今年を振り返って

2023年、皆さんはどのような年だったでしょうか。
私自身、今年も学びの多い一年でした~!
ライトワークも未だかつてないほど、突き動かされるように行きまくりバテバテの日々。
さすがに出費がやばかった💦
そんな慌ただしい一年でしたが、感動したことがめちゃくちゃ多くて、本当に行って良かったです。
神様は神社以外でたわいもない話を聞いていたりすることが分かったので、おちおちしてられないなと思いましたし(笑)
神様も人間らしい側面があって、より身近な存在として捉えられるようになりました。
恭しく祀ったり、崇めたりということはせずに友達のような感覚で接した方がいいですね。

残り僅かですが、まずはご自身がここまで無事に過ごせたことに感謝しましょう。
自分自身を褒めてあげるのです。失敗したことも、楽しかったことも、「よくやったね」「頑張ったね」とセルフハグしてあげます。

何度も言ってますが、この時代にこの地球に、そして日本に生まれて来たことは相当の確率で、今年も無事に年を過ごせるというのは本当に凄いことなんですね。
それはあなた自身の魂が自分を輝かせたいという強い思いがあったからこそです。

そしてお世話になった人々や、あなたの周りを守護してくれている存在達、地球(テラ)や自然の多くの生命体達の存在も忘れてはいけません。
私達は誰一人としてひとりでは生きていけません。見える存在も見えない存在も、とんでもなく多くの存在達の働きがあなたに関わっています。そうした存在達の支援に熱い感謝の気持ちを伝えましょう。

<感謝の伝え方>
単純に「ありがとうございました」というのと、心を込めて「ありがとうございました」では同じ言葉でも波動が違いますよね。
自分流な心の込め方でお礼を伝えてみると良いですよ。

心を込める時に、自分の発する言葉が光となって届くことを連想してみるのもいいでしょう。またはピンク色の愛の玉のエネルギーを想像してプレゼントしても良いでしょう。
こんな楽しいことがあった、うれしいことがあったと、喜びを直接伝えたり、思い浮かべ
ながら伝えるのも良いです。
受け取る側も(こんなに喜んでくれたんだ)ともっとあなたにサポートしてくれるでしょうし、更なるサポーターを呼び寄せてくれるようにもなります。

そして新年を迎えた時は
「今年もよろしくお願いします」を伝え、上記のような方法と、2024年はどうしたいのか、どうなっていたいのかを想像しながらご挨拶されると良い年のスタートが切れます。
自分の喜ぶ姿を想像しながら、ノートに書いておくのをおススメします。

さて、長々書きましたが、本日は今年最後のブログです。
年末年始も早速ライトワーク全開です!
まだ2023年のライトワークも全て書き切れていませんが💦、スローペースながらご報告させて頂きます。

今年もお世話になりました。
来年も皆様のご健勝と更なる飛躍をお祈り申し上げます。
よいお年をお迎えください。

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熊野(4)一遍上人(いっぺんしょうにん)

一遍上人

一遍上人(いっぺんしょうにん)は、 <幼少期~成人>

1237年、伊予(愛媛県松山市)で生まれ、10歳で母と死に分かれる。父の勧めで出家し、12年間浄土宗の寺々で修行を積む。
父の死で故郷に帰り、半僧半俗の生活を送るが、親戚のいざこざで襲撃事件が起き、故郷を離れる。

最初に訪れたのは信州の善光寺で「二河白道図にがびゃくどうず」を写して自分の本尊とされた。一遍上人はこの善光寺での参籠によって、人々への化益を強く決心する。

<遊行へ>
故郷へ戻り、三年間の参籠の間に「十一不二頌じゅういちふにじゅ」を感得。その後、家や土地など一切を捨てた遊行の旅へ。
学問や理論ではなく、余計な考えは捨て、南無阿弥陀仏と声を出してとなえることを人々に勧め、念仏勧進を行う。一遍上人は遊行で出会った人々に「南無阿弥陀佛」と書かれた念仏札を配った算ふだを賦くばり結縁すること、これが「賦算ふさん」。

<熊野での出来事>

熊野山中で出会った一人の僧に「信心を起こして南無阿弥陀仏と唱え、この札をお受けなさい。」と札を渡しましたが、その僧は、「いま一念の信心が起こりません。受ければ、嘘になってしまいます。」と言って受け取りません。「仏の教えを信じる心がないのですか。なぜお受けにならないのですか。」と尋ねると「経典の教えを疑ってはいませんが、信心がどうにも起こらないのです。」と答えました。 
念仏札を拒否されたことに一遍はショックを受けますが、僧の言葉は理にかなっています。

このことに苦悩し熊野本宮大社証誠殿の御前で啓示を仰がれます。すると、夢の中に熊野権現(阿弥陀如来)が現れ

「一切衆生の往生は、阿弥陀仏によってすでに決定されていることなのです。あなたは信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、人を選ぶことなくその札を配らなければなりません。」
このご神託により「信心の有無や心の浄らかさにとらわれず結縁を勧める」を説いて全国を回ります。

踊り念仏>
九州を出ると、四国、中国地方、京都、信州、関東、東北へと一処不住で回られ、鎌倉へ。
鎌倉では禅宗の寺院が北条氏の保護を受けて盛んになるのをみて、各宗の高僧たちは鎌倉での布教を試みたが、仕事と食料を求める浮浪の人々も数多く集まって来た。

