熊野(1)役 小角(えんの おづぬ / えんの おづの)

役 小角(えんの おづぬ / えんの おづの)

さて、錚々たるメンバーについて、名前はなんとなく聞いていても、どういう人物かあまり知らないと思われる方も多いでしょう。
彼等のことを是非知って欲しいです!彼等はその時代の覇者で生き抜いた人だけにとにかくエピソードが凄い!ということで、今回は一部の方を紹介します。

役 小角(えんの おづぬ / えんの おづの)
修験道の開祖:役小角

飛鳥時代の呪術者で熊野~吉野の大峰山で修行を重ね、修験道の基礎を築いた。
<誕生>
母がある夜、天空に金色に輝く金剛杵が浮かんでおり、これが静かに降りてきて 口に入ってしまうという不思議な夢をご覧になられてご懐妊されたと伝えられている。
また産室にはまるで蘭の花の部屋にいるような良い香りが漂い、手に一枝の花を握ってお
生まれになられたといわれている。

<術者、超人>
鬼神を使役できるほどの法力を持っていたとわれますが、おそらくそうだと思います。
役行者は葛城山(金剛山)の岩窟で修行して孔雀明王の呪法を修め、 鬼神を使役して大峰山と葛城山との間に橋を架けさせようとした。また生駒山に住んで人を殺していた二鬼を調伏し、前鬼(善童鬼)、後鬼(妙童鬼)と 名を与え家来にします。

25歳のときに北の方角に霊光を見その光を追って摂津国の箕面山の大滝に至り、滝の上の竜穴(御壺)の中へ入って、龍樹菩薩の影現にお遇いになり修験独特の灌頂の秘法を受けられた。

*龍樹菩薩(ナーガールジュナ)とは
「八宗の祖師」又は「小釈迦(しょうしゃか)」と呼ばれ、お釈迦様がお亡くなりになってから700年後、南インドに現れた方でお釈迦様が『楞伽経(りょうがきょう)』で龍樹菩薩の出現を予言されています。
[未来にまさに人あるべし。南天国の中に於て、大徳の比丘ありて龍樹菩薩と名づけん。能く有無の見を破し、人の為に我が乗、大乗無上の法を説き、初歓喜地に住して、安楽国に往生せん。]

その後、羽黒、月山、湯殿の出羽三山、彦山、阿蘇、霧島、高千穂を回り法力を高めた。 葛城山では藤皮を衣として松葉を食物として修行に励まれ、また熊野から大峰山の深山に
入り、 金峰山上で蔵王権現をご感得。 伝説によると大峰山はお釈迦様が説法をされた霊鷲山が衆生を済度するために 日本に飛んできた土地といわれ一乗の峰とも呼ばれている。
大峰には金剛界・胎蔵界の諸尊が列座されていて、葛城山を顕教(法華経)の峰、大峰を金胎両部の密教の峰として 現在も峰入奥駈修行が行われている。

<入滅>
できる人はいつの時代も妬まれるものである。
699年の5月、彼の弟子の一人であった韓国連広足が、その能力を妬んで彼を讒言したため、妖術をもって人心を惑わす者として捕らえられて伊豆大島に流罪になる。

ここでも様々な霊験を示され、夜になると富士山に登って修行されたといわれる。後に疑いが晴れ、大宝元年(701)6月7日、御年68歳の時、 役行者は老母を連れ天上ヶ岳へお登りになり、 「本覚円融の月は西域の雲に隠るるといえども、方便応化の影はなお東海の水にあり」との ご遺偈をお残しになり、五色の雲に乗って母とともに天上にお登りなった。

宇宙人かな・・・💦
日本の成り立ちをおそらく知っていたのではないでしょうか。呪術合戦みたいなことを繰り広げていたように感じます。霊場を守る為に色々と結界を張ったのでしょう。それを空海が引き継いだのかどうかは分かりませんが空海も同様のことをしていたと思われます。

日本の行く末を案じアセンションに向けて私達に働きかけ支援し続けている重要な存在です。

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