お隣の塩竃神社へ。
階段を上がると楼門があります。後ろを振り返ると、長~い階段!
志波彦神社からそのまま来たので塩竃神社の表参道は実際はこんなに長い階段があるのです。
階段を上り楼門を過ぎると、よく手入れされた植え込みがあり、
いい顔してる牛さんがいました。商売繁盛の撫で牛さんです。
いっぱい撫でて喜んでましたね。
こちらの狛犬さんは迫力ありますね。
後で通った東参道には何体も狛犬がいて、結構古い狛犬ばかりでかなり歴史を感じさせました。
唐門を通ると広い境内があります。
境内の正面(写真では左手になる)
<左宮>御祭神:武甕槌神(たけみかづちのかみ)
<右宮>御祭神:経津主神(ふつぬしのかみ)
こちらの神社が珍しいのはなんと言っても主祭神の塩土老翁神(しおつちおじのかみ)が正面に配置されていないことです。
常に街や海を見下ろせるように、地震が起きそうになった時はすぐ出陣できるようにこのような配置になったのでしょうかね。
武甕槌神も経津主神もどちらの拝殿も光の設定をさせて頂きました。
神々様はやはり強いエネルギーだけにビリビリ。いつも地震が小さくなるよう祈っているのでその祈りのパワーを分けて頂けたようです。
<別宮>境内の右手にあります
主祭神
塩土老翁神(しおつちおじのかみ)
塩土老翁神とはどんな神様?
通常の道案内だけでなく人生の道標を示された神様として知られています。
<武甕槌神と経津主神の関係>
鹽土老翁神は東北地方を平定する役目を担った鹿島の武甕槌神と香取の経津主神を道案内をされ、シャチに乗って海路を渡ってきたと言う伝えがあります。
私の大好きなシャチに乗って来たとはなんとも羨ましいですね~。
<山幸彦との関係>
日本神話では、山幸彦が兄の海幸彦から借りた釣り針を返せず困っていたときに、海神の宮へ行く道を教えました。
<神武天皇との関係>
神武天皇が国の統治に適した場所を探している時に「東方に美き国あり」と伝え、神武天皇の大和東征を決意させました。
未知の場所に関する情報を提供していることから予言の神としても崇められています。
どことなく御塩殿神社 の御塩殿鎮守神(みしおどのまもりがみ)にも似ていてとにかくエネルギーが強いです。
塩土老翁神はこの地に留まり、漁業や煮塩の製造法を伝え、塩釜の地名の由来になったそうです。
<鹽竈桜>
別宮の斜め左には鹽竈桜があります。
花の色が濃くとても綺麗な桜!女神のような美しさを感じました。
花がとても可愛かったので「可愛い可愛い!」と言っていたら喜んでくれて一斉に風に舞い出し、あっという間に花びらの絨毯ができました。とても壮観でしたね~。
神様も素晴らしかったですが、一番感動したのはこちらの桜でした。本当に見事な散り方を見せて頂き、一生の思い出になりました。
(この一年、全力を尽くしなさい)
そんな風に思わせる力強い気を感じました。自分の人生、天命を全うし輝かしく散りたいと思わせる素敵な桜。
もし機会がありましたら、是非春に参拝されて、この桜の花達を見てあげて欲しいです。とても喜ぶと思います。
この桜の木はハートを浄化し愛と喜びを与えてくれます。
奥に別宮の本殿がありました。
多分神様は拝殿の方にいらっしゃったんだろうなと思います。
本殿からはそれほど強いエネルギーは感じなかったので。
<右宮>
社務所の先へ行くと摂社があります。
(神明社、八幡社、住吉社、稲荷社)
御神木もありました。力強いです。
高さ:31m
樹齢:800年
素晴らしい神社でした。
続く。
<由緒>
東北鎮護・陸奥国一之宮として崇敬されている。
平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された「弘仁式」に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記され、厚い祭祀料を授かっていた。
多賀城の地に国府が置かれると、その東北方向つまり「鬼門」に位置し、蝦夷の地に接していた当社が国府の守護と蝦夷地平定の精神的支えとして都から赴任してきた政府の人々に篤く信仰されたものと考えられる。
平成14年12月、本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門以下14棟と、石鳥居1基が、国の重要文化財の指定を受けた。