一遍上人も多くの民衆への念仏勧進を願い、鎌倉に入ろうとしたところ、こぶくろ坂で警護の武士が行く手を遮った。浮浪者の取り締まりを厳しくしていた鎌倉に、乞食のような恰好をした僧尼の一団を入れる訳にはいかなかった。

武士に棒で叩かれながらも一遍上人は、「人々に念仏を勧めて歩くことが私の命である。このように制止されれば、どこへ行けばいいというのか。いっそこの場で命を終えよう。」
一遍上人の衆生化益への強い意志と気迫に圧倒されたのか、武士は鎌倉の外では布教が禁止されていないと告げます。
一遍上人は片瀬(神奈川県藤沢市)へ向かい、その後、小田切の里(現在の佐久市臼田)で“南無阿弥陀仏”の六字名号を称えながら阿弥陀仏に救われるという約束があることを信じて、その喜びのあまり自然に体が踊りだした、「踊り念仏」を修める。
太鼓や鐘などを打ち鳴らし、踊りながら念仏や教えを唱えるものとなり、これが現在の盆踊りや歌舞伎踊りなどにも大きな影響を与えている。

京都では一遍上人の念仏札を求め、その数は16年間で25万1724人にのぼったとされている。

一遍上人さんを存じ上げてなかったんですが、踊念仏の太鼓や鐘などを打ち鳴らし、踊りながら念仏や教えを唱えるものとは、なかなか理にかなってるなと思いました。

というのがとても大事でこの音の周波数が人々の肉体、精神、エネルギーフィールドを整え、活性化させることで仏様や神様と繋がりやすくしているんですね。
太鼓や鐘が無かったとしても、口から発せられる言霊、特に日本語は宇宙に響きやすい愛が秘められたバイブレーションがある為、古くからこの言霊を使って唱えることで、神々とのパイプを強くしていたんです。

南無阿弥陀仏とは、永遠の命をもつ阿弥陀仏様に帰依する(お任せする)いう意味で今風に言えば、宇宙の流れに逆らわないでいるとなるように成り、誰もが救われるということです。
念仏とか真言は私的には最初はあまり信じていなかったんですが、一種の呪術みたいなもので正しく使うことでその効力を得られると実感しています。

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『金運盛り天Ⅱ』有償ワークのご案内 

宝木宝木神社

弁財天様、大黒天様のサポートを受け、パワーアップして帰って来ました!
縁結びのご縁を強化し、人間関係が良くなることで良い仕事に恵まれたり、やりがいのある仕事が見つかったりします。毎日が楽しくなったり、自分の能力を発揮して収入と結びつくような引き寄せも期待できます。

ただ、「楽して儲けよう」という考えを持っていると、神々様からの援助は遠のきますのでご注意ください。神々はあなたの成長を楽しみにしている為、仕事でしたら楽しく一生懸命働く人が好きです。また自分と他の人の為に働く人を優先的に支援します。
自分がやりたいことをする為や成りたい自分になる為に、お金や人、仕事、物のご縁を望む方に向いているワークです。


2023年5月、金運最強の宝木宝木神社、阿蘇白水龍神社のライトワークで頂いたエネルギーを元に錬金術で構築した金運ワークを通常は有償ですが、お年玉企画として無償で提供致します!
ワーク詳細は過去に記載している以下内容をご参考ください。

前回、好評だった『金運盛り盛りワーク』を更に強化追加したパワーアップバージョンです。

お金から好かれる人間になる為には、お金に対するブロックを外し、お金と楽しく付き合う自分になることです。

前回の案内でも記載しましたが、今一度内容をご確認ください。
今回は金額は同じでパワーアップ版をお届け致します。

お金の役割は、世の中を豊かにし、人々の心を満たすだけではなく、お金と関わることで人々の中に眠る本質の部分を目覚めさせる働きがあります。

お金との関わり方、自分の在り方を見直すと人生が大きく変化していきます。
お金はスピリチュアルにとても深く関わりがあり、私達が成長する上で重要な学びを教えてくれる存在なのです。

今からでも始められるお金との接し方

・お金のことを好きになる
・いつも感謝を忘れない
・財布を綺麗に掃除する (お金にとって財布はお家なので)
・一万円札を金色の折紙か布に包む。 (居心地の良いベッドを作る感じ)
・支払う時は「ありがとう、また帰って来てね」と伝える
・お金はいつも「ある」と思うこと
 「無い」と言っているとそういう現実を引き寄せる。
・一万円札の左上の番号の末尾が「9」 もしくは「Z」のものを一枚財布に
  入れておく。数字やアルファベットの末尾は「増やす」引き寄せがある。

日常的にできることなので、やってみましょう。

ワーク内容

今回のワークでは宝木宝木神社の当銭岩、弁財天、白蛇のエネルギーを受け取り、以下のことを重点的に構築しています。

・潜在意識にあるお金への抵抗を外す
・お金に対する古い価値観・概念を外す。
・お金に対するネガティブな意識を外す。
・お金が入ることで自分が汚い人間だという錯覚を外す。
・お金は自分も周りも幸せにするツールであり諍いを起こすものではないと認識する。
・お金に対する有難みや喜びが湧いてくる。
・お金のことがもっと好きになり、上手に使えるようになる。

