聖徳太子とイエス・キリスト

1万円札になった人が、今では実在しなかったと言われ、教科書からも姿を消した「聖徳太子」本日は「聖徳太子」と「イエス・キリスト」について深堀していきます。

「聖徳太子」=「イエス・キリスト」説

「聖徳太子」=「イエス・キリスト」は同一人物。もしくは生まれ変わり。なぜそんな説が出てきたのでしょうか。
それには聖徳太子とイエス・キリストの共通点があるからです。

聖徳太子とイエスとの共通点

1)聖徳太子の母が馬小屋の前で産気づいて生まれた聖徳太子。本名を厩戸皇子
 (うまやどのみこ)
⇒馬小屋で生まれたイエスを連想させる。

2)法隆寺にある夢殿の救世観音像の胸の辺りには十字の木組があり、中心には「釘」が     打ち付けられている。
⇒イエスが磔刑されたことを表している。

3)10人の請願者の話を一度に聴いて答えることができたり、馬に乗って空を飛ぶ等非現 実的なことをしていたと記されている。
⇒イエスは水を葡萄酒に変えたり、湖上を歩いたり、イエス自身や死人を生き返らせる奇跡的なことをしたと記されている。

4)「冠位十二階」という身分や家柄にとらわれず能力がある人材を登用し朝廷を支えた制度を制定した。
⇒イエスも身分に関係なく12人の使徒がいた。

5)「17条の憲法」と「7つの大罪」で共通点がある。

「17条の憲法」
五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。

訳「食におごることをやめ、財物への欲望を棄てて、訴訟を公明にさばけ。」

十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(略)

訳 「心に憤りを抱いたり、それを顔に表したりすることをやめ、人が自分と違ったことをしても、それを怒らないようにせよ。人の心はさまざまでお互いに相譲れないものをもっている。是非の理をだれが定めることができよう。お互いに賢人でもあり、愚人でもあるから相手が怒ったら、むしろ自分が過失を犯しているのではないかと反省せよ。
⇒キリスト教の「7つの大罪」と共通する部分がある。
「傲慢」「嫉妬(ねたみ)」「憤怒」「怠惰」「強欲(貪欲)」「暴食(貪食)」「色欲」

6)聖徳太子は歴史に残る様々な出来事を予言(第二次世界大戦の勃発や終末予言等)しているが、夢の中で神々の啓示を受け、見聞した記録『先代旧事本紀大成経』は、『聖書』に登場する預言達の予知夢やヨハネの黙示録に似ている。

ちなみに1)について
聖徳太子の母親(穴穂部間人皇女)の夢に色の衣をまとった僧侶が現れ、「私はこの世を救いたいのでお前の腹を借りて生まれることにする」とのお告げを受けたという。
やがて彼女は、馬小屋の入り口で産気づいて男の子を生んだ。そこから厩戸皇子という名がついたと言われている。

処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってキリストを妊娠したことを告げられる話と似ている。

西洋との関連性

1)聖徳太子が建てた四天王寺は鳥居があり、元々神社だったのではないかという説。

2)聖徳太子が建てた法隆寺の中央の柱の建築様式(上部ほど細くなる)がパルテノン神殿の柱の建築様式と同じ。日本でこの様式は法隆寺だけである。

法隆寺
パルテノン神殿

3)聖徳太子は飛鳥時代の平均身長160㎝を上回る180㎝もあったとされている。
(ユダヤ系の血が入っていたのか??)

しかしながら、聖徳太子とイエスの誕生には開きがあります。

聖徳太子:西暦574年2月7日
イエス :西暦元年

イエスは日本に来ていた

聖徳太子はイエスの生まれ変わりとも言われています。
以前青森ライトワークでイエス・キリストの墓と呼ばれる所へ伺いましたが、こちらの村の風習がキリストと関係することからも日本とご縁があるようです。
(ただこの話からはイエス=聖徳太子とは言えませんが)

青森ライトワーク(7)キリストの墓

いずれにしても、当時から西洋の風習や宗教が伝播されて影響を受けていたことは間違いないようです。

秦河勝

厩戸皇子(うまやどのみこ)は存在していたが、「聖徳大使」と呼ばれる人物は存在していなかったという話しから、「聖徳大使」が側近の渡来人、秦河勝氏ではなかったのかとも囁かれています。

秦氏のお墓の中から十字架が発見されており、その傍にある「多胡碑」という石碑の下から「 JNRI」と刻まれた銅板が見つかっている。

 「Jesus Nazarenus Rex Indaeorum」の略。
つまりイエス・キリストのこと。

イエスキリストが磔刑された上の木には「 INRI」と刻まれている。
ラテン語の 「Iesus Nazarenus Rex Indaeorumで、こちらもイエス・キリストのこと。

「ナザレの王イエス、ユダヤ人の王」の意味。
このことはヨハネ福音書に記載されている。

当時日本では「INRI」の「ん」を発音しなかったことから「INRI(イナリ)」と呼び今の「稲荷」になり、各地に稲荷信仰を広めたのも秦氏と言われている。
(京都の伏見稲荷大社は秦氏が創設)

さて、前々回でイエスの下記言葉について触れてみましょう。

「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません」

あるキリスト教のサイトではこちらの意味を解説していました。

<キリスト教のある解説では>

十字架で私たちの罪の贖いとして死なれたキリストを信じなければいのちはないということ。

「食べる」とは原語のギリシャ語では「ファゲーテ」(φαγητε)と言う言葉で、1回限りの出来事を表す時制(不定過去形)が使われています。

「私たちが、私たちのうちにいのちを持つためには、私たちの罪を贖うために十字架で死んでくださったイエス・キリストを信じなければなりません。信じなければいのちはありません。これがいのちの源であり、救いのベースです。

どれだけ教会に来ているかとか、洗礼を受けたかどうかということは全く関係ありません。十字架で死んでくださったキリストを信じて、新しく生まれ変えられたかということです。これがすべてです。

色々な意味にも取れる言葉です。

「信じなければいのちはありません。」
というのはちょっと強制的で怖いように感じますが、別の側面から推察した時、これはキリスト教に限らずですが、私達が自身が「神であった」ことを受け止め、それを信じることで自分を改心し覚醒を前進させていく。ということを指しているのではないかと私は捉えています。

神と同じ壮大な意識を持っていたのに、今は小さな枠の世界に囚われ、日々の出来事に一喜一憂しているような毎日をただ過ごしているだけでは、何も悟れず、進化することも無いのではないでしょうか。

「聖徳太子とイエスキリスト」同一なのか生まれ変わりなのか、少なからず私達に大きな影響を齎している謎多き人物。近い将来、真相が明らかになる日が来るでしょう。

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