壱岐シリーズ途中ですが、面白い動画があったので消される前にご紹介。
ナオキマンさんの「世界の闇」について元WHO職員の方をゲストに迎え内容が盛沢山でした。
例えば
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その他、遺伝子や半導体PFASの有害性に
ついても興味深い話しがありました。
かなりギリギリ配信な内容なので
早めにチェックしてみてください。
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その他、遺伝子や半導体PFASの有害性に
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ちなみにNHK大河ドラマ「光る君へ」の46話でも刀伊の入寇が出てきたそうです。
刀伊は中国大陸北東部の女真族(ツングース系)で海賊化した民族。後に「金」や「清」を建国しています。
この時も対馬・壱岐で多くの被害が出ました。
・対馬では老人や子供36人惨殺。
・連れ去られた者が270人。
・牛馬犬は食い殺された。
・各地で民家が焼き払われた。
・壱岐では148人が惨殺。
・女人239人は捕虜として連行。
対馬の国司である「対馬守遠晴」は生き延びて太宰府へ刀伊来襲の報告。
平安時代最大の危機です。
壱岐で生き残ったのはわずか35人に過ぎなかったそうです。(画像はwikipediaより引用)
壱岐の亡くなった人の数が多いのは地形的に平坦な場所が多く、山も大して高くないから見つかりやすかったのだと思われます。当時の船で8時間くらいで対馬へ到着できたらしいです。
<状況>
4月9日賊は博多へ上陸。
翌10日、11日は強烈な北風が吹き、海が荒れたため賊は能古島から出ることができず。
この大規模な侵略を経験した者はおらず、非常事態だったにも関わらず藤原隆家は急ぎ兵船38隻を集め九州北部沿岸にも精兵を配置し、迎撃体制を整えた。
賊は12日から志摩郡船越津に上陸を始めたが、日本軍が放つ音が出る矢を恐れ怯み、日本軍側による騎射戦で善戦。
捕虜となっていた壱岐の人が、日本兵に『馬を走らせて矢を射よ、臆病になるな』と激励したと『小右記』に記されています。
壱岐の人はどのような状況でも諦めず日本を守り通そうとしていたのです。
また、大宰府の文官にも武器を持たせて戦わせたと記述が残されている為、戦えるものは総勢力で応戦したと思われます。
そして逃走しようとする賊の船に兵船が追撃戦を敢行、撃退に成功しました。
<撃退後の隆家と朝廷の対応>
藤原隆家ら指揮官の活躍で日本は難を逃れることができました。
隆家は朝廷へ報告するとともに部下へ恩賞を申し出たが、朝廷からは「恩賞は無し」とされる。
それに意を唱えた者達によって後で恩賞は与えられたが2名のみだった。なお、隆家自身は報酬を求めなかったそうです。
<拉致者の帰還>
拉致されて船に乗せられていた日本人300人ほどが高麗軍に保護されて無事日本へ戻されています。
この時も朝廷の反応は高麗には裏があると疑心暗鬼になっていましたが、高麗の使節に対し隆家は自前で黄金300両を贈りました。
<藤原隆家とは>
平安時代中期の公卿。摂政関白内大臣・藤原道隆の四男。
当時、叔父の藤原道長が権力を握り、隆家は政争に敗れ、お互いの従者の乱闘事件や藤原隆家自身が「花山法皇」(かざんほうおう)一行に弓を引くという「長徳の変」を引き起こしたことで出雲へ左遷された。
その間、恩赦があり京へ戻って職務に励んだが、目の治療で名医がいる太宰府へ。
その後、大宰府の長官代理に任命。
刀伊の入寇が起き、指揮官として対応することになった。(画像はwikipediaより引用)
1019年12月に大宰権帥を辞して京へ戻った隆家。
功績のあった藤原隆家を大臣・大納言に登用すべきとの声が上がったものの昇進はされず。
それどころか寛仁4年には都に疱瘡が大流行し、刀伊が大陸から持ち込んだものが隆家に憑いて京に及んだものと噂された。
1037~1042年再び大宰権帥を務め、1044年に数え66歳で没した。
天下の「さがな者」(荒くれ者)として有名であった隆家は政敵の道長も一目置く存在だった。
※花山法皇については以前記事にしていますので下のリンクをご覧ください。
<過去生のトラウマ>
特に大きな悲劇の舞台となった壱岐・対馬。
3回もの惨劇に見舞われ心が痛みました。
正直言うと、今回壱岐に行くのは楽しみな反面、心が不安や恐怖を感じていたのです。
この不安や恐怖は一体なにか?
自分でも行く前に探ってみました。
今回の旅で車で事故るのか、飛行機が墜落するのか、それとも何か損害が発生する出来事が起きるのか、色々心に尋ねてみましたが、そういう未来的な恐怖や不安ではなさそう。ではいったい何だろう?