お金というのはお金が好きな人に、心地良く使ってくれる人に入って来るものであり、嫌っていてはいつまでたってもやって来ません。また、漠然と欲しいだけでなく、どのような事で使いたいのかを明確に意図することも大事です。このようにお金は受け入れる体制や条件が重要になります。

期待できる効果

・お金のことがもっと好きになる。
・お金を拾うことがある。
・予定より出費が安く済むことがある。
・誰かから奢ってもらったりプレゼントをもらうことがある。
・臨時収入が入る。
・収入がUPする。
・お金の使い方が変わる。
・お金ではないが祝福されたり、嬉しいことが起きたりする。
  (良縁、恋愛成就、能力開花など)
・運気が向上する。

※ワークを受けてもこれらが必ず該当するというわけではありません。
ご自身のお金に対する考え方で引き寄せるものが変わっていきます。

※光の玉を送る為、お時間は1,2分で終わります。
<お申込み>
【お受取り方法】完全遠隔
【特別価格】4,000円
【実施日】
金運盛り天Ⅱ  有償ワークお申込み
(※各種ワーク一覧にまとまっています)

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熊野(3)花山天皇(かざんてんのう)

花山天皇(かざんてんのう)

花山天皇(かざんてんのう)冷泉天皇の第一子で日本の第65代天皇。
冷泉天皇が発狂したため、2歳で皇太子になり、17歳で即位。退位後、花山法王となる。

<どんな人>
彼は絵画・建築・和歌など多岐にわたる才能があり、その発想も豊で、和歌においては在位中に『拾遺和歌集』を親撰し『拾遺抄』を増補したともいわれ巡礼しながら多くの和歌を作っている。
その反面、即位式で「王冠が重いから脱ぐぞ」と言って脱ぎ捨てたり、高御座に女官を招き入れたり女性のスキャダルも多く逸話がある。

<最愛の妻を亡くす>
忯子とは文のやり取りをしていく中で忯子に興味を持ち、同じ境遇の分かり合える部分があったのか次第に二人の距離は近づき、ついに花山天皇がプロポーズ。お互いが気の合う、かけがえのない存在と思うようになり常に離れず一緒にいた。
そして忯子が懐妊。
幸せの絶頂と思われた矢先、忯子が流産死。わずか17歳だった。

<出家>
忯子の死にショックを受け悲しみにくれる花山天皇。
「出家して御魂を弔いたい」という事を口にする。これは都合がよいと考えた藤原兼家。
兼家の三男道兼(粟田殿)が、自分も一緒に出家しますから」と言って内裏から連れ出そうとする。
この時天皇は「月が明るく出家するのが恥ずかしい」と一度は躊躇するが、今しかないというような理由づけをして連れ出す。

<安倍晴明の予言と花山天皇の退位>
花山天皇が退位する時、他の誰にも言わず、すぐに実行されたが、星の動きを見た安倍晴明が天皇が退位することを察知していた。
<986年6月23日の寛和の変>

それが紀伝体の歴史物語『大鏡』にも残っている。
986年6月23日夜明け前、内裏を抜け出した花山天皇は、道兼とともに山科の元慶寺に向かう。
安倍晴明の屋敷では
「帝下りさせ給ふと見ゆる天変ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな。 参りて奏せむ。車に装束せよ。」
「天空に天皇が御退位されるという現象が起こった。ただ、既に御退位は決まってしまったらしい。直ぐに支度をせよ。」

宮中へ報告する為に式神へ伝えた。
外へ出た式神が「天皇は、今、この前をお通りになったようです」ちょうど安倍晴明の屋敷前を花山天皇を乗せた牛車が通り過ぎ、時既に遅しの状態だった。

在位2年を待たずに19歳の若さで退位、出家した。

<花山法皇vs藤原隆家>
996年に藤原伊周(これちか)と隆家兄弟が花山法皇に矢を射かけるという大事件が起きる。
それ以前から花山法皇vs藤原隆家が起きており日増しにエスカレートしていった。
歴史物語『大鏡』によれば、ある時法皇は、「自分の邸宅の門前を無事に通ることは出来ないだろう」と言って隆家を挑発。
「それくらいのことは出来る」と挑戦を受けた隆家。隆家は頑丈な牛車を用意し、仕掛けてやろうと50人から60人の従者を従えて花山院へと向かった。
花山法皇は獰猛な僧侶を中心にした80人から90人もの従者を配置し、彼らは身の丈ほどもある杖と大きな石を持って待ち構えていた。
さすがの警備に隆家は法皇の家の前を通ることはできなかった。

<皇女殺害事件>
出家後も好色の噂はあった。
出家後、乳母子の中務とその娘平平子を同時に寵愛して子を産ませた。
また『栄花物語』では平子腹の皇女1人のみ成長したといわれる。
しかし1024年12月6日にこの皇女は夜中の路上で殺され、翌朝、野犬に食われた酷たらしい姿で発見された『小右記』
この事件は京の公家たちを震撼させ翌1025年7月25日捜査の結果、容疑者として法師隆範を捕縛、その法師隆範が藤原道雅の命で皇女を殺害したと自白。
藤原道雅の父は、花山法皇に矢を射掛けたあの藤原伊周である。
(事件そのものは盗賊の首領という者が自首をしたため、藤原道雅からの指示という点は有耶無耶になってしまった)

