2度目に品川神社を訪れた後、こちらの神社へ伺ったのですが、ちょっと面白い体験がありました。(2019年3月)
左手には大きな恵比寿様がお出迎えです。
「東海七福神」の恵比寿神を担っており1993年に奉納されたものだそうです。
参道を進み、左手の手水舎で清めます。
<御祭神>
豊受姫之神、天照皇大神、須佐男之尊、高龗神、手力雄之尊
中に入ると風がワッと吹いて来て、歓迎ムード(o^∇^o)
重厚感のある拝殿には見事な彫刻が施され、屋根の上からなんと龍が顔を出しています。
他の神社にはない珍しい光景に魅入ってしまいました。
<龍神>
後で知りましたが、屋根から見下ろしている龍はやはり有名だそうで、こちらの荏原神社では水神(龍神)を祀り、「品川の龍神様」と称され品川神社と共に南北の鎮守されているそうです。
<正体不明の存在>
境内を散策し、ふとある場所で足が止まりました。
特に強い波動は感じられなかったのですが、何かが引っ掛かります。
この石碑が何かあるのかな?
いやそうじゃなさそう。
一体なんだろう、足が動かない。
その場所は参道から入って左手にある石碑の辺りです。
周りを見渡すと透塀に囲まれ、広々と長閑な境内に浮遊霊はいるものの、不審な点は見受けられませんでした。
腑に落ちないので気にはなりますが、暫く周りを探ってみても特に異常は見受けられなかった為、神社を後にしました。
荏原神社を出てすぐ隣に鳥居があり、遠くにお稲荷さんが見えたので、こちらへ伺うことに。
(ん?ここはヤバイな)
途端に重い邪気の気配。頭痛と吐き気がしてきました。
参道の石畳みは整備されておらずデコボコで荒廃感があります。
こじんまりと社殿に着くと直ぐに浄化ワークを行いました。
隣の荏原神社とは全然神聖さが違って、良くない存在の宝庫になっている模様。
何度か陰陽師ワークを行い、やっと軽く明るい波動に変わりました。
暫く何回かは浄化が必要と思われます。
それぞれ参拝してこの日は帰宅しました。
<塀から覗いていたものは・・・>
夜、寝るときに今日の出来事を思い返していると、あの場所が現れて来ました。
荏原神社で私が足止めされた場所。特に何もないけど妙な気配がある。
少し角度を変えてやや上空の視点からこの場所を見た時に、誰かが透塀の向こうにいることに気付きました。
もう少し寄ってみることに・・・。
逆サイドから少し近づくと、おかっぱの女の子が透塀の隙間から荏原神社を覗き見ていたのです。
その場所は、わたしがちょうど荏原神社の境内で不審に思って止まった所の反対側、石碑の真後に位置しました。
そうか、あの時ここで妙な気配を感じたのはこの女の子か。
石碑の後側で透塀を挟み、結界も張られていたので、その時女の子に気付きませんでした。
この辺で亡くなった子かな・・・・。
最初はそう思いましたが、よくよく透視してみると、人間に化けていますが、しっぽがあります。
どうやらお隣のお稲荷さんの狐のようでした。
荏原神社を羨ましそうに見えていたので、自分が守る荒れた稲荷神社が酷い状況になってしまい、荏原神社に多くの参拝客が来ていることを羨ましく見ていたのでしょう。
それで稲荷神社へ入った時、あんなに強い反応があったのかと納得。
多くの念や不浄物霊も集まって、いつしか人を寄せ付けない神社になってしまったのでしょう。
現場では正体が分かりませんでしたが、後で過去に遡ってチャネリングすると、こうして視えることがあります。
じっと向こうの塀の隙間から見られていたなんて、その女の子の姿を見た時はゾっとしましたが、上手く化けれず不完全のしっぽが出たまま、塀から覗いている姿は少し滑稽でした(笑)
荏原神社の由緒(HPより)
荏原神社は元明天皇の御代、和銅2年(709年)9月9日に、奈良の元官幣大社・丹生川上神社より高龗神(龍神)を勧請し、長元2年(1029年)9月16日に神明宮、宝治元年(1247年)6月19日に京都八坂神社より牛頭天王を勧請し、古より品川の龍神さまとして、源氏、徳川、上杉等、多くの武家の信仰を受けて現在に至っています。明治元年には、准勅祭社として定められました。神祗院からは府社の由来ありとされました。現在の社殿は弘化元年(1844年)のもので、平成20年で164年を迎えました。
往古より貴船社・天王社・貴布禰大明神・品川大明神と称していましたが、明治8年、荏原神社と改称。旧荏原郡(品川、大田、目黒、世田谷)の中で最も由緒のある神社であったことから、荏原郡の名を冠した社号になりました。神殿に掲げる荏原神社の扁額は、内大臣三条実美公、貴布禰大明神の扁額は、徳川譜代大名源昌高のお染筆です。
古より当社に祈願すれば叶わぬことは無いといわれ、勝運、学問、商売繁盛、交通安全、病気平癒、家内安全、恋等に特別の御神徳があります