実際、フェリーに乗って段々壱岐島が見えて来た時にワクワクしている中、なんとなく心の奥底で拒絶しているような感覚が湧き出していました。
やっと来れた壱岐だから嬉しい筈なのに何故?・・・。
壱岐の各地を回る度に、それが潜在意識から来る魂の「怯え」だと分かりました。
そして壱岐にはどこか島全体がブルーの悲しみと癒しに満ちた色をしているように見えていました。
<過去生への旅>
おそらく過去生でこの時代かその後に私は壱岐のこの惨劇を知っていたのでしょう。
魂の記憶が拒絶していたんですね。
ただ、自分の過去生を探った時、壱岐で生まれたとかこの惨劇の体験をしたとかではなさそうです。もし惨劇の当事者ならば、もっと衝撃的な感覚(ハンマーで殴られたような感覚や懐かしさが込み上げたり、心臓がバクバクしたりする筈)ですが、それが無かったのです。
深く掘り下げて視ると、壱岐ではない本土に生まれ、壱岐に愛する人や縁者がいたようでした。
そう確信したのは、月讀神社のあるモノを見て気付いたからでした。
<ムクリコクリ人形>
ツキヨミ神社で最初にこれを見て猫みたいで可愛いな~と近づいたら、忽ち怖くなって背筋が凍り付く程ゾッとしたのです。
「蒙古がやって来るそ!」という声が頭の中から聞こえてきました。この時、人形達が蒙古人になり沢山攻めて来る様子が見えました。
私は6,7歳の女の子で本当にやって来ると思って怯えている姿が見えました。
これは郷土人形のムクリ(蒙古)コクリ(高麗)を表した人形だそうです。
泣き止まない子どもに「ムクリコクリが来るぞ」と言って言い聞かせるものらしいです。
ツキヨミの記事を書いている時に、この画は怖いから載せるのやめようと思っていましたが、皆さんに知ってもらう為、結局載せることにしました。
ちなみに「むごい」という言葉は蒙古が無慈悲で残酷だったことからのきた語源だそうです。
<行きたい場所の意味>
このムクリコクリを知っていることと魂が恐怖で震えている感覚から私の過去生での記憶が呼び覚まされたようです。
今回の旅は自分の魂のトラウマを癒す為のものでもあったんだと改めて感じています。
ライトワークに限らず自分が行きたい場所は自分の封印を解いたり、トラウマを癒したりすることも多くありますし、覚醒の手助けもしてくれます。
初めて行く場所で「ここ知ってる!」「懐かしい!」と感じた場所、夢で見た所とそっくりならば、それは過去生でそこに住んでいたか、深い関わりを持ち、潜在意識に記憶から消されず刻まれた場所になります。
そうした意味でも自分が気になる場所は行ってみると良いと思います。
実は元寇の際、上陸された北西部へのライトワークも予定していましたが、時間の都合で結局行けなくなってしまいました。
気持ちでは行きたいと思っていましたが、潜在意識が拒絶していたんでしょう。行けてない代わりに、現在は遠隔で癒しのワークを取り入れ、悲しみの想念が光に変わることを願っています。
なお、今回は壱岐市立一支国(いきこく)博物館が年末年始で休館でした。
色々な歴史情報が満載のようです。また、壱岐神社の上の方が気になったんですが元々、壱岐神社自体も伺う予定ではなかった為、時間に余裕がない事もあり行きませんでした。
後で少武資時のお墓があったことが分かりました💦
やはりその土地の歴史をある程度調べて行った方が良いですね。
<波切不動>
壱岐神社を出て海方面へ下って行くと、波切不動が祀られた小さな島があります。
こちらは、途中まで行けたのですが、土砂崩れか何かで通行止めの看板があり、小島へ行けなくなってました。とっても残念。
遠くからですがご挨拶をして、この海が護られ循環されつづけるようワークをさせていただきました。
近くに魚でもいないかなと適当にズームした瞬間、魚がフレームに入っているのを偶然捉えました!動いていたので更にズームするとクサフグさんかな~。
最初、二匹だけだと思ってましたが、この画像(動画からの切り抜き)を確認していたら3匹いることが分かりました。可愛いですね(*^-^*)
対馬・壱岐は近隣諸国の脅威が常に付きまとい、真っ先に被害を被る島でもありますが、その島民・武士達は私達が思っていた以上に強く、現在の日本人に足りていない気骨な精神を持っていたことが窺えます(動画参考☟)
<風の時代>
今、日本は獅子身中の虫に蝕まれています。過去の人々が守った土地も公共施設も外国の手に渡っています。
命がけで守ってきた人々の想いを無駄にすることなく、私達の中にある「大和魂」を呼び起こし、日本を建て直す。即ち自分自身を目覚めさせ、自分がどう成りたいのか、どう
生きたいのか、世の中がどうなることを望むのか、それを描いて実現するための行動を起こす必要があるのだと思います。
愛と調和が取れた世界が実現しますように。
壱岐神社>
住所:壱岐市芦辺町瀬戸浦233
駐車場:有り
トイレ:有り
社務所:有り
MAP
壱岐神社(いきじんじゃ)
波切不動の手前の丘にある神社。
割と新しい神社なのかなという印象。特に調べず伺ったのでどなたが祀られているか存じ上げませんでした。
ところが、ここに来たことがきっかけで自分の過去生を知ることになったのです。
<手水舎>
龍さんがでかいですね(*^▽^*)
壱岐護国神社というのぼりの文字をみて「護国神社」は戦争など国事で命を落とした人を祀る神社の為、壱岐が戦争に巻き込まれたとしたら元寇?と思ったら、どうやらそのようでした。
拝殿に入っていきなり中央に貼られた「元寇碇石」がそれを証明。
左上には戦いの絵が描かれています。
2回攻められ、2回とも神風が吹き日本軍が勝利を収めたと中学生の頃だったか習った記憶があります。
ところが帰宅してからよくよく調べてみると、近年になってそれがやや違って
いた事と、とんでもない悲惨な状況だったことが分かり、胸が詰まる思いになり
ました。
