのでしょう。それを空海が引き継いだのかどうかは分かりませんが空海も同様のことをしていたと思われます。

日本の行く末を案じアセンションに向けて私達に働きかけ支援し続けている重要な存在です。

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那智の滝(2)那智の滝に現れる神

坂を下って真っすぐいくと祈願所が見えて来ました。

神霊石(みたまいし)

丸い玉がありますね。
案内版には「神霊石」とあります。
平成23年紀伊半島大水害の復旧作業中に瀧元に出現した霊石
御瀧の清浄な水で長年磨かれ球体になったとのこと。
おそらく水害のタイミングで現れたということは、元々この球体が古代からあり、これからの時代に必要だから出現したのでしょう。
これを見て大御(おおみ)神社を思い出しました。
大御(おおみ)神社も綺麗な球体の玉がありましたね。
そちらは縄文時代の頃のものだと分かっています。

神霊石は自分の中の電気が生じるエネルギー、電子的な部分を整える感覚がありました。
人の中に眠る龍のパワーを活性化させてくれているのかもしれません。

錚々たるメンバーです。
ただ、これだけのメンバーが揃い、滝そのものが御神体なのは分かっていますが、何かがひっかかる。

ご挨拶と祈願をして天人地のワークをさせて頂きました。
参拝客が数人来たので、長居ができず一旦滝の方へ戻りました。
そして舞台の方までやって来ました。

滝を眺めていると、ふと左の丘に動くものが。
鹿ですね。2頭いますね。滝とコラボしてくれました♡

この滝のバックの岩が観音様のように後光が差した光景で水の勢いによっては巨大な神様が立っておられるように見えてハッとしました。
ちゃんと姿を現わされている。
(雨が降って水流が多い時の方が分かりやすいです)

神様(いわゆる地球外生命体のETのことですが)本当に見上げる程、巨大なんですよね。

そろそろ帰ろうとしたところ、赤い袈裟を来たお坊さんが遠くの方で(こっちに来なさい)と呼んでいるようでした。(勿論、実態がない存在です。)
行ってみると先程の祈願所でした。

(もしかして空海?)空海似のお坊さんだったんです。
そこでもう一度ワークをさせて頂きました。
すると急に頭とハートが熱くなり、刺激的なエネルギーが流れ込んできました!
どうやらギフトを頂いたようです。

ここに来てしっくりこなかった理由がなんとなく分かってきた・・・。
大己貴命はもしかしたら素戔嗚尊のことではないかと。
素戔嗚尊は世界の主要な場所にボルテックスを設置しており、ここもその1つ。
役小角も空海もそのことを知っている筈。
しかしこの那智では彼の名前の記載がありません。
これまでの神社にはほぼありましたね。
この「大己貴命」は役職名で素戔嗚尊のことではないかと察知しました。
こうして名前を変えるか、隠すか何か理由だったのかもしれない。
そうでなければこれ程までの高僧たちが熊野にやってくるわけがありません。

また、熊野本宮、速玉、那智大社にはそれぞれ牛王神符があります。
義経が頼朝に牛王神符で忠心を訴えたことや赤穂浪士がこの牛王神符の裏面に血判状をしたためたことでも有名な牛王神符。
「牛王」といえば素戔嗚尊。
牛頭天王で知られていますね。
そうした点からも素戔嗚尊が符合しますので、やはり素戔嗚尊が祀られている。
という事はこの熊野のご神体は素戔嗚尊であの滝に見えたのは素戔嗚尊だったのではないか・・・。

ここでちょっとお伝えしておきたいのが、スピリチュアルに猛進する人と毛嫌いす人がいます。
それは「これが正しい」「これは間違っている」と無意識に二極的に選別するからです。

私は日本全国巡った土地や神社仏閣で感じた事や文献より総合的に導き出したことから、自分が感じたままを伝えています。それが正しい答えであるとか、間違っているとかは正直分かりません。
なぜなら宇宙は時間の概念が無く並行世界というパラレルがあることで年代が合わなかったり、見る世界が人によって違ったりするからです。
または悪霊や悪意のあるETが良い存在を演じたり、もっともらしく吹き込む場合もあります。