<出家後の活動>
出家後は播磨国の圓教寺に入り、比叡山延暦寺に登り戒壇院で灌頂受戒。
法皇となった後には、奈良時代初期に徳道が観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承があった摂津国の中山寺でこの宝印を探し出した。
花山法皇の観音巡礼が「西国三十三所巡礼」として現在でも継承されており、各霊場で詠んだ御製の和歌が御詠歌となっている。

摂津国の東光山で隠棲生活を送っていたとされ、この地には御廟所があり花山院菩提寺とし西国三十三所巡礼の番外霊場となっている。
花山院菩提寺の真南に位置する六甲山山頂付近の六甲比命神社の磐座群の中の仰臥岩に、花山法皇、仏眼上人、熊野権現連名の碑がある。

花山天皇は良くも悪くも書かれる人。
特に好色でダメダメ人間のように悪評されることがありますが、当時の天皇は私達が思っている以上に重責で縛りがきつく、政治のコマとして頻繁に利用されていた為、幼少期から信頼できる大人がいなくて、さぞ辛く苦しい日々を過ごされたことが窺えます。
また、天皇に道徳的なことを教える人がいなかった為、その行動が奇行にみえたのもそうした理由でしょう。
元来、愛情深く人を大事に出来る人。藤原氏に計られたとはいえ、そのまま天皇でいるよりは出家した方が政権争いに巻き込まれず、自由があり、自分が望む暮らしができたのではないでしょうか。

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熊野(2)文覚上人(もんがくしょうにん)

人を殺め、滝行では死んで命を復活させられたり、源頼朝との出会いなど、数奇な運命を辿る文覚上人の逸話をご紹介します。

文覚上人(もんがくしょうにん)

文覚上人(もんがくしょうにん)
出家前は「遠藤盛遠」(えんどうもりとお)

後白河法皇や源頼朝に重用された、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての僧侶で「神護寺」の興隆に力を尽くした人物。

<袈裟と盛遠>
遠藤盛遠は、上皇が居住する院御所の警備を担う北面の武士として鳥羽天皇の皇女・統子内親王に仕えていた。
同じ北面武士で従兄弟であった「源渡」の妻「袈裟御前」(けさごぜん)に一目惚れしたことで最悪の事態が。
彼女に「言うことを聞かなければ、お前の母を殺す」と脅して強引に迫ったという。困り果てた袈裟御前は、一計を案じて「私は夫ある身。それほどまでにお慕いくださるなら、夫を亡き者にしてください」と言い、「夫の寝所に忍び込んで、夫を討ってください」と持ちかけた。そして盛遠に渡が眠る位置を教えた。
深夜、渡の寝所に忍び込んだ盛遠。
刀を振り一太刀で渡の首を斬り落とした。しかし灯りで転がったその首をでみると、なんと袈裟御前のものだった。
袈裟御前は己の貞操を守るため、盛遠に嘘を教え、夫の身代わりとなったのだ。

この話は本当かどうか定かではないが、芥川 龍之介の小説や歌舞伎でも有名ですね。

<那智での荒行>
盛遠は自分の罪を悔やみ出家し文覚と改め、那智の滝で荒行に専念します。
那智滝の下流に文覚が修行をしたという「文覚の滝」が存在した。
*現在は台風12号による大雨で滝に巨岩が崩落し消滅。

滝壺に入って首のところまで浸かったまま数日。
何度か気を失いながらも耐え続けた挙句、とうとう息が絶えてしまった。
その時、滝の上から不動明王の眷属、矜羯羅童子(こんがらどうし)と、制多迦童子(せいたかどうし)がやって来て助けられた。
その体を撫でると生きを吹き返したという。
それが2度も生還したというから正に奇跡。
そのシーンが描かれた浮世絵が有名絵↑

<流罪先で源頼朝との出会い>
その後、「神護寺」の再興を後白河法皇に、「神護寺に荘園を1箇所寄付してくださらぬうちは立ち去らぬ」と強引に迫り続けたことで、ついには捕らえられて伊豆国へ流罪に。

伊勢国の安濃津から出航した後、遠江の天竜灘に差し掛かったところで嵐に遭遇。
文覚が船の舳先に立って、「聖が乗る船に危害を加えるとは何事か!」と大喝するや、すぐに波風がおさまったという。

そして無事に着いた伊豆国では、同じく流罪された源頼朝と出会う。それから数年、平家物語には、清盛が法王を幽閉したことに文覚が憤慨。文覚上人が懐から取り出した頭蓋骨を源頼朝の父「源義朝」の物と騙り、源頼朝に平家打倒の挙兵を促したと記されている。

<晩年>
頼朝が幕府を開くや、要人となって活躍する。
源頼朝が亡くなると、文覚上人は後ろ盾をなくし、朝廷の策謀によって佐渡へ配流させられた。
その後、帰京が許されたが、翌年には「後鳥羽上皇」の怒りを買い、対馬へ配流。
文覚上人は対馬へ向かう道中、九州で亡くなった。
承久の乱に敗れて隠岐国に流された後鳥羽上皇の前に、文覚が亡霊となって現れたと言われることもある。

この浮世絵からすると、体形は割とゴツい印象。
鎌倉殿と13人でも記憶に新しい人物。
とても情熱的で自分の意志を貫く怖いもの知らず。
自己中がやや目立って数奇な運命を辿るわけですが、あの滝行は凄いですね。

