中山半島にある十和田神社。
北東北の三大霊場と称され、古くから修験道の霊場として信仰されてきました。
一の鳥居をくぐると御神木が数本で迎えるように立ち、杉林が連なります。
何か時空が違うような妙な気の流れです。
この境内一体は、パワーがあるというよりかは、何か見られている気配、威圧的な目や底知れぬ力を感じました。
苔むす境内で拝殿もとても歴史を感じさせ趣があります。
<御祭神>
日本武尊
青龍大権現
平安時代の807年に、坂上田村麻呂が東夷征伐の際に日本武尊を祀り創建したとの事。
お参りしている時に、歌舞伎的な凄い形相の人がビジョンで見えて来ました。何か呪術的なものを使い、あまりいい印象がありませんでした。
ここの御祭神と逸話が関係しているようです。
十和田信仰(水神信仰)の中心として奥ノ院には十和田青龍大権現も祀られ、下記のような逸話があります。
八郎太郎と南祖坊
むかしむかし、熊野で修業をしていた「南祖坊」という修行僧が、熊野で権現様から「この草鞋を履いて諸国を修行し、草鞋が切れたところを住処とせよ。」と鉄の草鞋を授かり、草履が切れた所がやって来た十和田湖だった。
十和田湖には、秋田のマタギであった八郎太郎が姿を変えた龍が既に住み着いていたが、住処をめぐり八郎太郎と南祖坊の間で、七日七晩の激しい攻防戦を繰り広げた末、南祖坊が勝利し八郎太郎は八郎潟へと逃れた。
南祖坊は十和田湖へ入寂し、龍へと姿を変えて「青龍大権現」として祀られることとなった。
まんが日本昔ばなし 八郎潟の八郎
日本昔ばなしで紹介されていたとは知らずこんな話があったとは。
この話しには続きがあり、
秋田県の田沢湖には辰子とよばれる美しい龍神に、魅かれた八郎太郎と南祖坊が、再び争い、今度は八郎太郎が勝利します。
以後、八郎太郎は冬を中心とした年の半分を田沢湖で、残りの半分の期間を八郎潟で過ごすようになった為、田沢湖は冬でも凍り付くことがなく、八郎潟は主が半年間不在となるので年々水深が浅くなっていったと云われています。
南祖坊が青龍大権現の化身とされていますが、イマイチ謎めいています。(南祖坊が入水したという「占場」へは行きませんでしたが。)
十和田神社には鉄の草鞋が奉納されて実際に草履が沢山ぶらさがっています。
奥に見える本殿。
【熊野権現】
こちらに鉄の草鞋が奉納されているとか。
【稲荷神社】
直ぐ近くに十和田湖の御前ヶ浜があります。
あまり気が進まなかったですが、一応湖へ行きました。
心霊スポット「乙女の像」
ここは観光地だけに賑わっていましたね。でもこれまた異様な雰囲気。
不浄物霊がいますが、嘔吐が出る程、酷い所ではないです。
敏感な人は直ぐに気付くでしょう。
湖を暫く散策。
因みに田沢湖の「たつ子像」は共に高村光太郎の作品です。
心中事件
この十和田湖に向かう途中の山道でふと、男女のペアが頭に浮かびました。最初は楽しそうでしたが、その雰囲気が一変して寂しそうで、何か嫌な予感がしました。
姉は今回青森へ行く前に突然過去にある事件をTVで放送していた事が思い出され、気になって帰京してから調べたところ、あの事件がここであった事に気付いたそうです。
実はこの十和田湖で恋人同士がダイナマイトを身体に巻き付け心中したのです。
私もその番組を見ていたので、飛び散った沢山の肉片を、箸で回収する捜査官の姿に胸が痛くなった事を覚えています。
ここはそれ以外にも入水自殺者がいて、この世に未練を残す霊やその波動と共感する人の低波動により、淀んだ「気」がありました。
ただ、何度か色々な方が浄化をされているみたいでした。
開運の小径
浜から森へ戻る帰りがけに、急に右手が痺れて腕全体が重くなり、右側に何かあるのかなと思ったら、暫く歩いて右手に神社が。
なんだか今時の簡素で新しい鳥居。
訴えてるみたいなので手前の「日ノ神」へ伺いました。
とても気が重いし、頭痛がして来たので龍達に浄化を依頼。不浄のものが入り込んでいたようです。
他に印象が残った所は「山ノ神」。
白くて大きな大蛇が目の前に現れ、お腹を見せて円を描くように旋回していました。
その他、「金ノ神」「天ノ岩戸」「火ノ神」「風ノ神」等それぞれワークをさせて頂き、「風ノ神」の時は急に勢いのある風が吹いて来て、龍神のエネルギーを感じました。
良い波動と悪い波動が入り混じったようなそんな所だったので、浄化ワークを行いました。
中山半島から離れて後で十和田湖に現れた「天使の梯子」
この悲しき十和田湖に沢山の祝福が降りますように・・・。