ですので、「これが正しい」と結論付けて猛進すると自己論を主張して視野が狭くなる為、注意しないと誤った路線へ突き進んでしまうことになります。
(というつつ、これまでも確信めいた感じで書いた記事はありますが💦)
ただ、素戔嗚尊に意識を向けると、心の中心がぶわっと熱くなる為、その自分の感覚を信じるしかないんですね。
ですので、自分の感覚を研ぎ澄ませていくと宇宙と繋がり自分の求めている答えが分かるのではないかと思っています。

そしてこの熊野の地に多くの高僧が訪れて修行していることにも着目したいです。
何故、これだけの高僧が来たのか、彼等は何のために、何をしにきたのか、こうしたことが歴史を紐解くきっかけになりますが、史書は噂であること無い事を書いたりするので、参考にしながらも、自分の心に問いかけることが一番いいと思います。
(なぜかこの人が気になる)という人物がいたら、あなた自身が魂の記憶でなんらかの関わりがあったのでしょう。

帰る時にもう一度滝を見て神様や高僧たちがここへ託した思いを感じながら熊野那智大社へ向かいました。

次回は高僧たちの一部を紹介します。

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那智の滝(1)飛瀧神社

那智の滝

前日の玉置神社~神倉神社でそこそこ疲れていましたが、今回もどうしても外せない所!
ワクワクしすぎて早朝暗いうちから出発。
到着が大分早過ぎて結局車中で夜が明けるのを待ちました( ˘ω˘ ; )・・・。
ようやく空が白み始めてから神社へ向かいました。

飛瀧神社

那智の大滝は那智48滝の「一の滝」
熊野灘から上陸した神武天皇が、那智山に光輝くものを見て探し出し、大滝を見つけて神として祀ったのが由来とされているそうです。

30分くらい天人地のワークをさせていただきました。
凄い風が吹いてきて水飛沫がこちらへ流れてきました。お祓いして頂けたよううです。
そして雨が降って来ました~(・∀・)ノ龍神様のお出まし♡
湿った空気がとても心地良いです。
結構濡れてきたので一旦宿へ帰りました。

飛瀧神社

再び参上。こちらが一の鳥居です。
朝は真っ暗でガスも多かったですが、すっかり青空が見えてます。
ここから入って階段を降りた先に那智の滝があります。
左が有料の駐車場になっています。
反対側の坂を上った突き当りにも駐車場があり、その他途中にあるいくつかのお店が経営している駐車場もあります。

ここの森はとても居心地がいいです。
体を纏うエネルギーフィールドの領域をクリアーにしてくれます。

滝を正面にして左手に社務所があります。
社務所が開いているので滝が近くに見える所まで行ってみましょう。
3、4分で行けるかな。

お金を払って小皿を頂きます。
参入料  大人:300円
     小中学生:200円
     未就学児:無料

延命の水

歩いて直ぐの正面に水を吐き出している白龍さんがいます。
「延命の水」と言って大滝から引いたお水を先程のお皿に入れて飲むことができます。「延命」のご利益を頂けるほか、お皿もお土産に持ち帰りできますよ。
左側にも龍さんがいます。
続いて御滝拝所舞台の方へ。
(画面中央左の赤い舞台のような所)

滝が随分近くなりました!

高さ133m・銚子口の幅13m ・瀧壺の深さは10m以上

やはり近いと迫力も増します。
落下する水量は毎秒1トン。

ちなみに日本三名瀑は
日光の華厳の滝
熊野の那智の滝
奥久慈の袋田の滝

水飛沫が霧となってかかって来て
気持ちがいい~(^^しかし、「気」が凄いな(๑º ロ º๑)〣

皆さんはこちらを見て何か感じませんか。
私と姉は直ぐに「修験者がいる!」と口を揃えていました。
修験者がまるで列を成して滝行をしているようです。
この角度よりは一の鳥居から森を下って滝が正面に見えた右寄りの方が分かりやすいかもしれません。

この岩盤みたいな岩に修験者が刻印され一枚の壁画のようになっていましたが、おそらく、彼等の思いがその姿を形として岩に映されたのでしょうね。
この土地自体も守護しているようです。修験者のエネルギーがとても強く感じられました。