<水行について>
私も一時期は雪が降る真冬でも暖房を付けず、お風呂場では自分を清める為、お水を何度もかぶる水行をやっていたことがありましたが、真冬の滝つぼの中とはわけが違います。
命の危険も省みずそこまで没頭できる信念の強さに感服します。

ちなみに自宅で水行を行うにしても、きちんと身体に問題ないか医師と相談して行いましょう。
心臓麻痺や低体温症になる可能性があるので、必ず家族にも伝えておきます。

修験者で水行を行う際は御付の人やそれを指導する人が必ずいます。
肉体的な危険だけでなく、霊的には逆に滝に落ちている邪気を拾ってしまうからです。
ですから、滝行は生半可な気持ちではできないんですよね。

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熊野(1)役 小角(えんの おづぬ / えんの おづの)

役 小角(えんの おづぬ / えんの おづの)

さて、錚々たるメンバーについて、名前はなんとなく聞いていても、どういう人物かあまり知らないと思われる方も多いでしょう。
彼等のことを是非知って欲しいです!彼等はその時代の覇者で生き抜いた人だけにとにかくエピソードが凄い!ということで、今回は一部の方を紹介します。

役 小角(えんの おづぬ / えんの おづの)
修験道の開祖:役小角

飛鳥時代の呪術者で熊野~吉野の大峰山で修行を重ね、修験道の基礎を築いた。
<誕生>
母がある夜、天空に金色に輝く金剛杵が浮かんでおり、これが静かに降りてきて 口に入ってしまうという不思議な夢をご覧になられてご懐妊されたと伝えられている。
また産室にはまるで蘭の花の部屋にいるような良い香りが漂い、手に一枝の花を握ってお
生まれになられたといわれている。

<術者、超人>
鬼神を使役できるほどの法力を持っていたとわれますが、おそらくそうだと思います。
役行者は葛城山(金剛山)の岩窟で修行して孔雀明王の呪法を修め、 鬼神を使役して大峰山と葛城山との間に橋を架けさせようとした。また生駒山に住んで人を殺していた二鬼を調伏し、前鬼(善童鬼)、後鬼(妙童鬼)と 名を与え家来にします。

25歳のときに北の方角に霊光を見その光を追って摂津国の箕面山の大滝に至り、滝の上の竜穴(御壺)の中へ入って、龍樹菩薩の影現にお遇いになり修験独特の灌頂の秘法を受けられた。

*龍樹菩薩(ナーガールジュナ)とは
「八宗の祖師」又は「小釈迦(しょうしゃか)」と呼ばれ、お釈迦様がお亡くなりになってから700年後、南インドに現れた方でお釈迦様が『楞伽経(りょうがきょう)』で龍樹菩薩の出現を予言されています。
[未来にまさに人あるべし。南天国の中に於て、大徳の比丘ありて龍樹菩薩と名づけん。能く有無の見を破し、人の為に我が乗、大乗無上の法を説き、初歓喜地に住して、安楽国に往生せん。]

その後、羽黒、月山、湯殿の出羽三山、彦山、阿蘇、霧島、高千穂を回り法力を高めた。 葛城山では藤皮を衣として松葉を食物として修行に励まれ、また熊野から大峰山の深山に
入り、 金峰山上で蔵王権現をご感得。 伝説によると大峰山はお釈迦様が説法をされた霊鷲山が衆生を済度するために 日本に飛んできた土地といわれ一乗の峰とも呼ばれている。
大峰には金剛界・胎蔵界の諸尊が列座されていて、葛城山を顕教(法華経)の峰、大峰を金胎両部の密教の峰として 現在も峰入奥駈修行が行われている。

<入滅>
できる人はいつの時代も妬まれるものである。
699年の5月、彼の弟子の一人であった韓国連広足が、その能力を妬んで彼を讒言したため、妖術をもって人心を惑わす者として捕らえられて伊豆大島に流罪になる。

ここでも様々な霊験を示され、夜になると富士山に登って修行されたといわれる。後に疑いが晴れ、大宝元年(701)6月7日、御年68歳の時、 役行者は老母を連れ天上ヶ岳へお登りになり、 「本覚円融の月は西域の雲に隠るるといえども、方便応化の影はなお東海の水にあり」との ご遺偈をお残しになり、五色の雲に乗って母とともに天上にお登りなった。

宇宙人かな・・・💦
日本の成り立ちをおそらく知っていたのではないでしょうか。呪術合戦みたいなことを繰り広げていたように感じます。霊場を守る為に色々と結界を張ったのでしょう。それを空海が引き継いだのかどうかは分かりませんが空海も同様のことをしていたと思われます。

日本の行く末を案じアセンションに向けて私達に働きかけ支援し続けている重要な存在です。

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那智の滝(2)那智の滝に現れる神

坂を下って真っすぐいくと祈願所が見えて来ました。

神霊石(みたまいし)

丸い玉がありますね。
案内版には「神霊石」とあります。
平成23年紀伊半島大水害の復旧作業中に瀧元に出現した霊石
御瀧の清浄な水で長年磨かれ球体になったとのこと。
おそらく水害のタイミングで現れたということは、元々この球体が古代からあり、これからの時代に必要だから出現したのでしょう。
これを見て大御(おおみ)神社を思い出しました。
大御(おおみ)神社も綺麗な球体の玉がありましたね。
そちらは縄文時代の頃のものだと分かっています。