長崎に10年程住んでいましたが、今更こんなことを知った自分を恥じると共に
今回なぜ壱岐に来たのかが分かったのです。
日本史上最大級の危機となった歴史を振り返ってみると・・・。
<元寇とは>元寇というのは鎌倉時代中期にモンゴル帝国(元朝)と高麗によって2度にわたり日本へ侵攻された有事のこと。
1274年(文永の役)
1281年(弘安の役)
<原因>
元の皇帝・フビライが日本へ友好関係を築きたいと何度も遣いを出したが、北条時宗を中心とする鎌倉幕府は、元が支配できていない南宋と国交を結んでおり、元の思惑(日本の金や硫黄を狙っている)事が南宋からの情報で知っていた為、これを無視した。
ちなみに1266年~1272年に6回の国書(詔書)が送られていますが、荒波で届けられなかったり、入京許可が下りず、太宰府に届いたのは2回。
その2年後、遂にフビライが高句麗に命じて攻めて来たのです。
<対馬・壱岐での壮絶な殺戮>
文永の役
壱岐守護代の平景隆(たいらのかげたか)は、既に多くの人が惨殺された対馬が全滅したと聞き、兵の準備を進め唐人原(とうじんばる)で元軍と激突。100騎で戦うも元軍の多勢と独特の戦法で樋詰城へ撤退。
娘の姫御前(ひめごじょう)を呼び、家来をつけて大宰府へ元軍の壱岐襲来を伝えるように命じる。姫は城を脱出するも元軍の毒矢に射られ、途中で自刃します。
景隆軍は翌朝取り囲まれ総攻撃を受けて一族郎党とともに自害。
武士だけでなく住民も見つけ次第、殺されました。
その惨殺な方法とは
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また、山へ逃げ込んだ家族は子供が恐ろしさのあまり泣いたことで執拗に追いかけて来た元軍に見つかり皆殺しにあった。
防空壕のように穴を掘って身を隠した場所も今現在残されています。
山のように積み重なった亡骸を埋葬したのが「千人塚」。壱岐の各地で見られ、
志賀海神社がある志賀島に日本軍と蒙古軍の戦死者の慰霊碑が祀られています。
<戦法の違い>元軍
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壱岐が陥落。
勢いが止まらない元軍は、博多湾へ侵攻。
現在の福岡市赤坂付近で激戦。日本軍は苦戦を強いられた。
しかし少弐 景資(しょうに かげすけ)又は彼の郎党が敵の副総大将:劉復享(りゅうふくこう)を射って致命傷を負わせた。
翌朝、博多湾に到着すると元の軍船が一艘も見当たらず。
元軍は撤退していた。その後、暴風雨によって元軍の軍船の半分が沈没。
当時世界の約30%を統治していたモンゴル帝国。その超大国を相手に日本は2度目の襲来でどのように勝利できたのでしょうか。
弘安の役
1275年と1279年に再び元から国交を結ぶ為の使者が送られたが、ことごとく斬首。
文永の役の恨みを込めた返事だったと言われている。
5月高麗から(4万人)900隻と中国軍(10万人)3500隻の船が壱岐へ侵攻。
北条時宗は襲来に備え「異国警護番役」という兵力と防御力の強化をこの7年間準備してきた。
<異国警護番役> ・九州各地の沿岸に高さ2m、20kmも及ぶ防塁を築いた ・武士団は昼夜沿岸の警護 ・御家人ではない武士も幕府の指揮下においた ・弓矢も射程距離の長いものにし、上陸されないようにした。 ・大勢で取り囲まれる戦法を回避する為船に乗り込み先手を打つ方法。 ・元軍の情報収集。 |
<最強の鎌倉武士団>
鎌倉武士団の戦費は自腹で、功績を挙げないと土地をもらえない等、幕府との報酬が成立していたから死ぬ気で戦ったと言われている。
野蛮で民をも練習用として弓で射る話しが出ているが、そうした史実は記されていない。
弓矢の威力は1m以上もの長いものに変え、3人~5人でないと引けないような強力な弓を扱った。この弓は盾や鎧を貫通させる威力があった。
壱岐に壊滅的なだ打撃を与えた元の東路軍。
博多湾へ侵攻したものの防塁が功を奏し阻まれて上陸できず。
小舟に乗って夜襲をしかける鎌倉軍の徹底抗戦で東路軍は壱岐へ退いた。
壱岐の瀬戸浦では少弐資時の父である経資(つねすけ)を総大将に日本軍が激戦を繰り広げ、元軍に大損害を与えた。しかしこの戦いで息子の資時は戦死。
7月30日東路軍は平戸島で江南軍と合流し博多湾へ侵攻しようとしたところ、激しい暴風雨に遭い元軍はほぼ壊滅。
捕虜3万人は可能な限り助命し高麗人の技能者は生かされた。
11年後に来日した国司が殺されたと思っていた捕虜が生きていたことに感謝し謝意の国書を送っている。
御祭神:亀山天皇、後宇多天皇
少武資時公(しょうに すけとき)
少武資時公
文永の役で叔父・少弐景資に従って12歳で初陣を果たし弱冠19歳で壱岐守護代に。壱岐島を占領する東路軍と奮闘の末戦死。
改めて亡くなった人々のご冥福と壱岐の発展を祈願しました。
<神風>
世の中に偶然ということはなく、起きるべきして起きたと思います。
当時は祈祷もやっていたので嵐を起こすこともできたでしょう。
しかしその前に多くの犠牲者と元軍と戦った日本軍の勇者達の決死の覚悟が神風
を呼んだのではないかと思っています。
更に元寇の前にも惨劇は起きていました。
続く。
男嶽神社(おだけじんじゃ)
壱岐の北東に位置する男嶽神社。
過去には一般の入山が許されていなかったほど神聖な場所だったそうでワクワクします(*^▽^*)
下の駐車場から徒歩で少し上ると鳥居に到着。
こちらは猿田彦神をお祀りしていると聞きましたが、おやおや、牛さんもいらっしゃって出迎えてくれましたね。
豊穣祈願に牛の石像が奉納されたそうですが、猿田彦神の名にあやかってお猿さんの石像が集まりだしたとか。山の上だけあって空気が違います。
<男嶽神社>
御祭神:猿田彦命(サルタヒコノミコト)
ご挨拶をさせていただきました。
裏に行くとお猿さんの石像でびっしり!