左上に鳥居があるのでそちらへ。
「瀧」が御神体なので拝殿はありません。
こちらでも同様にワークをさせて頂きました。
姉がお酒をご奉納しようと置いた時、「ここじゃないみたい、置くとこがあるみたいだよ。」
私の守護霊がそう教えてくれたのでそう言ったものの、どこに何があるのかさっぱりわからない。取敢えず、探しながら下へ降りました。

ねじねじの樹

勝手に「ねじねじの樹」と呼ばせて頂きます。
磁場が強いことが分かりますね。
それとやはり龍のエネルギーが影響しているのでしょう。

こちらは岩を抱えるように根がが生えてますね。
こういう植物を時々見かけますが、
龍王神社にもありましたね。
植物は知性が高いので、岩から出るミネラルや鉱物のエネルギーを受け取っているのかもしれません。

坂を降りて行くとなにやら社が見えてきました。
こんな所に小さめのお社が。
つづく。

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【再臨の火】冬至ワークのご案内

来週12月22日(金)冬至の日に一斉ワークを開催致します。

今回は「火」をテーマにそれぞれの火のエレメントの特性を活かし、私達がそもそも持っている(陽)の要素を引き出して、魂の記憶を呼び起こすとともに、集合意識の和を繋げていくことを目的にしています。

目醒め切れていない人や何かしなきゃいけない気がするけど、何をしたらいいのか分からない人等、潜在意識を目醒めさせ、あなたの中に内在する光を顕現化するワークとなっています。
無償・有償ワークがありますのでご確認下さい。

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神倉神社:ゴドビキ岩 熊野速玉大社の元宮

神倉神社:ゴドビキ岩 

神倉神社:ゴドビキ岩

今回どうしても行きたかった所。
熊野速玉大社から車で4分南へ行った所の山の上にあります。

西側に配された権現山(神倉山)に鎮座する神倉神社。
熊野速玉大社の境内摂社であり元宮でもある。
熊野の神が降臨し、後に新宮へ遷都して熊野速玉大社が建てられました。

狭めの駐車場は太鼓橋神橋を渡たる手前の左手に2か所あります。
太鼓橋神橋(しんきょう)へ向かう時から気が高く渡った時はビリビリきてました。

猿田彦神社・左手に神倉三方荒神社

橋を渡って正面の猿田彦神社。
左手に神倉三方荒神社があります。
右後方に滝がありました。(ここで清めるつもりで)

ご挨拶をしていざ振り返ると岩の階段が連なっています。

石段は538段。
まぁ、これくらいなら大丈夫でしょ、と最初は普通に上っていきましたが、そもそも不揃いな岩が組まれていることと、幅が狭いこともあり、途中から手を使って這い上る形になりました。(杖も置かれていたと思いますが、手を使って上るような体制になるかと思うので行かれる方はご自身の判断で)

この岩は花崗岩を組み合わせて築かれているそうで、この山に岩を運んで築くのは大変だっただろうなと想像しながら上ってました。
それに比べたら上ることがいかに楽か、本当に昔の人がこうして築いて頂いたおかげで参拝できて有難いですね。

目的地の半分まで行かない所で境内社(左)火神社と(右)中ノ地蔵堂があります。

火神社が強烈でした。写真がボケてしまったので掲載していませんが、多くの修験者やこの地を守る人々が魂を清め願いを込めた思いなどが感じられ、とてもこの地を大事にされていることが伝わってきました。

満山社

暫く進むとやがて平坦でゆるやかな道に。
こちらは上ってきたところを振り返って撮った写真です。

更に進むと鳥居が見えて来ました!

鳥居から20分弱で着いたと思います。

神倉神社

おお~!これは凄い岩!Σ(゚Д゚)!!
大きな注連縄を腰に巻いているような感じ。

神倉神社はゴトビキ岩「琴引岩」が御神体とされています。
このゴトビキとはヒキガエルのことで新宮地方の方言だそうです。

岩の上が綺麗に切られたようなお茶碗のような形をしていますね。
御神体というか、乗り物(UFO)のようにも見えます。

早速階段を上がってみました。

わぁー海が見えます!市街が一望できますね~。
真ん中の左側にある小さい三角の山は「蓬莱山」
秦の始皇帝の命を受けて不老不死の仙薬を探しに徐福の一行が蓬莱山を目指して上陸したとされますが、この小さい丘が果たしてそうだったのか。
一説には富士山のことではないかとも言われていますね。
蓬莱山は古代より神が降臨する霊山であり祭祀の場でもあります。

