※最後に倶利伽羅龍王伝説の動画を付けて
ますので是非ご覧ください。
倶利迦羅不動寺(山頂本堂)
日本三不動尊の一つとして約1300年の歴史を持つ。
<日本三不動尊>
成田不動尊(千葉県)
倶利迦羅不動寺(石川県)
大山不動尊(神奈川県)
すでに体がビリビリ。西之坊鳳凰殿を上回る強さ。
鳥居をくぐる前、なんだか異世界に入るようでドキドキしました。
こちらの手水舎も可愛い!
それにしても・・・。
こちらの方が霊的になんやかんやいる。
人らしき姿もこの辺で一瞬見たが既に消えてるのであきらかにレイ。<手向神社石堂神殿>
御祭神:神功皇后 素盞嗚命
本殿は1614年加賀第三藩主:前田利恒が兄の前田利長の病気平癒を祈願して寄進した長楽寺不動堂で後の護摩堂になったもの。
こじんまりした神社ですが暖かみを感じましたよ。<山頂本堂>
北陸不動霊場、北陸白寿三十三観音霊場の札所
中は撮影していませんので写真は無いですが、お不動様を始め、阿弥陀如来、聖観音菩薩、毘沙門天、善無畏三蔵法師、弘法大師がお祀りされていました。
境内は強いエネルギーに溢れ、お堂の中に入ると更に強烈!Σ(-∀-;)
そして左側がもっと強い!!頭が痛くなってきた・・・。
しかしながら大好きな不動明王様なのでご挨拶をして時間をかけてお祈りさせて頂きました。
にしても未だかつてない程の強烈さ。後で延暦寺の根本中堂も強烈だと思ったけど、どちらも比べられない程凄まじかったですね・・・。
最後に菩薩様をお祈りしている途中でガタガタと窓ガラスの音が鳴り、床が揺れ出しました。(地震!?(*゚ロ゚)ハッ!!)
ちょうど住職が祈祷をしている最中でしたが構わず続行されてました。
震度3強くらいの体感。
山の上で木造建築ということもあって都会とは違う揺れの大きさだった。
意外と長くて気になったもののお不動様が護って下さると信じ、そのまま待っていると揺れは次第におさまっていきました。
落ち着いたところで光のワークをさせて頂きました。
地震はおさまっても頭痛は治まらない。もっと強まるばかりなので、本堂から出ることに。やっぱり外の方がいいかな。
うようよいるけど悪い霊ではない。
ちなみになんでもない空間で蜘蛛の巣に引っ掛かったような感触があるのは霊がいる証拠です。
こちらはお堂の隣です。<白寿観音>
<開運不動剣>
デカっ!ヾ(  ̄O ̄)
隣の銅像と比べるとその大きさが分かる
<五重の塔>
反対側に五重の塔。
中央に金剛界大日如来をお祀りしているそうで、立山連峰が見えるそうです。
立山には10回以上は行ったので懐かしいですが、生憎、立山連峰は見れませんでしたー。中々の眺望ですね。
一通りご挨拶をして鳥居を出ました。
振り返ると青空が写り込む参道と明るく見える鳥居。
到着した時は(ここ凄そうだし重い波動もあるなぁ)と思ったのでどうなることかと思いましたが、スッキリした様子でライトワークが順調に終わり良かったです。
左手にあった別の神社の鳥居の紙垂もしきりに揺れてサインをくれたので安心して次へ移動することにしました。
冒頭の鳥居の写真と大分波動が変わったと思いません?
青空も見えてスッキリしてきましたね。
山頂本堂はなかなか凄い所でした~。
霊はいるけど高次の存在もいて波動が高いのでまた来たいお寺ですね~。
倶利伽羅山 開山の縁起である倶利伽羅龍王伝説を現代風に脚本アレンジした動画を倶利伽羅不動寺が作成されています☟
<由緒>
718年に元正(げんしょう)天皇の勅願により、中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう:摩伽陀国の国王)法師が倶利迦羅不動寺の不動ヶ池の中から黒い龍(倶利迦羅不動明王)が天に昇ったといわれ、その姿を彫刻し奉安されたのが始まりと伝えられている。
この本尊が安置された奥之院は3年に1度開扉され、大法要が営まれる。
約100年後の812(弘仁3)年に、弘法大師が諸国を巡る途中で、不動明王を拝まれ、あまりの有難さに扉を閉めると、本尊と同体の不動尊像を彫り、御前立(おまえだち)の不動尊として安置されました。
1183(寿永2)年の倶利伽羅源平合戦の際、兵火に遭い多くのお堂や寺宝、記録などが焼失。その後、源頼朝(によって再興された。戦国時代(1573〜1592年)には衰退し、廃寺同然となったが江戸時代(1624〜1644年)に秀雅上人(しゅうがしょうにん)が再興し、さらに加賀藩主前田家の祈願所や参勤交代の休憩所となったことから、社殿の再建や寺領の寄進が行われ、寺運が再び隆盛した。
<倶利伽羅不動寺 奥の院(山頂本堂)>
住所:石川県河北郡津幡町倶利伽羅リ2
駐車場:有り
授与所:有り
トイレ:有り
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