ここだけではなく、ぐるっと周りを取り囲んでいるお猿さん達。
260体を超える石猿がいて触ると人によっては暖かかったり、冷たかったり、ビリビリしたり体感が違うそうですよ。
願いが叶うと猿を奉納する習慣が今でもあり、それでこんなに増えたとか。
私はニワトリの石像があったので鳥さんを撫で撫でしました。喜んでました(*^◇^*)奥に磐座があります。
手を翳したわけではありませんが、暖かい愛のエネルギーが放出されているように見受けられます。
お祈りをして光のワークをすると大きな天狗がふいに現れました。
猿田彦神と思われます。
「自分が信じる道へ疑わず進みなさい。」そう力強く伝わりました。こちらの巨大な木がいい味出してますね。
猿田彦神がこの木に登って見下ろしたり近辺の山々を飛び回って巡回されている様子が浮かびました。
磐座の右手を下って行くと稲荷社があります。お行儀がいいお猿さんですね。
<稲荷社>
何かに見られている感があります。
若干違うものが入り込んでいるようだったので浄化させて頂きました。
この後カフェに行って御朱印を頂きました。
最後に展望台へ行ってみました。素晴らしい眺望ですね~( ^∀^)
ダムが見えます。
遠くに海、手前には畑も見えます。冬なのに暖かな風がふわりとそよぎ、心が癒されました~。
次は猿田彦神の妻の天鈿女命が祀られた女嶽神社へ向かいます。
女嶽神社(めだけじんじゃ)
ダムの向こう側の女岳山にあります。
入り口に迷ってしまいダム側からナビで行ったら行けなかったりと色々迷い、今度は反対側へ行き、車を停めるスペースが1台ほどあったのでそこから徒歩で行きました。
神社まで距離は近いと勘違いしていたので徒歩で行きましたが、いつまで経っても着かず。25分近くかかったかもしれません。
やっと案内版が出てそこから10分弱で到着しました。
途中で道は狭くなる所もありますが、車でも行けたみたいです(ー△ー;)
周りは木々に囲まれた所にひっそりとあります。
<女嶽神社>
御祭神:天鈿女命(アメノウズメノミコト)
ダムを隔てて向かい合わせの山にある男嶽神社とこちらの女嶽神社を巡れば、良縁に恵まれると言われています。こちら本殿でお祈りと光の柱の設定をさせていただきました。
お地蔵様みたいな方が現れました。
お遣いの方でしょうか。ニコニコされて歓迎してくださいましたね。
隣にはこちらも稲荷社がありました。
※写真はスマホを忘れて姉が最後に撮った動画から切り抜いた為、同じ構図になってしまいました。
「巣食石(すくいいし)」
こちらへ行きたかったのですが、結構険しい登山で時間もかかるということで断念。
女嶽神社の御神体で、巣食とは鳥が巣を作るという意味。昔コウノトリがこの巨岩に巣を作ったことから名づけられたそう。ゼロ磁場のようです。
また壱岐へ訪問する機会があったら是非伺いたいですね。
<男嶽神社>
住所:長崎県壱岐市芦辺町箱崎本村触1678
駐車場:有り
社務所:有り。御朱印はカフェで。
トイレ:無かったような。カフェにあるかも。
HP:
<女嶽神社>
住所:長崎県壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触101
駐車場:境内?車で行けるかも。
社務所:無し。御朱印は男嶽神社のカフェで。
トイレ:無し。
寄八幡神社(よりはちまんじんじゃ)
昨日伺った小島神社の御朱印が寄八幡神社で頂けるとのことで、しかも左京鼻から近かった為、もう一度左京鼻八大龍王へご挨拶に伺い、この岬の反対側にある寄八幡神社へ向かいました。
壱岐は時々道が狭い所がいくつかあるのでヒヤヒヤします💦
寄八幡神社に到着。
参拝客は誰もいないのでゆっくり参拝できそう~。
なんだか波動が高い神社。
八幡だから応神天皇、神功皇后かな。とても神聖なエネルギー。
しかしこの時はこの神社の凄さにはまだ気づいていなかった。
拝殿も社務所も自宅らしき家もどこを見渡しても全て閉まっていて人の気配がない。
キョロ((-ω-*≡*-ω-))キョロ
大晦日なのにシーン(ー△ー;)
まぁ、まずは参拝!参拝!
御祭神:仲哀天皇・應神天皇・神功皇后
ご挨拶をして参拝のお礼と地域のご発展のお祈りと光の柱を設定させて頂きました。
拝殿の右手に行くと、祠がいくつかありました。
そして奥にもありました。
こちらの前まで来た時、頭がグワングワン。
なんかここ凄い・・・。
突然、大きく突風が吹き、鳳凰らしきものがぶわーっと飛んできました。
宇宙と繋がっているポータルがあるのかとても強力なエネルギーを感じました。
今度は左側へ。こちらにもお社があります。<天満宮>
天満宮の隣、本殿の上空に女神が現れました。
海やこの町の人々を守護されている女神のようです。
とてもにこやかで「ようこそ参られた」と歓迎ムード!
とても美しく暖かい光(*^-^*)♡
風が抜けるように吹きました。
鳳凰かな・・・。
左下に美しい羽根のようなものが見えました。
ご挨拶とワークが終わりほっと一息。
なんだか予想外に強烈な神社だったー。
さて、御朱印を頂きに・・・。
社務所に行こうとしたら、こともあろうに閉まってる!
(なぜ?Σ( ̄◆ ̄;)この大晦日に!?)
自宅らしき家も奥にありましたが、やはり人はいないのか・・・。
宮司さんはどちらかお出かけになっている模様・・・。(꒪д꒪IIガーン!
このままでは御朱印はもらえない・・・。
今日は日程が詰まっているからまたここまで来れるかどうか・・・。
待てよ、そういえば、さっき拝殿の中に入らず外からご挨拶しただけだったから拝殿に入れるかも。
そう思い、扉に手をかけ引いてみると、ゆっくり開きました!(*^▽^*)目の前に御朱印が!!
良かった~。ここにあったヾ(;☆ω☆)
改めて丁寧に挨拶をしてお祈りさせて頂きました。
神社巡りを始めた頃は御朱印には興味がなく、全く頂いていなかったんです。
でも後で見た時にさまざまな光景を思い出し、そこと繋がることができるアイテムとして集めるようにしました。
また実際に墨での手書き、直書きはその神社の特性や土地のエネルギーを感じて面白いですし、そう感じなくても最近は様々な趣向を凝らした御朱印があるので楽しいですよね。
最近は500円の所が多いですが、神社の殆どが古い建物なので修繕費や維持費に莫大な費用がかかる為、微々たる金額でも貢献する気持ちでご奉納すると良いでしょう。お金をお賽銭箱に入れてGET!