<御祭神>
高倉下命(たかくらじのみこと)
天照大神

強い風が吹いてきて、場所も狭いので長居はできませんが、しっかりお詣りさせて頂きました。

天磐盾の崖に聳え立つ高倉神社はバックにゴドビキ岩を背負っているようにも見えて迫力があります。

更にもう一か所、祭祀場があります。
最初はどう行けばいいのか分からず、赤い塀の裏側へ行ってみたんですが、途中から倒木や草が生い茂り行けなくなってました。マムシがいるそうなので草の方は行かない方がいいです。

気を取りなおして、この辺かなと思って上ったところにありました。
鳥居方面まで戻って上記写真の矢印の辺りから上がって行きます。
道になっていないので分かりにくいですが。

ここを進むとゴドビキ岩方面へ出ます。

祀事場

ここに大きな岩があり銅鐸破片の見つかった古代祭祀場があります。

ゴトビキ岩の根元周辺には平安時代の経筒が多数発掘され、更に下層からは銅鐸片(22ヶ)や滑石製模造品が出土していることを後で知りましたが、確かにここには古代のエネルギーがありました。

帰ろうとした時、足元にピュッと何かが出てきてびっくり!
よく見るととかげちゃんです!
今回はカナヘビさん。いつもは青いしっぽの子が多いのですが、今回は緑と紫がかったと
ても美しい色の子でした。
足元にいて私が動いた為、岩に隠れてしまいました<( ̄口 ̄||)>!!!オーノー!!!

この山が源となって発信されたエネルギーが熊野に広がっていったように思います。
そして修験者の迫力を感じます。
怖く厳しいものではなく、信念を持って逞しく生きる力強さを肌で感じ取りました。
ここも何れ動き出すのかな、という感触です。

※御朱印は熊野速玉大社で頂けます。
※ちなみに帰りの方が降りるのが大変だと思ってましたが、降りる方が楽でした。
でも足を痛めやすいのでご注意ください。

<神武天皇が登った山>
神話では神倉山は、神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あまのいわたて)の山であるといわれ天照大神の子孫の高倉下命が神武に神剣を奉げ、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされています。

<例大祭:御燈祭り>

2月6日夜行なわれる例大祭。
白装束に身を固め祈りを込めた松明を持った上り子が、急峻な石段を駆け下りる。
1800年以上の伝統があり、全国に伝わる火祭の中でももっとも勇壮な炎の祭典として名高い。

名称:神倉神社
住所:和歌山県新宮市神倉1丁目13−8
社務所:有り
トイレ:有り
地図:Google マップ

つづく。

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熊野速玉大社:熊野神社の総本宮(和歌山県)

熊野速玉大社

ここもまた以前から伺いたかった神社。
熊野三山のひとつ熊野速玉大社。
全国数千社の熊野神社の総本宮です。

ここは昔、川があったんでしょうね。
現世と神界を繋ぐような橋。

今から約2000年ほど前の景行天皇58年の御世に、熊野三所権現が最初に降臨せられた元宮である神倉山からこちらへお遷りになったそうです。

八咫烏神社

こちらにまず最初にご挨拶。
大きなヤタガラスさんが2体出て来てバサバサと羽を羽ばたかせてましたね。
隣には手力男神社もあります。 

カラスで思い出すのは北欧神話に出て来るオーディンに仕えていた2羽のワタリガラス。
フギン「思考」を、ムニンは「記憶」の意味を持ち、世界中を飛び回ってオーディンへ様々な情報を伝えていたという。
神武天皇へ道案内した八咫烏とかぶります。

実際カラスは大変賢く、カラス同士のネットワークが緻密で情報の取得も早いそうです。そうした能力を買われ、古くから神々のサポート役をしていたのかもしれませんね。

境内は広く熊野本宮大社みたいな構図です。
色々なエネルギーがありますが、どっしりと力強さを感じます。

(上四社)第一殿 結宮:熊野夫須美大神 第二殿 速玉宮:熊野速玉大神

<御祭神>
結宮:熊野夫須美大神(イザナミノミコト)
速玉宮:熊野速玉大神(イザナギノミコト)

