年末年始のことで遅くなりましたが、能登ライトワークのご報告です。
一昨年の予定がコロナで見送りになり、今回は大寒波が来ていたものの、予定通り決行。
早朝東京を出発し、金沢からレンタカーを借りて奥能登へ。
さて、日本海側はいくつか景勝地があるようなので、せっかくの能登ということで敢えて海岸線の半周コースを走ってみることにしました。
でも雪は大丈夫なんだろうか??ま、そん時はそん時!!
そんなわけで金沢から高速「のと里山海道」へと出発。
走っている途中から雪になり、徐々に雪道へと変わり、吹雪だして更に突風が吹き、遂には前後左右真っ白でホワイトアウトに!
全く何も見えなくなって、やば~い!!
高速走行中の道路の真ん中で車を停めましたΣ(T□T)
車を路肩に寄せたかったけど、真っ白で全く見えません。
幸い前後の車と離れていたことを確認していたので、事故にならず、2,3分で吹雪はおさまり視界が開けてきました。
しかしビビリましたー(^▽^;)
強風で何度かハンドルを取られそうになりながら輪島へ到着。
ちなみにこの「のと里山海道」は無料です。
輪島から日本海側を北上し「白米千枚田」で休憩。
ここには棚田があり写真撮影で有名らしいです。季節を変えたら見応えのある風景が広がっていたかも。寒いので直ぐに出発💦
名舟へ。
奥津姫神社
海に立つ独特の鳥居が見えて来ました。堤防の右側が港になっています。
やはり日本海は波が荒いです。堤防に波が高く打ち寄せていました。
白い泡のようなものは「波の花」で、風で度々舞い上がっていましたね。
波の花とは
沖合で分解された溶解性有機物質 ( タンパク質 、 リグニン 、脂質 など)を特に多く含んだ 海水が撹拌されて作られた泡のこと。
そして道路を挟んで急勾配の階段を上った所にこの鳥居の神社があります。
ちなみにこの日、輪島では20㎝の積雪があったのですが、こちらの海岸線は強風の為、ご覧の通りほぼ道路に雪はありませんでした。
雪が払われ、晴天の時のように道路が乾いている所さえありました。さすが北陸です。
舳倉島(へぐらじま)
輪島の沖約50Kmのところに「舳倉島(へぐらじま)」という島があり、その島内に本社の奥津比咩神社があります。こちらの神社は奥津比咩神社の遥拝所となって建てられています。
舳倉島(へぐらじま)は、知る人ぞ知る、バーダーと釣り人の憧れの島で、渡りの野鳥や豊富な魚の宝庫となっております。
私も過去に一度だけ行ったことがある癒しの島です。
奥津島比売命(おきつひめのみこと) は福岡の宗像大社三女神のうちの、田心姫命(たこりびめのみこと) のことです。
福岡では一番沖にある島「沖ノ島」の沖津宮に田心姫神が祀られており、神職以外の一般人の渡島、立ち入りは禁止になっている島です。
古事記では多紀理毘売命(タキリヒメノミコト)の別名で大国主命と結婚しています。舟に神輿を乗せて、舳倉島にある奥津比咩神社の祭神を迎えるのも宗像大社と同じです。
御陣乗太鼓の発祥の地
上の写真の右中央よりやや下に絵があるのがわかるでしょうか。それを拡大してみると・・・・。なんだか奇妙な絵ですね。
この地は太鼓で有名で御陣乗太鼓の発祥の地となっており、こんな話が残されています。
西暦1576年、上杉謙信が現在の珠洲市三崎町に上陸後、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せて来た。 鍬や鎌まで持ち出して戦っても勝てない。 そう思った古老は、ある一計で見事上杉群を敗退させた。 その方法とは、樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけたのだ。 上杉勢は思いもよらぬ陣太鼓と奇怪きわまる怪物の夜襲に驚愕し、戦わずして退散した。 |
奥津比咩神の御神徳によるものだと考え、奥津比咩神社の大祭『名舟大祭』で太鼓奉納するようになったそうです。
輪島市にある「ホテルこうしゅうえん」に宿泊されると、こちらの太鼓の演技が見られるそうで、結構感動するとか。一度見てみたいです。
お祈りをさせて頂いた時、温かいエネルギーが降りてきて、このエリアや海を強固に守って下さっていて、地域の方々からも、とても愛されている女神様だと感じられました。
舳倉島に行った時はまだスピリチュアルのことを知らず野鳥撮影に夢中だった為、奥津比咩神社への参拝はしていません。(もったいなかったなー)
機会があればまた伺いたいと思います。
続く。