本日は私が子供の頃から気になっている人物「聖徳太子」について記事にしました。
太子の「和を以て貴しとなす」は好きな言葉であり私の座右の銘でもあります。
<聖徳太子の出生>
聖徳太子(574年-622年)
父:用明天皇
母:欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女
第2皇子として生まれる。
不思議な力を持つ聖徳太子は日本の紙幣でもその顔が有名になりましたが、中国で同じ容姿の人物が見つかり聖徳太子の紙幣は発行されなくなり、また存在自体も実在していたか疑問視されるようになりました。
謎が多い聖徳太子ですが、未来を予知する能力を持っていたと言われています。
日本書記に記されている「兼知未然」には「兼ねていまだ然らざるを知る」未来を事前に知ることが出来たとされ、その内容を『未来記』、『未然本紀』の2冊に纏めています。
<イエスとの共通点>
聖徳太子は現代の教科書では厩戸皇子(うまやどのみこ)と記載されています。
「厩の前で生まれた」、「母・間人皇女は西方の救世観音菩薩が皇女の口から胎内に入り、厩戸を身籠もった」受胎告知などの太子出生伝説があります。
福音書に拠ればマリアは処女懐胎によりイエスを身ごもり馬小屋で生んだとされている為、太子はイエスの生まれ変わりではないかとする説が浮上しました。
それには、法隆寺の夢殿の救世観音像は聖徳太子の像ではないかと言われていること。「救世観音像=メシア」であり、聖徳太子は夢の中で神々の啓示を受け、見聞した記録に『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎだいせいきょう)』があります。
この夢での啓示は『聖書』に登場する預言者(エゼキエル、イザヤ、ダニエル、エレミア)達の予知夢と似ており、その内容もヨハネの黙示録に対応しているとも言われています。
※なお夢殿は、聖徳太子が禅定して夢を見るため自ら創建した聖所であったが、643年に蘇我入鹿によって焼かれたとされています。
この当時は渡来人が来ていて、キリストの話しは伝わっていたものの文献には無いとの事。
予知夢以外での能力で人々を驚かせたものに、「一度に10以上の請願者の言葉を漏らさず一度で理解し、的確な答えを返した」という話は有名ですね。
こうした不思議な能力とイエスと符合する点からも関心が高い聖徳太子ですが、一体どのような予言をしてきたのでしょうか。
<主な予言の一部>
崇峻天皇の死
推古天皇の即位
鎌倉幕府の成立
承久の乱:朝廷敗北により武家政権の時代到来。
蒙古襲来
南北朝の争乱
豊臣秀吉が天下人となる
徳川家康の天下統一
第二次世界大戦の勃発など
※これはほんの一部です。
<聖徳太子のエピソード>
太子13歳
蘇我馬子が百済へ派遣した鹿深臣から弥勒菩薩をもらいうけ、仏殿をもうけた。太子が仏塔に「仏舎利が無ければ倒れる」と予言し、馬子が一心に祈念。すると仏舎利が現れた。
太子14歳
587年、物部氏は河内に馬子は大和に軍勢を送り戦いに。三度の敗戦を余儀なくされた太子は白膠木を切り、四天王の像を作り、頭頂の髪にくくりつけ、この戦いに勝たせてくれたら寺院を建てると誓った。
守屋が「物部の布都大明神の矢」と唱え矢を放ち、太子に命中。しかし太子は鎧のおかげで無事でした。今度は太子が「これは四天王の矢」と言って放ち守屋の目に命中。
守屋は一矢にして絶命。蘇我氏側の一方的勝利した。
【草薙御神剣の夢】
古代の神々の夢を見た。
雲の国との約束を知り「草薙御神剣」の存在を知り得た。
熱田の地にて
日(ヒルミノ剣)
月(ツクヨミノ剣)
星(太子の所持する七星の剣【七星剣】)
正式の封じの儀式を行い、三剣を同時に抜き放ち、合わせ、三神の力を1つに結ぶという儀式を行った。
※参考(聖徳太子の日本が沈む日 秘書「未来記」の真相)
<終末予言>
太子25歳
私の死後二百年以内に、一人の聖皇がここに都を作る。そこはかってない壮麗な都になり、戦乱を十回浴びてもそれを越えて栄え、一千年の間、遷都はないだろう。 だが一千年の時が満ちれば、黒龍が来るため、都は東に移される。(『聖徳太子「未来記」の秘予言』)
それから二百年を過ぎた頃、こんどはクハンダが来るため、その東の都は親と七人の子のように分れるだろう。
桓武天皇の時代に平安京が定められ、以降1000年に渡り栄えた帝都となった。黒船の来航により明治維新が起き、1869年の東京へ遷都されました。
「クハンダ」とは仏教用語で「末世に現れる悪鬼」のことである。真っ黒く汚れた禍々しい存在で、人の肉体も精神も真っ黒に汚してしまうそうです。
この予言では地球汚染、天変地異、疫病、核戦争、原発事故、富士山の噴火などが考えられるでしょう。また、下記のようなことも記されています。
「未来記」
夜半二日輪ヲ見ル(夜中に太陽を見る。通常地球は東西に回転している)
北方二月輪ヲ出ス(北に月が出る。通常月は南の空を移動します。)
月は太陽と同じく東から出て西に沈みますが、全く異なる方位からの出没となります。
前回の記事「地球は氷河期に向かっている」の中でアイスランドのラキ火山の噴火時に「日中は太陽はまだら模様で月の明るさしかなかった。太陽はまるで錆びた土色だったが、日の出、日の入りの時の太陽は、まるで燃えるような血の赤色だった。」
というものと少し似ているようにも感じます。
という事はやはり通常ではあり得ない現象が起きることを示唆しています。
また、旧約聖書やエジプトの古い話しでは何度も太陽が西から東へ移動したとされる奇妙な逸話が残っています。
日月神示にも戦争や自然災害が起きることが解釈されていますので、太子の予言が全く意味を成さないものとは言い難いでしょう。
<運命の時はいつ?>
お釈迦様の亡くなった日から数えて二千五百年後で、釈迦入滅の日、2017年以降にこうした状況が起きることが予想されています。
<私達は何をしたらいいのか>
冒頭で触れた「和を以て貴しとなす」私はこの言葉が十代の頃からずっと気になって心に留まっていたのですが、これは「十七条の憲法」の第一条に記されています。
「人類は兄弟なのだから争わず、お互いに許し合い調和していくことが全体の徳となる」人を妬み、憎み、恨み、殺し合ったり、物欲のままに生きるのではなく、お互いに尊重し、思いやりを持ち、助け合うことで人類は魂が磨かれ、安寧と豊かな人生を送れるだろう。
私はそのように解釈しました。
この予言が怖いものになるのか、それとも私達が魂の輝きを取り戻す為のきっかけとして、その未来を良い方向へ変えていくのかは私達ひとりひとりの志次第になるのではないでしょうか。