イザナギは大体優しくて凄く心地いい
印象のエネルギーですが、こちらは結構強くてビリビリきました。
中から光の玉がいくつか出て来て祈願を受け取って頂けました。

(上四社)第三殿 証誠殿 

<御祭神>
家津美御子大神(スサノオノミコト)
国常立尊

こちらも強い男性性のエネルギー。
迷いを断ち切ってくれる勢いがあります。
白黒付けたい時、決断したい時に勇気をくれる、後押ししてもらえる、そんなパワフルさを感じます。

当初はイザナミ・イザナギ・スサノオだけだったそうですが、平安時代に12神殿になったとのこと。ギリシャのオリンポス12神みたい。

(上四社)第四殿 天照大神

<御祭神>
天照大神
第四殿 神倉宮には高倉下命が祀られています。

(中四社)

<御祭神>
第五殿 禅児宮:天忍穂耳尊
第六殿 聖宮:瓊々杵尊
第七殿 児宮:彦火火出見尊
第八殿 子守宮:鵜葺草葺不合命

鹿児島の神社へ伺った時に度々登場した神々。こちらの神々はなんだか楽しそうで想像しい印象がある神々ですが、ここでは静かでした(笑)

(下四社)

<御祭神>

第九殿
一万宮:国狭槌尊(くにさつちのみこと)
十万宮:豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)

第十殿 
勧請宮:泥土煮尊(ういじにのみこと)
第十一殿 
飛行宮:大戸道尊(おおとのぢのかみ)
第十二殿 
米持宮:面足尊(おもだるのかみ)


早々たるメンバーですね。
特に下四社の神々はお名前は聞いたことがあっても、中々祀られている所は少ないと思うので、こちらでお伺いできて良かったです。

御神木:「梛」なぎ

<樹齢千年の御神木の「梛」なぎ>
古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしだったとか。

人々の安全を願って旅のお供をしてくれた御神木さんにお礼を伝え、私達のライトワークも最後まで無事に行えるよう祈願しました。

予想以上に素晴らしい神社でした。
つづく。

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玉置神社 トカゲのお土産【玉】

玉置神社の記事の時に最後にトカゲが駆けて来て、あるものを渡しに来たのですが、それに気付かず受け取らなかったので、夢で受け取ることになったという話の続きです。
ご覧になってない方はこちらをどうぞ。

玉置神社③不思議体験 玉石社(奈良県)

玉置神社のトカゲ

それは
 ・丸い玉のようなもので
 ・生命に関わるもの

だということも分かりました。
(えっ!?生命に関わる・・・)(・∀・;)
そんな重要なものを持ってきたのに、なんでそん時気付かなかったんかな~。

そこで寝る時に毎日私をサポートしている守護霊団に
「私が玉を受け取ったら、目覚めた時にその事を覚えているようにしてください」とお願いして寝ました。
ところが朝起きた時はぐっすり深い眠りに落ちていたせいか、真っ暗な画面しか思い出せない始末。
次の日も次の日も真っ暗で夢を見ていない。
「もしかしたら夢を覚えていないだけで、玉を受け取っているのでは?」と聞いてみたところ、「まだ」と言われました。

そして11月27日頃だったか。
久し振りに夢を見ました。
それは赤いご祝儀袋に似ていて両端に赤い縁取りがあり、中央に「串」というふうに書かれていました。
こんな感じで「玉」の字が大きく太く、「串」という字は果たしてそういう字だったかどうかも覚えていませんが、そんなような字が薄く小さくバランスが悪く、早い話、ちょっと下手でよく分からない字で書かれていました。(おそらく串だろうと予想)
それを大黒さんに似た人から渡されました。
(もしかしてこの中に例の「玉」が入っているのでは・・・)
私は袋の上から玉らしきものが入っているかどうか触って確認。
それをじっと見ていた大黒さんらしき人が、
「ああ、これ、玉は無いからね。」
と言われ、袋の中にある榊の映像を頭に送って見せてくれました。
(玉じゃ、ないんだ・・・)(꒪ꇴ꒪|||)