神霊石は自分の中の電気が生じるエネルギー、電子的な部分を整える感覚がありました。
人の中に眠る龍のパワーを活性化させてくれているのかもしれません。

錚々たるメンバーです。
ただ、これだけのメンバーが揃い、滝そのものが御神体なのは分かっていますが、何かがひっかかる。

ご挨拶と祈願をして天人地のワークをさせて頂きました。
参拝客が数人来たので、長居ができず一旦滝の方へ戻りました。
そして舞台の方までやって来ました。

滝を眺めていると、ふと左の丘に動くものが。
鹿ですね。2頭いますね。滝とコラボしてくれました♡

この滝のバックの岩が観音様のように後光が差した光景で水の勢いによっては巨大な神様が立っておられるように見えてハッとしました。
ちゃんと姿を現わされている。
(雨が降って水流が多い時の方が分かりやすいです)

神様(いわゆる地球外生命体のETのことですが)本当に見上げる程、巨大なんですよね。

そろそろ帰ろうとしたところ、赤い袈裟を来たお坊さんが遠くの方で(こっちに来なさい)と呼んでいるようでした。(勿論、実態がない存在です。)
行ってみると先程の祈願所でした。

(もしかして空海?)空海似のお坊さんだったんです。
そこでもう一度ワークをさせて頂きました。
すると急に頭とハートが熱くなり、刺激的なエネルギーが流れ込んできました!
どうやらギフトを頂いたようです。

ここに来てしっくりこなかった理由がなんとなく分かってきた・・・。
大己貴命はもしかしたら素戔嗚尊のことではないかと。
素戔嗚尊は世界の主要な場所にボルテックスを設置しており、ここもその1つ。
役小角も空海もそのことを知っている筈。
しかしこの那智では彼の名前の記載がありません。
これまでの神社にはほぼありましたね。
この「大己貴命」は役職名で素戔嗚尊のことではないかと察知しました。
こうして名前を変えるか、隠すか何か理由だったのかもしれない。
そうでなければこれ程までの高僧たちが熊野にやってくるわけがありません。

また、熊野本宮、速玉、那智大社にはそれぞれ牛王神符があります。
義経が頼朝に牛王神符で忠心を訴えたことや赤穂浪士がこの牛王神符の裏面に血判状をしたためたことでも有名な牛王神符。
「牛王」といえば素戔嗚尊。
牛頭天王で知られていますね。
そうした点からも素戔嗚尊が符合しますので、やはり素戔嗚尊が祀られている。
という事はこの熊野のご神体は素戔嗚尊であの滝に見えたのは素戔嗚尊だったのではないか・・・。

ここでちょっとお伝えしておきたいのが、スピリチュアルに猛進する人と毛嫌いす人がいます。
それは「これが正しい」「これは間違っている」と無意識に二極的に選別するからです。

私は日本全国巡った土地や神社仏閣で感じた事や文献より総合的に導き出したことから、自分が感じたままを伝えています。それが正しい答えであるとか、間違っているとかは正直分かりません。
なぜなら宇宙は時間の概念が無く並行世界というパラレルがあることで年代が合わなかったり、見る世界が人によって違ったりするからです。
または悪霊や悪意のあるETが良い存在を演じたり、もっともらしく吹き込む場合もあります。

ですので、「これが正しい」と結論付けて猛進すると自己論を主張して視野が狭くなる為、注意しないと誤った路線へ突き進んでしまうことになります。
(というつつ、これまでも確信めいた感じで書いた記事はありますが💦)
ただ、素戔嗚尊に意識を向けると、心の中心がぶわっと熱くなる為、その自分の感覚を信じるしかないんですね。
ですので、自分の感覚を研ぎ澄ませていくと宇宙と繋がり自分の求めている答えが分かるのではないかと思っています。

そしてこの熊野の地に多くの高僧が訪れて修行していることにも着目したいです。
何故、これだけの高僧が来たのか、彼等は何のために、何をしにきたのか、こうしたことが歴史を紐解くきっかけになりますが、史書は噂であること無い事を書いたりするので、参考にしながらも、自分の心に問いかけることが一番いいと思います。
(なぜかこの人が気になる)という人物がいたら、あなた自身が魂の記憶でなんらかの関わりがあったのでしょう。

帰る時にもう一度滝を見て神様や高僧たちがここへ託した思いを感じながら熊野那智大社へ向かいました。

次回は高僧たちの一部を紹介します。

~冬至ワークのご案内~
レムリア縄文「再臨の火」ワーク
<無償ワーク>【受取方法】完全遠隔 
【特別価格】無料
【お申込み】2023年12月22日(金)20時30分まで 
【実 施 日】 2023年12月22日(金)21時00分~(約15分)
お申込みはコチラ→『再臨の火』無償ワーク

<有償ワーク>
【受取方法】完全遠隔 
【お申込み】2023年12月21日(木)まで 
【実 施 日】 2023年12月22日(金)21時30分~(約30分)
【特別価格】通常8,000円を⇒4,000円で提供
【支払方法】銀行振込み

​※お振込み手数料はご自身でご負担をお願い致します。
※お申込み後お振込み確認をされた方が対象になります。
※ワーク日を過ぎると正規金額になります。
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那智の滝(1)飛瀧神社

