放生津八幡宮の後、気多神社へ。
ところが凄い大雪になってしまい、しかも踏切で渋滞。10分程待っていたら、警察の方が来て踏切が通行止めになった為、迂回して欲しいと伝えに来ました。
迂回して向かったものの雪は吹雪と変わり、結構積もり出して来た為、本日の参拝は断念し明日へ変更。
こういう時は無理して行かない方がいいですね。行く途中でもっと大変な目に遭ったり、神社へ行けても神様が不在だったり、又は自分の準備が不十分だとワークもちゃんとできなかったりするんです。
この後、石川県に用事があった為、早めにそちらへ向かうことができ無事に着きました。
翌朝、吹雪はおさまっていたので、再び富山へ戻り気多神社へ。
以前、石川県羽咋市の気多大社のライトワークを行いましたが、こちらの気多神社は757年に越中国から能登国を分立する際、気多大社から分霊を勧請したものとか、718年に僧行基が創建したものとか言われています。
混んでいたら車は停めらないかも~と思っていたら駐車場はガラ空で、この後参拝したのも私達だけでした。
朝から神社内の雪かきを複数人の方がされていたので、楽に歩けました。
雨が降っていましたが、だんだん青空が見えてきて、やはり今日に変更して良かったです。
光が差しキラキラと輝いて綺麗でした。小鳥達の歌声も美しく、新鮮な気が流れていましたね。
さて、拝殿へと向かいます。
前田利常の祈願所だったそうで、越中国内で一宮を称する4社のうちで唯一、所在地名に「一宮」と言う銘号が入っているとの事。
主祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
奴奈加波比売命(ぬなかわひめのみこと)
配神
菊理姫命(くくりひめのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
ご挨拶とワークをさせて頂きました。
縄のふさの部分と紙垂(しで)が揺れてくれました。
紙垂(しで)が揺れると神様が受け入れて下さったという意味になります。
なんだかとても懐かしく感じました。
拝殿を出て右手の方へ向かうと大伴神社がありました。
お賽銭箱に自転車のキーワイヤー錠がかけられていたので、盗む人がいるんでしょう。
こちらもワークをさせて頂きました。歓迎の印の暖かいエネルギーを感じました。
帰りに参道を歩いていると、光が差し込みとても美しい光景~。
ここで暫く見惚れていました。
すると精霊が出て来て上の方へあがり、また下へ降りてきました。
小さくて写真では写っていませんが、蝶のような、羽のある虫のようものが光ながらとても速く動き、その速度も急に落ちたり方向転換もしたりしてました。(*^-^)
参道の階段を降りて右手(画面上奥)に駐車場、その左手前に「とやまの名水気多神社の清泉」がありました。ただ「生水なので煮沸して下さい」と書かれていたので飲んでいません。
ここの坂を降りた右手に社務所があります。
セルフ窓口でお賽銭箱にお金を入れて書置きの御朱印を頂いていきます。
境内には大伴家持の歌碑があり、
「馬並めて いざうち行かな 渋谿の 清き磯廻に 寄する波見に」
大伴家持が赴任して初の開宴時に読んだ歌とされ、渋谿の磯とは現在の雨晴海岸のこと。宴の終わりに、家持が「みんなで海を見に行こう」と歌ったものだとか。
ということで、この後、有名な雨晴海岸へ行ってみました。