そこで目が覚めました。
「なんだ今のは!?」
なんかご祝儀袋に入ったものをもらったけど、玉串だったかな、あの字は多分・・・
玉串は儀式で使い、神に捧げるもの。なんで私に・・・。
(もしかして、玉じゃなくて玉串が渡すものだったのかな)
(でも、確か玉のようなものだよって言ってたけど)

それとも、これはこれで、玉は玉でもらうのでは・・・。
大黒さんみたいな人が「玉は入ってないから」って私が玉を探していたことを知ってた。
っことはやはり玉は別なんだ。
ところで、玉串は祀られる神やご先祖等の霊とそれを願う人との霊性を調整し繋げてくれるアイテム。
最近、私の数代前のご先祖様のことも毎日挨拶をして成仏できるよう唱えていたので、大黒様がプレゼントして下さったのかな。と思えばなんとなく理解できます。
これは有難いプレゼントです!

ところで、玉はどうなった!?
今度はハイヤーセルフに聞くと「まだ渡せてないよ」との事だった。

それから待てど暮らせど変化はなく夢も見ず。
玉置神社へ参拝したのが8月の初めなのでトカゲちゃんと会ってから、かれこれ4ヶ月近くになる。
玉の事は最近知ったとはいえ、ブログにも受け取ったらお知らせしますと言ってる手前
さすがに時間が経ってる為、
「いったい、いつになったら受け取れるのか。玉の話は本当のことなのか?それとも私は
既に受け取っていて覚えていないだけなのか」

などなど、守護霊団に畳みかけて聞いてみました。
すると、
「まだ受け取っていない。係の者が不在で渡せていないだけ。近々渡せるだろう」という回答。そういうことなら待つしかない。
そして11月の最終日。
深夜を回って眠りにつきました。

その日、宇宙にいる夢を見ました。
私と姉は15人~20人くらいのグループにいて、ある惑星からある惑星へとワープしてきた感じでした。
30代中~後半のストライプのシャツを着たスリムで黒髪の男性がいて、その人が引率の
先生みたいな感じでみんなを導いています。
彼がふと私と姉に気付いて、
「あ、そうだ、君たちに渡す物があったんだ」と、どこからともなく真珠のような玉(と言っても真珠の4,5倍はある)をいきなり姉の方に向かってふんわりと放り投げ、私にも同じように下から山なりにふんわり放り投げました。
(えっ!!いきなり投げるってどういうこと!?)
私は落とさないように慌てて手の平で受け取りました。

放り投げられた時にまるでスローモーションのように見えたので(ふんわりと)という表現になっていますが、その玉は白く発光しながら手の中にゆっくり落ちていったんです。
まるで生きているような息づかいを感じました。
(これはもしかしてあの玉!?生命に関係するとか言ってた・・・。
でも手渡しじゃないんかい!雑だな・・・)
何の説明もなく、その男性は「それじゃ次は〇〇へ行ってみようか」みたいなことを言い始め、そこでハッと目が覚めました。

(本当にもらった・・・)
私は布団から起き上がってました。
その後、ハイヤーセルフに確認すると、「受け取ったから、大事に持っておくように」とのことだった。
再度確認したら、何かの合図だかサインを送る為のものらしい。

ちなみに「真珠」は邪気を祓う力があります。
これは「真珠」に似たものですが、浄化をしたりするものではないようです。
とにかく無事に受け取れて、やっと報告もできましたのでホッとしました(*^ω^*)

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花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)(三重県)

花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)

熊野本宮大社から車を飛ばして三重県の花の窟神社へ。
こちらは海岸線にあり、道の駅が道路を挟んで隣なので分かりやすいですね。

石塔に彫られた神社名の上に「日本最古」と彫られています。

伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神である軻遇突智尊(カグツチノミコト)を出産した際に陰部を火傷して亡くなり「紀伊国の熊野の有馬村」に埋葬されたということで、こち
らがその陵墓になります。

そして父の イザナギが怒って天之尾羽張(アメノオハバリ)という十拳剣でカグツチの首を落とし殺した。
と古事記や日本書記に残され、殺されたカグツチもイザナミの近くに祀られています。

