ルドルフ・シュタイナーの遺産

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このシリーズの最初に登場したシュタイナーの話しに戻ります。

今回はヒトラーが恐れたシュタイナーの思想や理念について触れていきます。

<シュタイナーの人智学とは>

人智学はギリシア語で人間を意味する (アントローポス)と、叡智あるいは知恵を意味する (sophia, ソピアー)の合成語で「人間の叡智」を意味するアントロポゾフィーと音訳される。

「人間には超感覚的存在が備わっており、それは宇宙と魂が繋がった意識体の中で、物事の本質を捉えることができる。そして誰でも修行により霊的に向上する。」
「科学を学んで身につけるときに、魂がどのような状態であるのかに目を向けなければならない。 感覚に明らかであるものが考察されるときにしか、この魂の活動のありかたは存在しないという習慣が身についていると、感覚に明らかであるものだけが本質的なものであるという見解に容易に陥るのである。」

シュタイナーは幼少期の自身の体験から人間の霊的能力に着目し、 カール・ユリウス・シュレーアー(ゲーテ研究者)との出会いよりゲーテの自然科学論集に傾倒、神秘学を研究し続け、40歳頃からドイツの各都市やヨーロッパで5965回もの講演を行い、自身の思想を民衆へ伝えていきました。
霊的向上の基盤として個性の能力と創造性を育む、後のシュタイナー教育を構築しています。

現れている世界の内部では、人間の物質体は、人間が鉱物の世界と共有する同じ部分である。 それとは反対に、人間を鉱物から区別するものは、物質体とは見なす事ができない。 とらわれのない考察をすると、死が始った時、鉱物界と等しい性質の部分が、その死によって人間の本質から剥き出しにされるという事実が重要である。 死体とは、死後、鉱物の世界の領域に見いだされる諸経過に支配される人間の部分であると指摘する事ができる。 死体という人間存在のこの部分には、鉱物界において同じ素材や諸力が働いているという事実を強調することができる。 しかし、死と共に、この物質体の崩壊が始るという事も同じように強調する必要がある。 また、次のように言う事もできる。 確かに、人間の物質体には、鉱物においてと同じ素材や諸力が働いているが、その働きは、生きている間は、より高次の状態において、死が始った時に始めて鉱物界と同じ働きをするようになると。 死が始った時に、その素材と諸力は、それ自身の本性に従って、すなわち、物質体の形態を解体するものとして、現れなければならないときに現れるのである。 このように、人間においては、現れているものと隠されているものとを厳密に区別しなければならない.
なによりもまず、人生のあらゆる観察の上に大きな謎のように立ち込めている現象・すなわち”死”へ注意を向ける必要がある。 そして、死と関連して、いわゆる生命のない自然、常に自らの内部に死を担っている鉱物界へも注意を向ける必要がある。 そうするときに、超感覚的認識によらなければ十分に解き明かすことが不可能である諸事実が言及される。
動物はきわめて規則的に、外的世界の影響を体験し、その影響の下に、暖かさと寒さ、苦痛と快楽を意識し、身体の一定の規則的な経過の下に、飢えと渇きを意識する。 人間の生活は、そのような体験では、言い尽くされない。 人間は、それら全てを越える欲望や願望を発展させる事が出来る。 動物の場合、十分に研究できるならば、身体の外か内のどこかに、行動や感覚への誘因があるのをいつでも証明することができるであろう。 人間の場合は、決してそう言う訳にはいかない。発生の誘因が身体の内にも外にも十分に存在しない願望や欲望が生じる事がある。 この領域に属する全ての事柄に、特別の源泉を認めなくてはならない。 この源泉は、超感覚的科学の意味で、人間の「自我(私)」の中に見られる。

般若心経と共通点がありますね。

「私たちの存在は、体と心によって成り立っている。 だからこの身と心のどこに自分が存在しているのかを確かめようとした。
そして、様々な『知識』が落ちて行った時に気づいた。

形あるものは全て変化し続け、変化しないものはないのだ。その理によって、形あるものが存在するのだ。 私達の「体」は何でできているか?追求すれば素粒子というようなとても小さな 物質が集合して出来ている事に気付くだろう。

あらゆる物体は固有が実在しているのではなく、何かが集まった「状態」にすぎない。」

シュタイナーの著書よりディテールまでとても熱心に研究され、人間の本質や宇宙の真理を追究されていたようです。

シュタイナーを批判していたナチスの母体となる秘密結社「トゥーレ協会」の主要メンバー:ディートリヒ・エッカルトは、

シュタイナーの霊的洞察力の前にあっては、何事も隠しおおせるものではない。
彼とその入門者たちは、我が『卜ゥーレ協会』の性質に異を唱え、我らの会合や入門儀式の全てを霊的地点から監視している。