壱岐に行かれた際は是非行かれてみて下さい。おススメの神社です。
宮司さんは小島神社の宮司も兼務されているとか。お忙しいですね。
後で調べたところ、
ここは地元の海女たちが漁に出る前に安全を祈られているそうで、この地区では約60名の海女さんがいるそうです。
沢山の海女さんがいることに驚きましたが、確かにササエやウニなど豊富なようです。
信仰が厚い雰囲気がありましたが、神様と海女さんや地域の人々のパイプがきっと太いのでしょう。
海の方へ出れば朱色の鳥居が建っているそうで時間があれば見たかった~。
人々も神々もこの地をとても愛している、そう感じた小さな港町の神社。
人々の暮らしがこれからも豊かで平和でありますように。
<寄八幡神社(よりはちまんじんじゃ)>
住所:壱岐市芦辺町諸吉本村触1732
駐車場:境内内
社務所:有り
トイレ:不明
MAP
月讀神社(つきよみじんじゃ)
壱岐の2日目、大晦日の本日は壱岐の中心より若干上に位置する月讀神社へ参拝。
朝の9時30分くらいでしたが、誰も参拝客はいないみたい。
階段を登り切ると、嬉しそうに狛犬さんが出迎えてくれました。
今日は大晦日だけあって注連縄でおめかし。なんだか張り切ってるように見えます。
小さな拝殿ですが神様がいらっしゃる気配。
御祭神:月読命
暦と縁の深い神、農耕神、占いの神、海の神、漁業の神とされる。
ご挨拶をしてお祈りさせて頂きました。辺りを見ていると張り紙が。霊力の強い神様?
それは楽しみ!どんな神様かワクワクします。
山の神と書かれた小さい鳥居が直ぐ裏にあり磐座(いわくら)が祀られていました。
ご挨拶しようとした時、鳥居の前に大きなミミズが!!
こんな冬の外に出ていてはさぞ寒いでしょう。
弱っているように見えたので枝で拾い上げ、土の方へ移動しました。
柔らかそうな土と人に踏まれない所がいいだろうとウロウロ探して、丘の上へ置ことに。水をかけ鳥に食べられないよう落ち葉で隠して山の神の所へ戻りました。
後で姉から「龍もミミズに化けることがあるんだって」と言うので「えっ!そうなんだ~」と龍とミミズを思い浮かべました。
確かにあのミミズ、稀に見ぬデカさだったな~。田舎にいた頃は大きなミミズは見てたけど特にデカかった。
龍は龍神祝詞にもあるように自在自由に変化できるので、色々な形の龍がいるんですよね。お酒をご奉納してご挨拶し天から光を地に結ぶワークをさせていただきました。
磐座に手をかざすとちょっとビリビリしました。
すると突然私の目の前に大きな白い服を来た存在が現れました。
ホントに目の前!身体がくっつく程の超至近距離です。しかも大きいので、顔を見上げて見てはいませんが、天狗の顔が頭の中で見えたのでおそらく天狗。さっきまで特に際立ったものは感じていなかったのに磁力のようなパワーを感じました。
そしてお礼を言っているようでした。
(ご奉納のお酒?それともワーク?もしやあのミミズのこと(*゚O゚)!?あのミミズは仮の姿で本当は天狗だったとか。天狗の鼻がミミズっぽく見えなくもない・・・。
変な想像はやめよう。違っていたら失礼になるかもしれない)
そんなことを心の中で呟きながら、暫く体が硬直していて動けなかったです。
何か私の潜在意識にある心のブロックを解除してくれたようで暖かいエネルギーが身体を巡り、心と身体が解放された感覚がありました。
お礼と感謝を伝えたら柔らかな光が差して来ました。拝殿野右側にある茅の輪くぐりをしてから、奥の祠へと上がって行きました。
奥の鳥居に行く階段の手前に「招福の鼓」があり、自分の年の分だけ小槌で鼓を打って赤い鳥居の前でお願いごとをすると幸福が訪れるそうです。宮崎県高千穂の荒立神社にあるのと同じですね。東京では田無神社にもあったような・・・。
打ってその場でお願い事をしてしまいましたー。
こちらも可愛らしい祠があります。
御祭神
右)月弓命(つきゆみのみこと)
左)月夜見命(つきよみのみこと)
拝殿と併せて3柱の神をお参りして参拝したことになると記載されているので漢字は違いますが全てツキヨミノミコトらしいです。
拝殿の月読命は光で現れ、こちらの月夜見命は人間の姿、そして右の月弓命は少年の姿で現れました。
ツキヨミノミコトが少年の姿となって現れたのか精霊がそういう姿へ変化して現れたのかは分かりません。またツキヨミノミコトが全て同一なのかそれとも違う存在なのかも不明です。
拝殿の月読命と月夜見命は似たようなエネルギーを感じました。
御朱印を頂いている間に授与所の隣にあった輪投げコーナーで遊んでみました。
3つ輪投げが成功すると景品の手作り茅の輪のお守りが頂けるそう!やってみたけど1回しか入りませんでした(^^;)
<歴史>
壱岐氏という豪族が朝鮮半島→対馬→壱岐→九州の航海安全を祈るため、月読神社を創建し航海の神様をお祀りしたのが始まりと言われています。
かつては大きな神域を持っていたとかで、日本最古の神社だそうです。
壱岐の県主(あがたぬし)の先祖である忍見宿禰(おしみのすくね)は京都の松尾大社内にある月讀神社へ分霊したと日本書記に記されていて、全国に点在する月讀神社の総本社とされています。
<月讀神社>
住所:長崎県壱岐市芦辺町国分東触464
駐車場:有り
社務所:有り
トイレ:駐車場に簡易トイレらしきもの
MAP
公式ナビ
2月に入りましたが、その前からエネルギーの変化が激しく、すごく眠くなったり、身体がだるく疲れやすくなったり、頭頂に光が降りているのが見えることもあると思います。
<体調の変化に注意>