古事記や日本書記はかなり改ざんされている為この内容は私的には真実ではないと感じています。
一概に「史書」=「正」とは限らないのです。

普通に考えてもですよ、
生まれたばかりの無垢な我が子を問答無用でバッサリ殺せますか。神産み、国生みを担うほどの神様が。
最初に生まれたヒルコも奇形だから失敗したと言って流してますが、そもそもそこが妙で不自然です。

そして亡くなったイザナミの黄泉の国の話。
あれもイマイチ納得できないです。
地獄へ行ったイザナミを連れ戻しに来たイザナギに顔を見られ、恐ろしい形相になって
「あなたの国の人を一日千人殺してしまおう」と言うと、イザナギは
「それならば、私は一日に千五百人の人を生もう」と言い返しています。
それで一日沢山の人が死んで沢山の人が生まれるようになりました。
という話のオチがあるのですが、生と死に限らずこの世はバランスが取れるように働いて
いるので、どこかで誰かが死んだら、誰かが生まれるみたいなことは日常的に起きている
んです。
この神話の最後は憎しみ合って別れていて後味が悪いです・・・_( _* -﹏-)_ 

まぁ、そんなことはさておき、神社境内へ。
参道を進むと左手に稲荷神社の鳥居が連なっていました。

稲荷神社

早速こちらへ。
木漏れ日の中を進むとすぐに稲荷神社へ到着。

稲荷大明神

こじんまりしていますが、エネルギーが高くパワフルでしたね。
ご挨拶してワークをさせて頂きました。

竹が真っすぐと伸びて美しいです。
そして光に反射した灯篭の屋根から煙のような湯気のような真っ白ものが立ち昇って(写真では分からないですが)
見た事も無いような不思議な光景で、沢山の「自然の気」を充電させて頂きました。

そしてお隣は龍の神社

黄金竜神

こちらは「龍」ではなく「竜」と書きます。
ご挨拶して愛と癒しのワークをさせて頂きました。
黄金というか赤龍のイメージです。体がボワッと熱くなりましたね。

手水舎

手水舎の隣に丸い岩がありました。
大きくて重そうだけど今にも動き出しそう。
ここに何か(火に関係する)ものが封印されているような感じでした。
御神体の一部が崩落したものだそうです。

ここに来るまで森があるので岩がどれほど大きいかはわかりませんでした。

これが一枚岩だとは凄いですね。
高さ45m、長さ170m
巨大な一枚岩がご神体となってます。

上にある綱は7本のお綱を束ねたもので風の神、海の神、木の神、草の神、火の神、土の神、水の神の七柱の自然神を表しているとのこと。

手前にイザナミがお祀りされています。
んー、でもイザナミはここにいないみたいです。

そして対面はカグツチが祀られています。

軻遇突智尊(カグツチノミコト)

こちらは小さめの岩山がバックにありました。
愛と癒しのワークをさせて頂きましたがカグツチは火の神で躍動的。愛のエネルギー
がわぁーと降り注いできましたね。

御神体がこの地をお守りしているようでした。

イザナミはおそらくカグツチを産んで死んだわけではなさそうです。
黄泉の国にも行っていない。
そういう風にせざるをえなかった理由があったように思われます。
カグツチは火の神で人間のエネルギーには火も水も入っています。
カグツチは父のイザナギから殺されたのではなく、隠された(守られた)のではないかと。

何故ならカグツチが産まれることによって陽のエネルギーが強くなることを良く思っていない存在達がいたから。
いずれにしても私のチャネリングではカグツチはイザナギから隠されたということでした。

令和3年9月には御神体の一部が崩落。
封印された神々が動き出しているのでしょう。

花の窟神社HPより
例大祭:太古の昔から続く「御綱掛け神事」の様子

特別な田で作られたもち米の藁縄7本を束ねて、日本一長いともいわれる約170m
の大綱が作られます。
ご神体の45m近い高さから境内南隅の松のご神木へと渡します。
この大綱に、2月はツバキ、10月はケイトウを結びつけた3つの「縄幡」と扇を吊した縄
を作り付け、磐座の頂上から当社向かいの七里御浜の海岸へ、氏子らが総出で引き張
ります。

やっぱり御神体の岩が凄いかな。
畏怖の念を感じつつも吸い寄せられるような不思議な気持ちになりました。

つづく。

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熊野本宮大社(熊野三山)

