高野山(金剛峯寺)

高野山 金剛峯寺

以前から行きたかった高野山。
特に最近弘法大使が気になって仕方がなく今年は生誕1250年記念ということで、伺うことに決めたのでした( -`ω-)キリッ

高野山は平安時代初期に弘法大師が開基した真言密教の聖地。
「金剛峯寺」の由来は『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経から名付けられたそうです。
(そういうお経があったとは知らなかった。)

正門

昔はこの門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけで、一般の僧侶は右の小さい入り口から出入りしていたそうです。

早速中へ。
入館料を払い、帰りに御朱印を受け取ります。

大広間と持仏間
大広間は重要な儀式・法要が執り行われるそうで、斎藤等室による襖には群鶴(ぐんかく)が描かれています。400年位前と思いますが、多少色褪せているとは言え、煌びやかで繊細な線が未だに残っていてが素晴らしいです。

<高野山を発見したきっかけ>
弘法大師が2カ年の入唐留学を終え、唐の明州の浜より帰国の途につかれようとしていた時、伽藍建立の地を示し給えと念じ、持っていた三鈷(さんこ)を投げられた。
その三鈷は空中を飛行して現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちていたという。
弘法大師はこの三鈷を求め、今の大和の宇智郡に入られた時そこで異様な姿をした一人の猟師にあった。手に弓と矢を持ち黒と白の二匹の犬を連れていた。
弘法大師はその犬に導かれ、紀の川を渡り嶮しい山中に入ると、そこでまた一人の女性に出会い「わたしはこの山の主です。あなたに協力致しましょう」と語られ、さらに山中深くに進んでいくと、そこに忽然と幽邃な大地があった。
そして、そこの1本の松の木に明州の浜から投げた三鈷がかかっているのを見つけこの地こそ真言密教にふさわしい地であると判断しこの山を開くことを決意されました。

梅の間 梅月流水(ばいげつりゅうすい)

お部屋にはそれぞれ襖に絵が描かれて見応えがありましたね。
<梅の間>狩野探幽
梅月流水(ばいげつりゅうすい)

※案内板には狩野探幽とありますが、HPには筆者は斎藤等室となっています。

<柳の間>山本探斉
柳鷺図(りゅうろず)

2020年に奉納された千住博氏の障壁画は圧巻でした。
<囲炉裏の間>
・全長25mを越す《瀧図》
<茶の間>
・全長1mを越す《断崖図》

「柳の間」=「秀次自刃の間」とも呼ばれ秀吉の甥の秀次が自刃した場所でもあります。
この絵は雪景色の松の絵なんですが、何とも虚しさが伝わりました。

<自刃した秀次:経緯と謎>

柳の間は、1595年に豊臣秀次が自害した部屋。
豊臣秀次は豊臣秀吉の姉の長男。浅井長政の家臣の宮部継潤が秀吉の調略に応じる際に豊臣秀次が養子となった。
その後は三好家の養子となり、秀吉が天下を取ってからは豊臣姓を賜り秀次と名を改めた。
秀吉の嫡男鶴丸が夭逝した後、秀次は改めて養嗣子とされ関白を譲られた。
ところが、その後秀頼が誕生し、秀次は強制的に出世させられ、高野山青巌寺に蟄居となった後、自刃した。

何故自刃に至ったのかは諸説あります。謀反を企てている等の噂が出て、秀吉からの命や周りからの勧めで自刃したというのが一般的に知られている内容ですが、高野山で俗世間から経たれ隠居した身でなおも自刃をさせられたというのは奇妙です。
御湯殿上日記には宮中に仕えた女性達が書いた日記が残っており、それには無実だった秀次が自ら自刃したという記載が残っています。
潔白を証明するための自刃とも取れます。
いずれにしてもこの時代は政治のコマとして制限も多く自分の思いではどうにも変えられない生きづらい世の中だったと言えます。

この部屋には、既に秀次の魂は成仏されているようでしたが、部屋の記憶というか、この部屋がありのままを見ていて、秀次のお世話をしていた人々の悲しそうな感情が伝わってきました。

枯山水の小庭

廊下を進んで振り返った所です。枯山水が風流ですね。
更に先に進むと大きな庭が見えて来ました。

蟠龍庭(ばんりゅうてい)

国内最大の石庭。
2,340平方メートルもある蟠龍庭(ばんりゅうてい)
雲海を表す京都産の白川砂、そして弘法大師誕生の地である四国の花崗岩を使って、雌雄の龍を表現した大石庭です。
奥殿の左右(写真では手前に並んだ石が雄龍)、向こう側に並んだ石が雌龍。2体の龍が向かい合って奥殿を守護している設計になっています。清々しく気持ちの良い石庭でした。

<四季の庭園>
写真はありませんがこちらも個人的に気に入った所です。小さい池にカエルさんがいましたよ。後で調べた所ここには天然記念物のモリアオガエルがいるとか。
その子は緑ではなかったので、違う種のようでしたが小さくてかわいいカエルさんに出会えて良かったです~。

どんどん進むと台所が見えて来ました。

土室(つちむろ)と呼ばれる土壁で囲んだ部屋の中に囲炉裏があります。
ここで僧侶たちがご飯を作っていたんですね。天井まで続く長い煙突もありました。

七斗炊きの大釜が三基並んでいて、合計二石釜(2000人分)だって。凄い!

<宝来飾紙のある神棚>

台所の大広間から廊下みたいな所を歩き、見上げると神棚が。
こちらがなんとなく気になったので、台所に飾られているということから、食物に関する神様か山の神様、歳神様なのかなと思い、手を合わせてちょっとワークをさせて頂きました。
その後、どこからともなく突然風がやって来て、
切り絵がヒラヒラしだしたんです。(なんか神社の紙垂みたい。)
神様は姿は現わさなかったけど、喜んでいるようでした。
暫くヒラヒラやってて自然と風が止り辺りはシーンとなりました。

帰宅してからこちらのことを調べた所、神様は載っていませんでしたが、この「切り絵」が神社の「紙垂」の代わりという記載がありました。

『弘法大師空海が中国の洛陽を訪れた際に「切り絵」を習得され、弟子たちにその切り絵の手法を伝授しました。
日照時間の短い高野山では稲作ができず藁がとれなかったため、この切り絵をしめ縄の代わりに飾るようになったことが始まり。』HPより

稲が採れない為、山菜や木のみなどの山の恵を願ったのでしょうね。

紀州高野山発祥の「切り絵」で、招き猫やだるまなどのような「福を呼ぶ縁起物」とされているそうです。

愛染明王

「向こうの壁には弘法大使御直筆の愛染明王がまつられています。」と案内板がありましたが、この部屋の壁には見当たらず。別の場所だったのかな。

外へ出て辺りを見渡した時、屋根の上に桶のようなものが。

天水桶(てんすいおけ)

檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺(ひわだぶき)の上に天水桶(てんすいおけ)を設置し、日頃から雨水を貯め、火災等が発生して火の粉が飛んで屋根が燃え上がらないよう、桶の水で湿らせる為に古くから備えられたものだそうです。

次は大師教会と檀上伽藍へ行きました。
続く。

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