場合によってはエネルギーシフト前の為、体調を崩される方もいるでしょう。
特に風邪を引いたかなと思えるような症状の時は酷くなる前に身体を暖かくしてウイルスの蔓延を防ぎ早く寝ましょう。
インフルエンザも流行っていますし、酷い方は大人でも10日位は辛い症状が続くと言われています。
こうした機会に高次の存在が5次元へのボディを整える為に調整してくれたりしますので、無理に頑張らずにしっかり休息を取った方がいいです。
また、こうしたウイルス系の訳が分からないものも今後発生する可能性がある為、日頃から免疫力を上げ、健康で健全な身体作りを心掛けましょう。
<未来をイメージする>
理想の自分や生活など自分が望む世界を描くということがポイントになります。
「こうなったらいいな」というワクワクしたイメージを描くことでその道へ進む為の引き寄せが始まります。
「こうなる」と脳に思い込ませることで脳はそうなるように働きます。ご主人様のあなたが何も描かなければ脳はちょっとの情報でもネガティブな方へ走りがちですので、自分自身の願望を描くことをおススメします。
2025年は個々の意識が高まり覚醒のスピードも速まりますし、集合意識では自分と合う人の結びつきも強まります。
ですので、自分軸からズレているとそうした良縁が遠ざかり折角のチャンスを逃すことになりますのでご注意ください。
<覚醒を進めるオキシトシン>
「幸せホルモン」と呼ばれるオキシトシンは脳下垂体から分泌されるホルモンです。これが硬直し小さくなっていた松果体を刺激して柔軟に活性化しやすく働きかけます。そうすると能力を発揮しやすくなるのです。
動物では特に癒し効果が高い猫と一緒にいることでオキシトシンが分泌されやすくなるそうです。
数年前に猫ブームが流行ったのもプレアデス星人が猫達を流行らるように仕掛け、人類の覚醒を促す為に一役買っていたのです。
猫に限らずですが「幸せだな~」と思う気持ち、そうした状態を自分で作ることが大事ですね。
それはちょっと散歩して日向ぼっこしたり、お茶を飲んで寛いだり、リラックスした状態を作る事で幸せホルモンは出やすくなります。
<世界情勢に敏感になる>
アメリカ人は昔から民主党支持者が多く、日本で言えば自民党支持者が多いということになりますが、その状況がひっくり返り、今回の大統領選ではアメリカ国民が大きく覚醒しました。
日本人は、今はまだ「井の中の蛙大海を知らず」状態。
国際情勢を知り国内からの情報だけでなく海外からも取り入れることが重要。
以前も記載しましたが、トランプがケネディ大統領の暗殺に関わる資料開示を命じた大統領令にサインしたこと、更に連邦準備銀行(FRB)、金融システムの解体、WHO脱退問題など、全て巨大な闇(既得権益者達)の解体が進むことで地球規模のイベント:ディスクロージャーが起きる可能性が高まって来ています。
その前に大きな浄化が働けば、それなりの災害が起きる可能性があります。
またグレートリセットについては、それが起きたら通貨も変わり、新しいフリーエネルギーも導入され私達の生活は一変しますが、そのインフラが整備される迄はある程度の年月がかかると思われます。
たとえUFOの大群が空一面に現れたとしてもパニックを起こすことなく、遂に暗黒時代は終わり、地球人と友好関係を結ぶ宇宙人がコンタクトするためにやって来たこと、そして新時代の地球の第一章が始まったことを冷静に認識できるよう我々ライトワーカーは心の準備をしておきましょう。
小島神社(こじまじんじゃ)
壱岐のモンサンミッシェルといえば知る人ぞ知る「小島神社」
潮が引くと渡れる小さな小島に神社があります。
ちなみにフランスのモンサンミッシェルですが、昔は潮の干満の差が最も激しい所だった為、ぬかるみに足を取られて抜け出せなくなり亡くなった人も多いとか。
(※下部にぬかるみから抜け出す動画をリンクしています)
1877年に対岸続きの道路が作られたのでバスでも徒歩でも行けるようになりました。私は行ったことがないので是非行ってみたいです。大天使ミカエルが護っている所でもあります。
「小島神社へお参りするには、潮位が100cm程度か、なるべくそれ以下に下がっていること」というのを見て、確か厳島神社もそうだったなと思い出し、干潮の時間に合わせて向かいました。
午後3時頃向かうと、同じことを考えていた参拝者が沢山いて駐車場もいっぱいでしたが、かろうじて停めることができました。
島に向かう途中に可愛い祠があります。
ご挨拶して浜辺へと降りて行きました。
おっ!潮が引いてる~o(〃^▽^〃)o
約150mあるそうで潮が満ちて来るまで1時間程は居られるみたいです。
それにしてもどんよりした空で風も強い。やはり龍がいるからかな。。
潮が満ちている時は鳥居のサビている辺りまで海に浸かるようです。
島の裏側をぐるりと回って行きます。
人が多いので行く時の写真が撮れていませんが、少し歩くと鳥居が現れ、小さな階段を登ったら神社に着きました。
御祭神:伊邪那美命
須佐之男命
天照大神
ご利益:恋愛成就、縁結び
商売繁盛、開運
まだ続々と参拝客が後ろからやって来ます。
(さすがにここでは人が多いし、ワークをするには境内外じゃないと無理か。)そう思ってにいたのに、不思議なことに神社前にいた参拝客は去って行き、その後も誰ひとりとしてやって来る気配がない為、今がチャンス!とばかりにワーク&龍神祝詞を唱えました。
急に突風が吹き、空から雨がパラパラ!
龍神様のお出まし!
雨雲の隙間からは青空が見えてきました!
