日月神示 身魂磨き②悪を抱き参らせよ

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日月の巻

第12帖 (185)
足許に気つけよ。悪は善の仮面かぶって来るぞ。
入れん所へ悪が化けて入って神の国をワヤにしているのであるぞ、己の心も同様ぞ。
百人千人万人の人が善いと申しても悪いことあるぞ。一人の人言っても神の心に添そうことあるぞ。てんし様拝めよ。てんし様拝めば御光出るぞ、何もかもそこから生まれるのだぞ。お土拝めよ。お土から何もかも生まれるのぞ。人拝めよ、上に立つ人拝めよ、
草木も神と申してあろうがな。江戸に攻め寄せると申してあろうがな。富士目指して攻め来ると知らせてあること近づいたぞ。今までのことは皆「型」であったぞ、
江戸の仕組みもお山も甲斐の仕組みも皆「型」ぞ、鳴門と渦海うずうみの仕組みも型してくれよ。尾張の仕組みも型早く出してくれよ。型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ。雨降るぞ。
 
第13帖 (186)
人間心で急ぐでないぞ。我が出てくると失策(しくじ)るから我とわからん我あるから、今度は失策(しくじ)ること出来んから、ここと云ふ時には神が力つけるから急ぐでないぞ。身魂磨き第一ぞ。蔭の御用と表の御用とあるなれど何れも結構な御用ざぞ。身魂相当が一番よいのざぞ。今に分りて来るから慌てるでないぞ。今迄の神示よく読んでくれたらわかるのざぞ。それで腹で読め読めとくどう申してゐるのざぞ。食物(くいもの)気つけよ。十月二十八日、ひつ九のかみ。
第33帖

宝の山に攻め寄せ来ると申してくどう気付けておいたでないか。
神の国にはどんな宝でもあるのざぞ。
(かみ)の国、昔から宝埋けておいたと申してあろがな。
(かみ)の国にも埋けておいてあるのざぞ。
この宝は神が許さな誰にも自由にはさせんのざぞ。
悪が宝取らうと思ったとて、どんなに国に渡り来ても、どうにもならん様に神が守ってゐるのざぞ。
いよいよとなりたら神が誠の神力出して、
宝取り出して世界のどんな悪神も神の国には敵わんと申す所まで、
とことん心から降参する所まで、今度は戦するのざから臣民余程見当取れんことに、
どんな苦労もこばらなならんのざぞ。
知らしてありた事、日々どしどしと出て来るぞ。
我よしすてて呉れよ。
第34帖
この神示よく読みてくれよ。早合点してはならんぞ。
取違ひが一番怖いぞ。どうしたらお国の為になるのぞ。
自分はどうしたら好いのぞと取次にきく人 沢山出て来るなれど、この神示読めばどうしたらよいか判るのざぞ。
その人相当にとれるのぞ。
神示読んで読んで腹に入れてもう分らぬと云うことないのざぞ。
分らねば神知らすと申してあろうがな。
迷うのは神示読まぬからぞ。腹に入れておらぬからぞ。
人が悪く思へたり、悪くうつるのは己が曇りてゐるからぞ。

磐戸の巻

第4帖 
この方この世のあく神とも現はれるぞ、閻魔とも現はれるぞ、アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪もないのざぞ、審判(さばき)の時来てゐるのにキづかぬか、其の日 其の時さばかれてゐるのざぞ、早う洗濯せよ、掃除せよ、磐戸(ゐわと)いつでもあくのざぞ、善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。悪と善とたてわけて、どちらも生かすのざぞ、生かすとは神のイキに合すことぞ、イキに合へば悪は悪でないのざぞ。この道理よく肚に入れて、神の心 早うくみとれよ、それが洗濯ざぞ。一月二日、   のひつ九のか三。

まつりの巻

第5帖
 肉体 先づ苦しめたら、今度その守護神にはそれだけの見せしめせなならんことになってゐるのざぞ。神がかりで まだ世界の事何でも判ると思ふてゐる人民 気の毒出来るぞ。八百八光の金神殿、愈々にかかりなされたぞ。出雲の大神様 此の世かまひなさる大神様なり、其の処得ないもの、人民ばかりでないぞ、三千世界の迷ふミタマに所得さして嬉し嬉しにまつりてやれよ、コトで慰め弥栄へしめよ、コトまつりて神の列(つら)に入らしめよ。その国々ぞ、あたまあたまで、まつり結構ぞ、まつり呉れよ。邪はらふとは邪無くすることではないぞ、邪を正しく導くことざぞ、追払ふでないぞ、まつろへよ。引寄せて抱き参らせよ、取違ひならん大切事ぞ。八月十二日、一二  。

日月の巻

<邪をまつろへよ。引き寄せて抱き参らせよ>

悪を抱き参らせよとはどういうことなのでしょう。

善も悪も大神が存在できるようにこの世に使わしており、対立してどちらかを消滅させることが正義ではない。悪に寄り添い正しく導くのだ。
そうすれば調和の取れた嬉しい世界が開ける。
邪を祓っても改心しなければまたやってくるということです。

悪の中でも改心するものがいる。
改心しない悪神は大神に任せる。
光だけや闇だけに偏る世に喜びも生長もない。また、親や兄弟は一番近い祖先であり、仇同士で生まれ出る事もある。

近いからこそ中々上手くいかないことも多いですが、そうしたカルマを解消するための一番の試練が血縁や親しい関係なのでしょう。

「悪と思ってゐることに善が沢山あるのざぞ。」
「人裁くのは神裁くことざぞ。」

悪によって気付かされ、逆に己を改心させられることがある。
他者に偏見を持ったり誹謗中傷してはいけない。
そういう自分に気付かないから、どうどう巡りが起きる。

何よりも大事なのは、自分の内側にある悪(闇)に気付き、できるだけ早く、徹底的に浄化を続けること。時が来たら裁きを受ける。
この裁きとは二極化のどちらかに進むのかが決定されるということです。

善=正義が必ずしも正しいということではなく、悪の存在により私達は真の自分(神)に戻れるきっかけがある。
だからこそ悪との調和を図りひとつになることは宇宙の壮大な立て直しの成功を収め、進化を遂げていくものになる。

また、「神の国日本」には宝が埋まっており、それを悪が取りに来るという、所謂「ソロモンの秘宝」とも思える記述があり、「いよいよとなりたら神が誠の神力出して、」
神の国を守るから人々はどんな苦労も覚悟せよ、と言われています。

色々な巻で総合的に解釈してみましたが、是非繰り返し読んで自分なりに感じて頂きたいと思います。

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