那智の滝

前日の玉置神社~神倉神社でそこそこ疲れていましたが、今回もどうしても外せない所!
ワクワクしすぎて早朝暗いうちから出発。
到着が大分早過ぎて結局車中で夜が明けるのを待ちました( ˘ω˘ ; )・・・。
ようやく空が白み始めてから神社へ向かいました。

飛瀧神社

那智の大滝は那智48滝の「一の滝」
熊野灘から上陸した神武天皇が、那智山に光輝くものを見て探し出し、大滝を見つけて神として祀ったのが由来とされているそうです。

30分くらい天人地のワークをさせていただきました。
凄い風が吹いてきて水飛沫がこちらへ流れてきました。お祓いして頂けたよううです。
そして雨が降って来ました~(・∀・)ノ龍神様のお出まし♡
湿った空気がとても心地良いです。
結構濡れてきたので一旦宿へ帰りました。

飛瀧神社

再び参上。こちらが一の鳥居です。
朝は真っ暗でガスも多かったですが、すっかり青空が見えてます。
ここから入って階段を降りた先に那智の滝があります。
左が有料の駐車場になっています。
反対側の坂を上った突き当りにも駐車場があり、その他途中にあるいくつかのお店が経営している駐車場もあります。

ここの森はとても居心地がいいです。
体を纏うエネルギーフィールドの領域をクリアーにしてくれます。

滝を正面にして左手に社務所があります。
社務所が開いているので滝が近くに見える所まで行ってみましょう。
3、4分で行けるかな。

お金を払って小皿を頂きます。
参入料  大人:300円
     小中学生:200円
     未就学児:無料

延命の水

歩いて直ぐの正面に水を吐き出している白龍さんがいます。
「延命の水」と言って大滝から引いたお水を先程のお皿に入れて飲むことができます。「延命」のご利益を頂けるほか、お皿もお土産に持ち帰りできますよ。
左側にも龍さんがいます。
続いて御滝拝所舞台の方へ。
(画面中央左の赤い舞台のような所)

滝が随分近くなりました!

高さ133m・銚子口の幅13m ・瀧壺の深さは10m以上

やはり近いと迫力も増します。
落下する水量は毎秒1トン。

ちなみに日本三名瀑は
日光の華厳の滝
熊野の那智の滝
奥久慈の袋田の滝

水飛沫が霧となってかかって来て
気持ちがいい~(^^しかし、「気」が凄いな(๑º ロ º๑)〣

皆さんはこちらを見て何か感じませんか。
私と姉は直ぐに「修験者がいる!」と口を揃えていました。
修験者がまるで列を成して滝行をしているようです。
この角度よりは一の鳥居から森を下って滝が正面に見えた右寄りの方が分かりやすいかもしれません。

この岩盤みたいな岩に修験者が刻印され一枚の壁画のようになっていましたが、おそらく、彼等の思いがその姿を形として岩に映されたのでしょうね。
この土地自体も守護しているようです。修験者のエネルギーがとても強く感じられました。

左上に鳥居があるのでそちらへ。
「瀧」が御神体なので拝殿はありません。
こちらでも同様にワークをさせて頂きました。
姉がお酒をご奉納しようと置いた時、「ここじゃないみたい、置くとこがあるみたいだよ。」
私の守護霊がそう教えてくれたのでそう言ったものの、どこに何があるのかさっぱりわからない。取敢えず、探しながら下へ降りました。

ねじねじの樹

勝手に「ねじねじの樹」と呼ばせて頂きます。
磁場が強いことが分かりますね。
それとやはり龍のエネルギーが影響しているのでしょう。

こちらは岩を抱えるように根がが生えてますね。
こういう植物を時々見かけますが、
龍王神社にもありましたね。
植物は知性が高いので、岩から出るミネラルや鉱物のエネルギーを受け取っているのかもしれません。

坂を降りて行くとなにやら社が見えてきました。
こんな所に小さめのお社が。
つづく。

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【再臨の火】冬至ワークのご案内

来週12月22日(金)冬至の日に一斉ワークを開催致します。

今回は「火」をテーマにそれぞれの火のエレメントの特性を活かし、私達がそもそも持っている(陽)の要素を引き出して、魂の記憶を呼び起こすとともに、集合意識の和を繋げていくことを目的にしています。

目醒め切れていない人や何かしなきゃいけない気がするけど、何をしたらいいのか分からない人等、潜在意識を目醒めさせ、あなたの中に内在する光を顕現化するワークとなっています。
無償・有償ワークがありますのでご確認下さい。

レムリア縄文「再臨の火」ワーク

<無償ワーク>【受取方法】完全遠隔 
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【お申込み】2023年12月22日(金)20時30分まで 
【実 施 日】 2023年12月22日(金)21時00分~(約15分)
お申込みはコチラ→『再臨の火』無償ワーク

<無償ワーク>
【受取方法】完全遠隔 
【お申込み】2023年12月21日(木)まで 
【実 施 日】 2023年12月22日(金)21時30分~(約30分)
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※お申込み後お振込み確認をされた方が対象になります。
※ワーク日を過ぎると正規金額になります。
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神倉神社:ゴドビキ岩 熊野速玉大社の元宮