熊野本宮大社

世界遺産熊野本館の向かい側、大斎原から500M離れた所にある熊野本宮大社。

長い階段~!158段だって。
でもまだここは短い方。後で行く神社はもっと長かった~_( _* -﹏-)_

熊野権現をお祀りしているということですが、熊野権現とは何か?
それは熊野三山の祭神である神々の総称のことです。

また、熊野三所権現という名称も聞きます。
これはイザナギ、イザナミ、スサノオの三柱のことです。

功霊社

戦争で亡くなられた方をお祀りしている功霊社

祓戸神社

祓戸神社でお祓いして身を清めてから本殿へ。

隋神門

こちらの門をくぐると結構広い境内へ出ます。
それぞれの神様の社殿が連なっています。

<上四社【本社鎮座】>
12柱の神様のうち上四社が祀られています。

①証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
②中御前(結宮・第二殿) 速玉大神
③西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神
④東御前(若宮・第四殿) 天照大神
⑤満山社         結ひの神(八百萬の神)

一番奥から手前までの4つの社殿がありますが、お詣りする順番があるんですね。
最初に右から2番目をお詣りします。

(本宮)家津美御子<けつみみこ>(スサノオ)

右から2番目にある家津美御子、つまり素戔嗚尊のことです。
ここでは親であるイザナギやイザナミを差し置いて何故スサノオを一番最初にお詣りするの?って思われるかもしれません。
スサノオは日本を活性化する為に凄く働いた功労者なんです。このアセンションを見越して各地にボルテックスを設定し次元上昇できるようしていたわけですが、邪魔が入って大変だったんです。

私の大好きな神様でもあるので、早速ご挨拶し、人々の幸せと覚醒を祈って天人地のワークをさせて頂きました。

スサノオはやりたい事や成りたいもの、目的を明確にして進む道を切り開くような強さと勇気を与えてくれます。
具体的にハッキリ伝えると神様も分かりやすいので、遠慮せずにどうなりたいかを伝えてみましょう。
ただ、スサノオは不在の場合が多い💦
ですが、代理の方がいらっしゃるのでお願い事はそのままお伝えすると良いです。

次にお詣りするのがこちらです。

(結宮)左:夫須美大神(イザナミ) 右:速玉大神(イザナギ)

一番左にある大きい社殿。
こちらにイザナギとイザナミが祀られています。
やはりお二人のエネルギーは優しさを感じます。
イザナミは何故か胎内にいる赤ちゃんをイメージしてしまいますね。
遥か昔に日本人が持つDNAが受け継がれているという感覚があるからかな。

イザナギもとても優しく心地良いエネルギーで包み込んでくれます。
包容力と安心感があります。心配事や誰かに相談したくてもできないようなときはイザナギ・イザナミにお願いすると良いでしょう。
私は両親のようにお二人のことを思っているので、そういう家族みたいな感覚でお話すると親身になって聞いて下さるでしょう。

最後にお詣りするのがこちら

(若宮)天照大神

一番右にある若宮の天照大神です。
天照大神が一番最後なのかと思われるかもしれませんが、天照大神は役職名で神様のお名前ではないんですね。
担当する神様が交代するので会社でいえば課長みたいな役職です。
でもどなたが担当するかで全くエネルギーは違います。今年伊勢神宮にお詣りした時は凄くパワフルなエネルギーになっていて驚きました。
明らかに違うので、ここ数年行かれていない方は参拝されてみると良いでしょう。違いが分かる筈です。

参拝順序はこちらを参考にしてみて下さい
熊野大社本宮のHP

⑤満山社

こちらは右側にあるお社です。八百萬の神が祀られています。
八百萬の神々様なのにお社が小さい!
緑が抜けるスッキリとした場所にありお詣りするだけで心が軽くなりました。

暫く境内にいると龍雲が出てきました。

龍雲が代わる代わる出て来て面白かったです。

熊野本宮大社を出て駐車場へ。
空にはいくつか龍雲が現れていましたね。
次は太平洋側にある神社を目指して出発!

名称:熊野本宮大社住所:
和歌山県田辺市本宮町本宮1110
社務所:有り
トイレ:有り
地図:Google マップ

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