神々も喜んで下さったようで視界がパッと明るくなりました。
(上の写真はワーク後の写真です)
裏の本殿へ。
優しく包み込まれるようなエネルギーを感じで身体が暖かく軽くなりました。
こちらは癒しのエネルギーが強いですね。
それにしてもおかしいな、まだ誰もこない。他の参拝客はどうしたんだろう。
ここでも人払いしてくれたようで滞りなくワークを行えられて良かったです。
こちらが三の鳥居で鳥居を跨いで参道の階段があります。
まもなく家族連れがやって来たので私達は下へ降りました。
以前は石の階段だったそうですが、崩落したので地元の皆さんがお金を集って作られたと後で知りました。有難いです。
行く時は参拝客いっぱいで写真が撮れなかった二の鳥居です。
ここから上がります。
足元は所々渦を巻いた化石のような岩が沢山あります。
宇宙と繋がっている印とも言える渦。面白いですね。
この地の生物や精霊達が躍動的に動いているような活気に満ちたパワーを感じます。
2015年には神社がある内海湾(うちめわん)が『国境の島 壱岐・対馬・五島~古代か
らの架け橋~』の構成要素として日本遺産に認定されたそうで。
この写真では分かりませんが海がとっても綺麗なんです。
その理由は「アマモ場」になっているから。
「アマモ」とは
小島神社周辺の海中は、「アマモ」という「ニラ」に似た海草が自生していて干潮時には、一面鮮やかな緑色になります。
種子植物で多くの海洋生物にとって、重要な産卵場所で使用されるほか、「海のゆりかご(アマモ場)」として稚魚たちの保育場になっています。
6月頃に白い花が咲くとか。しかもここにはめずらしいカブトガニも生息しているそうです。
アマモの生育には光が必要で、生育できる水深は海水の透明度によって決まるとのことで、これだけアマモが多い場所だからこそ綺麗な海が維持でき、また浄化力も高いことが窺えます。
二酸化炭素を吸収し酸素を出し青い海(ブルーカーボン)にするアマモ。
東京湾では埋め立てで殆どアマモが見られなくなりましたが、今、再生の取り組みが進んでいるのでいつか綺麗な海が蘇るかもしれません。
将来、魚が獲れなくなる日が来ると言われています。
日本だけでなく世界各地でアマモちゃんが増えるといいですね。海の環境が整い、魚たちも増えて豊な海へと変わることを願っています。
満潮の時の小島も観たかったんですが、時間が取れず・・・。
また伺いたいです。
<モンサンミッシェル沼の抜け出し方>
※雪で両足が嵌った時も私はこの方法で抜け出しました。
<小島神社>
住所:長崎県壱岐市芦辺町諸吉ニ亦触1969番地
駐車場:有り
社務所:無し
御朱印:寄八幡神社にて書置き有り
トイレ:無し
MAP
左京鼻龍神神社(さきょうばなりゅうじんじんじゃ)
<左京鼻(さきょうばな)>
龍光大神から東海岸へ車を走らせること25分。
八幡半島のほぼ先端にある「左京鼻」へ。
曇っていてもこの海の美しさ!
“岬”などの突端にある断崖絶壁を「鼻」と呼び、壱岐では鼻が付いた地名が多いらしい。
<観音柱>
壱岐島誕生の神話において登場する八本の柱「折柱(おればしら)」の一柱。
「壱岐の国は生き島である。神様が流されてしまわないようにと八本の柱を立てて繋いだ。その柱は折れ残り、今も岩となって折柱といわれている…」という伝承があるとか。
ホントに先端にありますね。
1km続く断崖絶壁で柵がなく、ここから落ちて亡くなった人の霊が出るとか出ないとかで怖いと言って行かない人もいますが全然怖くないし、素晴らしい所です!また嫌な感じもしませんね。
潮と風の流れで浄化力が凄いのでしょうが、ここの龍の力もなかなか優れていると言えるでしょう。お邪魔します~。お詣りさせ頂きます!
可愛い祠ですね。
こちらに伺えたことに感謝しお酒と光のワークをご奉納しました。
宇宙から凄い光が降りた感覚がありました。
このワークが上手くいったなら何かサインが見たいな。雨とか太陽とか虹とか、折角壱岐に来たから珍しい鳥が見れるといいなぁ。海の傍だから「カツオドリ」とか。でも南の島じゃないから無理か。そんなことを考えていました。すると急に空が明るくなった感じがしたので後ろを振り返ったら、なんと雨雲の割れ間がどんどん開き、太陽が出ていました。
そして雨もパラパラと降って来ました。しかしよく見るとこの雨と一緒に金粉のような光がキラキラと降っているではありませんか!!(☆ω☆)
さすが!龍神様!!
こんなに分かりやすいサインとギフトを頂けるなんて・・・
しかしこれだけでは終わりませんでした!祠の後ろは直ぐ断崖絶壁で海です。
ブロック塀が今にも壊れそう・・・向こう側の海を覗いていると、ウミウが岩にいてセグロカモメが飛んでいました。
ふと「カツオドリ」というインスピレーションが入ってきました。
「カツオドリ」観たいな~。
まぁ南の島じゃないから無理だろうけど。
そう思いながら海を見ていると何か大きい鳥が飛んできます。あれは・・・ヽ(*゚O゚) ギャァ!!
なんと「カツオドリ」ではないですか!!
マジか~!!
顔とお腹が白い特徴的な鳥なので間違いない。
スマホでは小さくしか撮れませんでしたが。
(上の写真はトリミングしたものです)
<↑カツオドリ>
15年位前にカツオドリを観たくて八丈島へ行った時に撮ったものです。
小笠原諸島生方面でないとなかなか見れない海洋の野鳥。
龍神様~ありがとう♡
このタイミングでこんなに凄いギフト!!
嬉しくて姉と二人で感謝感激してましたv(≧∀≦)v
後で調べたら壱岐でも見られるみたいですが、南の島で繁殖するので見れるのは冬の時期だけだと思われます。なんともラッキーでした!
また、近くには沢山のメジロが遊んでいるので楽しかったですね。
年末だけにお客さんも代わる代わる来ていましたが、私達がお詣りしている時は誰一人として来ず、終わった時も辺りには誰もいませんでした。またしても人払いしてくれたのかな。2日目も左京鼻へ行ったのでその時の写真を。この日は昨日と違って晴れ。
その時は海岸線を走った別のルートだったので、こんなに素敵なビーチと海を見る事ができました。ハワイみたい!
昨日とは違って海の色が綺麗!