この事からもシュタイナーにとても脅威を感じていたことが窺えます。

<シュタイナーの死と共に>
1922年の春、シュタイナーはミュンヘン駅構内でナチス側による暗殺未遂事件、同年大晦日に公演中の放火事件、そして1924年1月、ドルナッハの夜会の席で突然の発作から衰弱していき(それでも1925年まで数回の講演を行った)同年3月64歳の若さでこの世を去りました。
(この夜会で毒物が混入されていたという説もあります。)
8年後、ナチス政権下で「シュタイナー学校」は閉鎖されてしまいました。
<シュタイナーが残した遺産、シュタイナー教育とは>

シュタイナー教育は、教科書もテストもなく、
他者と競わせずに個々の創造力を生かす教育。

日本にもシュタイナー教育の学校は存在し、俳優の斎藤工さんは東京シュタイナーシューレ2期生で、6年生まで通ったそうです。
どのような学校だったのか、インタビュー記事より引用させて頂きました。

<斎藤工さんのインタビュー記事より>
全校生徒は5〜6人で、授業を僕1人で受けていたこともあり、自分で自由に創造して作るということをやっていました。お米作りも一年間、苗を育てて田植えをして稲刈、収穫後にはバザーで人に売るという一連の作業を行ったのがとても印象的でその感覚が体に残っています。

通常の学校に転校した当時はみんなの目が怖く、異分子が加わることへの反感のような空気があり、人数も多く異なり点数評価やランキング形式でこれまでにない勉強方法だでした。

シュタイナー学校の時代は少人数で全員とのコミュニケーションが密だったし、それぞれの家庭との関係も深く、全員が家族みたいだったが、それが、一定の距離を置いた付き合いが普通になりました。

僕を救ったのは、最初に話しかけてくれたクラスメイトでいまだに親友。

誰に対しても分け隔てなくコミュニケーションがとれて、いじめっ子ともいじめられっ子とも仲良くなれるタイプ。
シュタイナー教育を受けているわけではないけれど、その人全体から感じる空気感がすごく懐かしかったりして、シュタイナー的なものを感じました。

「シュタイナー的なもの」とは、ボーダーレス(境界がない)で開いている感じ。
表面的な外見を取り繕うよりも、自分が持っている内面をいつも開放している人。心に鍵がかかってない。僕自身は、シューレから外に出た時に閉じていたと思います。

まだ慣れていない世界で開いているのは危険な感じがしました。それでも、最初に話しかけてくれたクラスメイトのように閉じていない人に会うと、「スミマセンでした」と焦って鍵を開ける感じがあります。自分の鍵を開けるように促してくれる人が、シュタイナー的な人なのかな?

こうしたことからもシュタイナー教育は、

自分で創造し考える力を養い、競争もテストもないから、優劣も生まれず、それぞれの個性を生かした自由度の高い学びがあると感じました。

また、スイスのシュタイナー教育を受けた方々の最近の声は

<予防接種を受けさせないスイスの親たち>

「我々は人間の自己治癒力を信じ、それらを活性化する方法も心得ている。人智学医学において、病気は除外すべき悪ではなく、特に子供たちにとっては成長のチャンスだと理解している。」

この記事を見て、コロナ対策のアルコール消毒を思い浮かべました。

多くの人は毎日数回アルコール消毒をしているかと思いますが、おそらくインフルエンザが流行した時は今のような過剰消毒はやっていなかった筈。

過剰に消毒することで人間のもつ常在菌を殺してしまい、外部からの細菌やウイルスに太刀打ちできなくなる状況を作ります。つまり自分の体を抵抗力が低下した無防備とも言える環境へと変えてしまっているのです。

人間というのは治癒力が備わっているので、疾患がない健康な人で自己免疫力を高めることを行っていれば、風邪をひいても大概は3~7日で治るよう案外丈夫にできているものなのです。

おそらくコロナは既に自覚症状が無い状態で多くの人が感染していると思われますが、自覚症状があったとしても自己免疫力で治せている方が多いと思われます。

「コロナ」=「悪」と世界はレッテルを貼っていますが、私達が直面したこの状況は、自分自身を省みるきっかけになり、乗り越える知恵も生まれたのではないでしょうか。

特に大災害が起きた場合も同様のことが言えます。

シュタイナーはこの世を去りましたが、その思想は風化することなく後世に引き継がれ、シュタイナー学校は100年近い歴史となり、今では世界に1000校以上も存在します。彼の講演や著書には多くの人に影響を与えています。

『自分の意志で歩める自由な人を育てる』

それがシュタイナー教育の理念。

今、次元上昇を迎えている私達自身も、シュタイナーから自身の精神に目醒めていくことを諭されているように思います。

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