大斎原(おおゆのはら)スサノオ降臨の地

大斎原(おおゆのはら)大鳥居(高さ約34m、幅約42m)

玉置神社の後はこちら熊野本宮の元宮となる大斎原(おおゆのはら)に参りました。
日本一の鳥居だけにこのド迫力です!

田んぼの先にある大きな鳥居を見た瞬間懐かしくもあり心がジーンとしました。

稲が実った先に聳え立つ大鳥居。
この光景がとてもとても好きです。
おそらく神様に会えるというワクワク感が高まっているせいでしょう。

家津美御子(けつみみこ)(スサノオ)降臨の地

素戔嗚尊が降臨したこの地。
自身の御毛を抜いて木を育成させたという神話から「木の神」とされ 「紀伊国」は「木の国」から来ているとか。

水害で熊野本宮大社は遷都しましたが、元々は、大斎原の地の「いちいの木」に、3つの三日月がみえ、神様からのお告げにより、熊野本宮大社が建てられたとも言われています。

大鳥居

蘇りの聖地

ここはかつて熊野川・音無川・岩田川の合流点である中州で、熊野本宮大社がありました。当時は約11,000坪の境内で現在の数倍の規模だったとか。
東京ドームが約14,217坪なので広大な土地の神社だった事が分かります。沢山の人々が何度も行き来している光景が浮かびます。

参拝者は川の水に漬かりながら、身を清め、冬の日も身を縮めながら渡り、暗くなった夜
にも参拝してました。

そしてこの岩田川を「三途の川」に見立てて何度も行き来する習わしもありました。
熊野三山は「浄土へお参りし、帰ってくる」死と再生「よみがえりの聖地」として、上空からみたら蟻のような行列をなして人々が参拝していたそうです。

この先は撮影禁止

鳥居を潜ると「気」が「ワァー」とやって来て「良く来たね」って精霊達が迎えてくれます。
この真ん中に大きな龍が通るみたい。上(空)も現れるのでしょう。
この空は宇宙空間の(宙)と表現した方がいいのかもしれない。時空が違う感じがします。
クラクラしそうな暑さにも関わらず、頭がスッキリして体を整えてもらったようです。

水害による遷都


こちらの看板は資料として撮影させて頂きました

明治22年(1889年)8月に起こった大水害により本宮大社の社殿の多くが流出。
水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社へ遷座しました。

中へ進むと公園のような芝生があり、とても広いです。
流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられていました。

<中四社>左祠
忍穗耳命
瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
彦穂々出見命(ひこほほでみのみこと)
鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと)

<下四社>左祠
軻遇突智命(かぐつちのみこと)
彌都波能賣神(みづはのめのかみ)
稚産霊命(わくむすひの みこと)

<境内末社>右祠
八咫烏神社
音無天神社
高倉下神社
海神社

ご挨拶をして天人地のワークをさせてい頂きました。
エネルギーが強く気の高まりを感じる・・。
美しい七色のご神気が降り注ぎ、宇宙と直結したパイプが太いイメージ。
厳格ながらも包み込む優しさを感じられました。
信仰が深かったこの地に当時の人々の思いが残されているので、光も強く感じられます。

人生を自分らしく輝かせたいと思っている方は是非お詣りされると良いでしょう。
ワーク後もボーと突っ立ってました。特に意識はしていませんでしたが、エネルギーをダウンロードしていたんでしょう。

炎天下の中、田んぼの側溝にはメダカちゃん達が元気に泳いでいましたよ。

産田社(うぶたしゃ)

「産田社」(うぶたしゃ)

大斎原から戻って右側に行った所にある産田社。
伊邪那美命(いざなみのみこと)の荒御魂が祀られています。
参拝している時に強い風が吹き出し、応えて頂けて良かったです。

子授け・安産のご利益の他、「生み出すパワー」や「創り出すパワー」を秘めているので新しいことを始めたい、起業したい、何かに挑戦したい、アイデアを授けて欲しい等、思
われている方はお詣りされるとサポートして下さるでしょう。

つづく。

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