左京鼻龍神神社に再びお礼参りに伺いました。
今日は彩雲で返事してくれましたね。また伺いたいですね~。
<伝記>
江戸時代前期に旱魃(かんばつ)が続き、陰陽師の後藤左京らが、この場所で雨乞いを行うと大雨が振りだし、村人たちが救われたという伝記が残っているそうでやはりこちらの龍神様は凄いです!!
<左京鼻龍神神社>
左京鼻: 長崎県壱岐市芦辺町諸吉本村触
駐車場:有り
トイレ:有り
社務所:無し
MAP:
龍光大神(りゅうこうおおかみ)
本日からは壱岐シリーズです。
<フェリーで壱岐へ>
福岡で一泊した後、翌朝博多港よりフェリーに乗って壱岐へ。
年末だけに混んでいましたが以前より壱岐には興味があったことと、辰年も残り僅かとなった為、龍を祀る神社へお礼参りをしたく伺いました。
出航時は穏やかでしたが、沖や壱岐の近くに来た時はそこそこ風がありました。
2時間20分で到着。
壱岐の島が見えて来ました!ワクワクv(≧∀≦)v
<壱岐のレンタカー>
到着するとロビーにレンタカー屋さんのスタッフが待っていて、外の駐車場にある車まで連れて行ってくれました。
私が借りた所はバジェット・レンタカーで(電話は取次店の玄海交通レンタカー)
レンタカーによっては営業所まで行かなければいけない所もあるようなのでご確認ください。
なお、郷ノ浦港営業所は2025年の3月に営業所を終了します。
帰りはこの駐車場に車を置いてくれればいいと言うので「あれ?スタッフの方はいないんですか?車のキーは??」と聞くと、「あ、ロックせずにダッシュボードに入れといてもらえればいいです」「えっ!そんなんで大丈夫ですか (゚∇゚ ;)エッ!?」
「あ、大丈夫ですよ」とスタッフ。
忙しそうにガソリン満タン返却の説明をして事務所へ帰って行ってしまいました(; ∀ )
まぁ、こういう田舎は玄関に鍵をしないままの家も多く、みんな平和にやっている所が多いです。ただ最近の日本は異国者も増えて物騒になってきているから、ちょっと心配。
さて、最初にご挨拶する「龍光大神」へ出発!
<岳の辻へ>
郷ノ浦港から10分程の壱岐で一番標高が高い「岳の辻(標高212.8m)」という丘に「龍光大神」があります。
ハゲ山みたいな丘の前まで来ました。
駐車場は東と西にあり、東側へ車を留め、展望台へ歩いて行くと、ポツリポツリ。
あ、ついに雨!雨足が速くなってきました。
龍神様の歓迎の印~(๑˃▽˂๑)!
<この丘を登って振り返った所>駐車場は車が停まっている反対側にあります。
途中、男性の参拝者とすれ違った時、「こちらは2礼4拍手1礼ですからね」とニコニコしながら言われました。出雲大社と同じですね。
なかなか通な方が参拝に来られているようです。
2,3分で到着。
ついに来ました!
2つの紙垂が大きく揺れていました。
こちらは神社と呼ばず龍光大神と名付けられています。
何と言っても7つの爪を持つ龍は大変珍しく龍神の中では最高位の龍。
そして10月に神々が出雲大社へ伺う前に龍光大神へ集結すると言われている場所でもあります。勿論沢山の龍も集まり龍の背中に乗って神々は出雲へと向かうわけです。お邪魔します。
頭を下げて社殿の前に立つと風がぶわーーーーと吹きました。
勢いが凄いな~。
大きな木!この木のエネルギーで結界の役目をしているのか、ここ全体を守っているように見えます。
私達はご挨拶をして龍神祝詞を唱えました。
その最中、嵐が来たように風が強くなりましたが、実際の体感はまろやかさがあり優しく感じましたね。
「良く来たな!」と言って喜んでいるようです。エネルギーがビリビリします。
ご奉納に光のワークをお贈り致しました。左手は小さな龍さんが乗った祠があります。
するとその祠の前に大きて美しい白い龍が現れ、どこからともなく鳳凰もやって来て社殿をぐるっと巡り飛んで行きました。(わー凄い迫力だな~)
龍光大神はとても嬉しそうで身体をうねらせているように見えました(笑)
確かに7本爪ですね。
再び正面の祠を見ると大きな金龍が降りて来てライトワークの光を受け取ったことを伝えてくれました。(あれ?この龍は国常立尊に似ている)
以前にも広島で国常立尊を祀っている社殿で同じような龍を見ています。なんていうか、顔がちょっとゴツイんですよ。<大成龍神社:広島県世羅郡世羅町>こちらには青龍もいます。
でもここに現れた龍は黒色が背中の方にあるので違うのかな。
国常立尊は変化するので金色の龍とは限らず緑色の龍で現れることも。
また人間の姿では服装も赤とか白、よもぎ色をお召しになっていることもありました。
そして眩い程の光の珠が両手に降りて来るのが見えました。
(しっかり励め)と言われました💦有難いです。
俄然やる気が出てきました!すぐ目と鼻の先に展望台があるので
そちらへ行ってみることに。壱岐で一番高い所だけに町や海が一望できますね。
どっちが東か西か分からない💦
(この方角に何が見える、というものがあった気がしましたが)龍光大神が見えます。
こじんまりしていますが、ここを中心に力が放射状に拡散されているように感じました。
龍が宿る木ですね。
それにしても私達が来た時も人が来たしお詣りしている時も人は来ましたが、
神社に入ってくることはなく、参拝待ちする様子もなく、人払いしてくれたようでゆっくりワークができたので有難かったです。
素晴らしい所で長く参拝させて頂きました。
龍光大神の龍神様は今、山納銀之輔さんをサポートしているので今後が楽しみです。
<龍光大神>
住所:〒811-5136 長崎県壱岐市郷ノ浦町片原触398‐1
駐車場:岳の辻駐車場
トイレ:有り
社務所:無し
HP:龍光神社
MAP