神倉神社:ゴドビキ岩 

神倉神社:ゴドビキ岩

今回どうしても行きたかった所。
熊野速玉大社から車で4分南へ行った所の山の上にあります。

西側に配された権現山(神倉山)に鎮座する神倉神社。
熊野速玉大社の境内摂社であり元宮でもある。
熊野の神が降臨し、後に新宮へ遷都して熊野速玉大社が建てられました。

狭めの駐車場は太鼓橋神橋を渡たる手前の左手に2か所あります。
太鼓橋神橋(しんきょう)へ向かう時から気が高く渡った時はビリビリきてました。

猿田彦神社・左手に神倉三方荒神社

橋を渡って正面の猿田彦神社。
左手に神倉三方荒神社があります。
右後方に滝がありました。(ここで清めるつもりで)

ご挨拶をしていざ振り返ると岩の階段が連なっています。

石段は538段。
まぁ、これくらいなら大丈夫でしょ、と最初は普通に上っていきましたが、そもそも不揃いな岩が組まれていることと、幅が狭いこともあり、途中から手を使って這い上る形になりました。(杖も置かれていたと思いますが、手を使って上るような体制になるかと思うので行かれる方はご自身の判断で)

この岩は花崗岩を組み合わせて築かれているそうで、この山に岩を運んで築くのは大変だっただろうなと想像しながら上ってました。
それに比べたら上ることがいかに楽か、本当に昔の人がこうして築いて頂いたおかげで参拝できて有難いですね。

目的地の半分まで行かない所で境内社(左)火神社と(右)中ノ地蔵堂があります。

火神社が強烈でした。写真がボケてしまったので掲載していませんが、多くの修験者やこの地を守る人々が魂を清め願いを込めた思いなどが感じられ、とてもこの地を大事にされていることが伝わってきました。

満山社

暫く進むとやがて平坦でゆるやかな道に。
こちらは上ってきたところを振り返って撮った写真です。

更に進むと鳥居が見えて来ました!

鳥居から20分弱で着いたと思います。

神倉神社

おお~!これは凄い岩!Σ(゚Д゚)!!
大きな注連縄を腰に巻いているような感じ。

神倉神社はゴトビキ岩「琴引岩」が御神体とされています。
このゴトビキとはヒキガエルのことで新宮地方の方言だそうです。

岩の上が綺麗に切られたようなお茶碗のような形をしていますね。
御神体というか、乗り物(UFO)のようにも見えます。

早速階段を上がってみました。

わぁー海が見えます!市街が一望できますね~。
真ん中の左側にある小さい三角の山は「蓬莱山」
秦の始皇帝の命を受けて不老不死の仙薬を探しに徐福の一行が蓬莱山を目指して上陸したとされますが、この小さい丘が果たしてそうだったのか。
一説には富士山のことではないかとも言われていますね。
蓬莱山は古代より神が降臨する霊山であり祭祀の場でもあります。

<御祭神>
高倉下命(たかくらじのみこと)
天照大神

強い風が吹いてきて、場所も狭いので長居はできませんが、しっかりお詣りさせて頂きました。

天磐盾の崖に聳え立つ高倉神社はバックにゴドビキ岩を背負っているようにも見えて迫力があります。

更にもう一か所、祭祀場があります。
最初はどう行けばいいのか分からず、赤い塀の裏側へ行ってみたんですが、途中から倒木や草が生い茂り行けなくなってました。マムシがいるそうなので草の方は行かない方がいいです。

気を取りなおして、この辺かなと思って上ったところにありました。
鳥居方面まで戻って上記写真の矢印の辺りから上がって行きます。
道になっていないので分かりにくいですが。

ここを進むとゴドビキ岩方面へ出ます。

祀事場

ここに大きな岩があり銅鐸破片の見つかった古代祭祀場があります。

ゴトビキ岩の根元周辺には平安時代の経筒が多数発掘され、更に下層からは銅鐸片(22ヶ)や滑石製模造品が出土していることを後で知りましたが、確かにここには古代のエネルギーがありました。

帰ろうとした時、足元にピュッと何かが出てきてびっくり!
よく見るととかげちゃんです!
今回はカナヘビさん。いつもは青いしっぽの子が多いのですが、今回は緑と紫がかったと
ても美しい色の子でした。
足元にいて私が動いた為、岩に隠れてしまいました<( ̄口 ̄||)>!!!オーノー!!!

この山が源となって発信されたエネルギーが熊野に広がっていったように思います。
そして修験者の迫力を感じます。
怖く厳しいものではなく、信念を持って逞しく生きる力強さを肌で感じ取りました。
ここも何れ動き出すのかな、という感触です。

※御朱印は熊野速玉大社で頂けます。
※ちなみに帰りの方が降りるのが大変だと思ってましたが、降りる方が楽でした。
でも足を痛めやすいのでご注意ください。

<神武天皇が登った山>
神話では神倉山は、神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あまのいわたて)の山であるといわれ天照大神の子孫の高倉下命が神武に神剣を奉げ、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされています。

<例大祭:御燈祭り>

2月6日夜行なわれる例大祭。
白装束に身を固め祈りを込めた松明を持った上り子が、急峻な石段を駆け下りる。
1800年以上の伝統があり、全国に伝わる火祭の中でももっとも勇壮な炎の祭典として名高い。

名称:神倉神社
住所:和歌山県新宮市神倉1丁目13−8
社務所:有り
トイレ:有り
地図:Google マップ

つづく。

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