ハワイ島(8)ポロル渓谷

カメハメハ一世

ポロル渓谷へ向かう途中、キングカメハメハ像がありました。
生憎逆光ですが・・・💦

英雄カメハメハを尊敬していたのが、後のカラカウア王。
カラカウアは、1879年にカメハメハを記念するブロンズ像を建てる為、アメリカ人の彫刻家トマス・グールドに依頼。トマスが作った彫像をもとに、ローマで鋳型が作られパリでブロンズ像が完成しました。

ところが出荷後、ブロンズ像を載せた船が南米フォークランド沖で遭難、像は海底深くに沈んでしまいます。

ローマに鋳型が残っていたため、それを元に再度ブロンズ像が作られ、完成した像はイオラニ宮殿の前に安置されました。

時が流れ1912年。
海に沈んだ最初の1体が出現したのです。
この最初の1体は、ハワイ島のカメハメハ生誕の地、カパアウに安置されることになりました。それがこの像です。

ハワイには3体あり、もう1体はハワイ島のヒロの町にあります。
(別の鋳型で作られたものだそうです)それは車窓からチラ見ししただけなので、あまり覚えていません(^^ゞ

ポロル渓谷

断崖絶壁の美しい景観です。
カメハメハは文武両道でハワイ島全島を統一しただけでなく、優れた外交手腕を持ち、イギリスやアメリカ合衆国などの西洋諸国との友好関係を維持してハワイの独立を守り、伝統的なその文化の保護と繁栄に貢献しました。

勇猛果敢で好奇心が強く、雪が積もるマウナケアの頂上にも登ったそうです。

ポロル渓谷 ここから下ります

1789年冬、アメリカからやって来たエレアノラ号とフェアー・アメリカン号がハワイ島を訪問した際、トラブルにより100人余りの島民の命を奪う事件が起こりました。

これに恨みを持った首長カメイアイモクは、フェアー・アメリカン号を1790年3月3日に襲撃し、乗組員のアイザック・デービスを除く全員を殺害。これを受けてエレアノラ号は乗組員ジョン・ヤングを調査に派遣したが、ヤングは捕縛されたため、やむをえずエレアノラ号はヤングを残して出航しました。

こうして、ハワイにデービスとヤングの二人が残され、カメイアイモクの振る舞いに激怒したカメハメハ1世は、すぐデービスとヤングを保護し、自分の軍事顧問として遇しました。そして彼等から武器の使い方や戦術を学んだのです。

カメハメハ1世自身、戦いで多くの人を殺していますが、外部の人間を受け入れ、他国の思想や文化を政策として取り入れるなど、まるで織田信長のようなところがあったようでした。

また、カメハメハ1世が作った「ママラホエ」と呼ばれる法律は、戦時における非戦闘員の人権を保護するものであり、今日では世界中で受け入れられている先駆的なものでした。(一部Wikipediaより抜粋)

<ママラホエ>
「すべての老人、女性、および子供が、路傍で安全に休息できるように」というこの法律。1797年にカメハメハ1世によって制定され、ハワイ州の憲法第9項の第10章にも明示されています。

当日は虹が至るところで現れ、10回位は見たでしょうか。

夕陽も美しく、素晴らしい人々と出会い、ハワイの文化に触れることができ、改めて感謝の祈りを捧げた一日でした。

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